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若葉町若連【風流 寿 成田屋歌舞伎十八番】(物語)
成田山と歌舞伎の名門市川宗家は、江戸元禄の頃より不動信仰による深い縁で結ばれている。
子宝に恵まれなかった初代市川團十郎は、成田山で祈願し不動明王の功徳により二代目を授かった。
二代目は「不動明王の申し子」と言われ、十歳の初舞台で仏恩に報謝するため不動明王を演じており、以後、自らを「成田屋」と称し、市川宗家一門は、襲名披露の際は御護摩祈祷を受け、不動明王の御加護を祈祷している。
顔見世狂言とは歌舞伎役者の中でもオールスターの役者を揃え、披露することをいう。七代目市川團十郎が選定した荒事の代表作「歌舞伎十八番」より、團十郎「解説」・海老蔵「鳴神」・新之助「矢の根」の三役が成田山不動明王の前で奉納演舞された場面である。
末広町若連【風流 俵藤太】(物語)
平安時代中期、豪傑として知られた俵藤太は、琵琶湖の竜宮城に住むといわれる龍神族の乙姫、三上山に棲む大百足の退治を懇願された。
これを快諾した藤太は、先祖より受け継いだ名剣と重藤の弓に三本の大矢を携えて三上山へ向かった。そこには三上山を七巻半もする大百足が藤太を待ちかまえていた。藤太は二本の矢を射るも大百足には通じない。そこで最後の一本の鏃に唾を吐きかけて「南無八幡大菩薩」と祈念し、大百足めがけ矢を放ち、見事大百足を討ち倒したのであった。
後に、藤太は龍神の助言をえて、平将門を討ち取り、武功をあげるのであった。
大正町若連【風流 川中島「戦国武将の旗印」】(物語)
時は1561年永禄4年9月10日朝辰の刻、舞台は川中島と呼ばれる、現在の長野市南部郊外千曲川と犀川の合流地点に広がる中洲。討って出る上杉軍は車懸りの陣総勢1万3千余名。迎え撃つ武田軍は鶴翼の陣総勢1万7千余名が合いまみえる中、北信濃八幡原一帯で甲越両軍が激突した。
乱戦の中、上杉謙信は愛馬と供に武田の本陣に切り込み、床机に座る信玄と一騎打ちを果たす。
戦国時代という数奇な定めの中、川中島の戦いを通しそれぞれの武将が領地と家紋を守らんとし、様々な思いを巡らせ己の旗印を揚げる場面であり、大正町若連が東日本の復興と幸せを願い、町内印半纏に染め抜いた真紅の鶴に思いを込め初めて挑んだ風流である。
新松本町若連【風流 桃太郎鬼退治】(物語)
桃から生まれた桃太郎は、おじいさんとおばあさんに育てられ平和に暮らしていたが、村人達に悪さをする鬼達をこらしめようと、鬼退治に向う途中きび団子を分け与えた犬、猿、雉の三匹の供と鬼ヶ島へ向かう。勇敢にも桃太郎とその三匹は、極悪の赤鬼、青鬼供を見事退治し、村人達の不安を解消し、奪われた金銀財宝を取り返し、村へと帰国したという物語。桃太郎と供になった者達の関係は、御恩と奉公、恩賞と忠誠などを表しているともいわれていて、儒教的な思想から犬、猿、雉は仁・智・勇の象徴だといわれている。
桃太郎のように、敢然と悪に立ち向かう勇気を持つことが大切だと、そんな願いを込めた日本の代表的な物語である。
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