宮城県栗原市 くりこま山車まつり 製作日記

ダイドードリンコ日本の祭り2013で紹介された300余年もの歴史と伝統を誇る栗原市最大のお祭りです。

江〜姫たちの戦国〜

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第4回「本能寺へ」 1/30放送分

あらすじ
天正9年(1581)冬。三姉妹は、初めて香道を体験する。市(鈴木保奈美)に父・長政(時任三郎)愛用の香を教えられ、喜ぶ茶々(宮沢りえ)や初(水川あさみ)だが、江(上野樹里)には父の記憶がない。
 そんなとき、江たちは、信長(豊川悦司)が京で開く馬揃えに招待される。初めて訪れる京で市と三姉妹は、明智光秀(市村正親)や娘のたま(ミムラ)と出会い楽しい時を過ごすが、市は光秀の様子が気にかかる。
 圧倒的な迫力と華やかさで群衆を魅了する馬揃えに感動した江は、ひとり本能寺で信長と対面。そこで江は、信長からバテレンの服を贈られるが、「自らが真なる神である」という信長のごう慢な態度が許せず、怒って本能寺を後にする。市らのいる宿所に戻った江は、母に「もう二度と信長に会わない」と宣言する。 
 天正10年(1582)を迎え、信長率いる織田軍は、天下統一に向け最終局面を迎えようとしていた。武田家を滅亡させた信長は、安土への凱旋(がいせん)の途上、市と対面し、茶々を養女に迎え天皇家に嫁がせたいと切り出す。一方、江は信長に会わなかったことを後悔していた。
 そんななか、光秀はひとり焦慮を募らせ…。
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絢爛豪華!馬揃え

天正9年(1581)2月、信長の主催により、京でビックイベントが開催されました。正親町天皇を招いて行われた「馬揃え」です。「馬揃え」とは、軍馬を集めてその優劣や調練の状況などを検分する武家の行事のひとつ。端的にいえば、軍事パレードです。そんな武家行事を天皇を招いて大々的に行うことで信長は、自らの力と朝廷との良好な関係を日本全国にアピールすることに成功しました。見事なパフォーマンスです。
このイベントの実行委員長を任されたのは、教養豊かな明智光秀。光秀はわずか1か月ほどの準備期間で、メイン会場の設置から招待客の手配までを行いました。信長の“ムチャぶり”を完璧にこなすあたり、さすが光秀と言わざるを得ません。
 信長の側近・太田牛一が編述した『信長公記(しんちょうこうき)』によると、メイン会場である馬場は内裏の東側に造られ、全長は約872m。御所の東門築地の外に設けられた帝の御座所には、金銀の豪華な装飾が施されたと伝えられています。
そして気になる信長のファッションですが、眉を描き、金紗の頬あてをし、唐冠の頭巾をかぶって衿(えり)に梅枝を差すという奇抜なもの。宮中より送られた造花の牡丹(ぼたん)も腰に差すなど、細部に至るまでこだわっていたとか。若いころはカブキ者として有名だった信長。本領発揮というところでしょうか。

ちなみにこの「馬揃え」は、当時無名だった山内一豊が、妻・千代のへそくり黄金10枚で購入した名馬に乗って参加し、信長から称賛されたことでも有名。2006年に放送した大河ドラマ「功名が辻」の名シーンのひとつです。
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第3回「信長の秘密」 1/23放送分

あらすじ
天正7年(1579)秋。江(上野樹里)は、織田信長(豊川悦司)と対面し「おのれの信じるまま、存分に生きよ」という伯父上の言葉どおりに生きようと、すっかり“信長かぶれ”となっていた。
 父の仇にほれ込む妹の姿が、初(水川あさみ)には許せずふたりは大ゲンカ。 
 そんなとき、信長の命で、徳川家康(北大路欣也)が妻と嫡男を死に追いやったことを知らされるが、江はどうしても信じられなかった。
 周囲からも信長の悪評ばかりが聞こえてくる。伯父上に会って直接本意を知りたい! と思った江は信長に手紙を出し続け、ついに信長本人から招待状が届く。 
 江がひとり信長に会いにいくことを母・市(鈴木保奈美)が許したことに、茶々(宮沢りえ)は驚くが、市は江が「父親の存在」を信長に求めていると感じていた。 
 安土で信長との再会を楽しむ江は、千宗易(石坂浩二)や秀吉(岸谷五朗)の妻・おね(大竹しのぶ)と出会うが、家康に非道な命を下した信長の真意が全く聞き出せずにいた。
 数日の滞在の後、江は信長に連れ出され、琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)へと向かう。そこは、父・長政(時任三郎)が愛した島だった。そこで、江は信長の孤独な姿と向き合う。
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築山殿事件って何?

