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北町若連【風流 ヤマトタケル】(歌舞伎)
小碓命(おうすのみこと・後のヤマトタケル)は美しい外見と無双の力、それに激しい気性のため、帝から疎まれ熊襲征伐を命じられた。熊襲はタケル兄弟によって統治された強大な国であったが、小碓命は女装してタケル兄弟の宴に紛れ込み、見事彼らを討ち果たし、彼らの名を取ってヤマトタケルと名乗る。
凱旋したヤマトタケルに帝は休む間もなく東国平定を命じる。難行苦行の末ついに平定を果たしたが大和に戻る途中、力尽きて倒れてしまう。死に臨んで「大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和しうるわし」と詠い、大和の国を夢見つつ白鳥に姿を変え大空へと飛び立っていった。
鉄砲町若連【風流 弁慶引摺鐘】(物語)
昔、承平年間(十世紀前半)に田原藤太、藤原秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進した。
高さ五尺五寸、厚さ三寸五分、直径が四尺一寸、目方六百貫という大鐘である。
時は流れて、三井寺と比叡山の争いが激化すると、数で勝る山門の僧兵は、事ある毎に三井寺へ攻め込み、堂舎は幾度も炎上した。
山門僧兵の中でも、弁慶は特に乱暴であり、音に聞こえた三井寺の法師も弁慶には歯がたたなかった。
勝に乗じた弁慶は、三井寺自慢の大鐘に手をかけてずるずる引き摺って山へ持ち帰った名場面である。
常仲町若連【風流 伊勢 龍神伝説】(物語)
こんもりと緑を盛り上げた倉田山の北の峰に、松尾観音寺というお寺があった。本堂裏にある二つ池(龍池)と呼ばれる二つの池には、昔から東の池には雄龍、西の池には雌龍がそれぞれ住んでおり、観音様をお守りになっていると言われている。
今から約六百年前の応永十年五月、にわかに本堂から火の手があがったが、山中の寺の為人々の気付くのが遅く、駆けつけた時はもう本堂は火の柱となっていた。手のほどこしようもなく、村人たちは「観音さまが…」とおろおろするばかりだった。その時、すさまじい炎の中に二つ池から二体の龍神様がお姿を現された。雄龍は燃え盛る炎を飲み込みながら舞い降り、観音様を自らの体に巻き付け、また、雌龍は何度も池の水を炎に吹きかけ観音様を火災からお守りになった。
今でも村人たちは、龍神様が生きていると固く信じて疑わないそうである。
上金澤町若連【風流 竜飛崎の由来】(物語)
兄頼朝に追われた源義経は、自刃したとされる衣川の高館よりかろうじて逃れ、安住の地を蝦夷の地を求めて津軽半島まで辿りついたが、津軽海峡の波浪は荒く容易に渡ることができなかった。
そこで義経が、信心の観世音菩薩に祈願したところ、三日目に夢の中に白髪の老人が現れ、「三頭の竜馬にのって渡るべし」という夢を見た。目が覚めると三頭の竜馬がいななき、荒れていた海面は鏡のように静かになっており、義経主従はこの竜馬に乗って蝦夷の地へ渡ったという。
七百九十余年を経た今も、津軽半島には「義経伝説」が息づいている。
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