第3回「信長の秘密」では、いきなり大事件が起こります。なんと信長の命で徳川家康の正室・築山殿が殺害され、嫡男・信康も切腹させられてしまいます。世にいう「築山殿事件」です。ドラマでは、悲惨な事件にショックを受けた江が信長のもとを訪ね、その真相に迫るわけですが、ここで「築山殿事件」について簡単に解説しておきましょう。
「築山殿事件」が起こったのは天正7年(1579)。通説では、信康の正室・徳姫が父・信長に送った12か条の書状が発端といわれています。
 5歳で婚約し、9歳のときに同い年の信康に嫁いだ徳姫。信康との間に2人の娘をもうけますが、世継ぎとなる男子は生まれず、このころになって信康が側室を持ち始めるなど、夫婦仲は決して円満とはいえない状況でした。さらに、姑・築山殿との間にも大きな溝がありました。築山殿は今川義元の姪にあたり、信長は憎き伯父の仇。さすがにその娘と仲良く…とはいかなかったようです。
そんな日ごろのうっぷんが爆発したのかもしれません。徳姫が信長にあてた書状に書かれていた内容は、
 ●夫・信康の常軌を逸した日ごろの行為
 ●信康と家康の不仲
 ●姑・築山殿が武田勝頼に内通しようとしている
など徳川家の立場を揺るがすものばかり。この書状を読んだ信長は、家康の重臣・酒井忠次を呼びつけて詰問し、家康に築山殿の殺害と信康の切腹を命じました。娘婿に対しても全く容赦がありません。
信長の嫡男・信忠をしのぐ器量を持っていたといわれる信康。信長の冷徹な判断の裏側には、将来、信康によって織田家と徳川家の関係が逆転するのを恐れたことが一因にあったとされています。しかし最近になって、信康の無能ぶりを家臣から指摘されて家康が信康排除を決断したという新しい考え方が浮上するなど、この事件の真相はいまだにわかっていません。
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第2回「父の仇」 1/16放送分

あらすじ
天正7年(1579)春。北近江小谷の地を離れ、母・市(鈴木保奈美)と三姉妹は、伯父・織田信包(小林隆)の居城である伊勢上野城に身を寄せ静かに暮らしていた。
 市は、長女・茶々(宮沢りえ)や次女・初(水川あさみ)のためにも、過去の悲しみを封印し、三女・江(上野樹里)には一切の過去を秘密にしてきた。
 そんなある日、信長(豊川悦司)より届いた安土城への招待状。天下統一に向け着々と足場を固めてきた信長は、安土に見事な天主を頂く城を完成させていた。
 初めて訪れる安土の地。徳川家康(北大路欣也)や柴田勝家(大地康雄)、明智光秀(市村正親)ら、そうそうたる武将たちとの対面に続き、森蘭丸(瀬戸康史)に先導され信長が現れる。
 織田家の裏切り者として耐え忍び生きてきた市や茶々、初には、父の仇とのつらい再会であるが、何も知らない江は信長に圧倒され、その存在に魅せられていく。
 そして、ついに江は過去の秘密をすべて知ることになる。母や姉たちを悲しませ、父・長政(時任三郎)の命を奪った秀吉(岸谷五朗)や信長を江は許せず、深夜、ひとり信長のもとを訪れる。
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信包おじさんって誰?

父・長政と死別した江たち三姉妹と市は、信長の意向なのか、市の希望なのかわかりませんが、しばらくののち、伊勢上野城の城主、織田信包のもとに預けられたと考えられています。
 さて、この信包という人物、残念ながらあまり広く知られていません。そこで今回は、織田信包について少しご紹介します。
織田信包は、信長の弟のひとりです。信秀の四男で天文12年(1543)の生まれといわれており、信長より9歳下で、市よりは4歳ほど上。母親は不明ですが、信秀の正室で信長の母でもある土田御前を自分の居城に迎えて面倒を見ているので、信包も信長と同じく土田御前の子だった可能性もあります。
信長は伊勢侵攻の際に、次男・信雄を北畠家、三男・信孝を神戸(かんべ)家の養子に押し込み、支配下に取り込んでいますが、信包も同様に力で制圧できなかった長野家の養子となり、一時は長野信包と名乗っていました。
そんな信包が治める伊勢上野城に江たち三姉妹と市が入ったのは、おそらく伊勢長嶋一向一揆(1570〜74年)が平定され、伊勢の安全が確保された後だと考えられます。そこで江たちがどのような生活をしていたのかはわかっていませんが、平穏な日々を送っていたのではないでしょうか。
ちなみに信包は、天正8年(1580)に居城を伊勢上野城から9kmほど南の安濃津城(津城)に移しているので、江たち三姉妹と市もそれに従い、生活の基盤を移したと思われます。
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第1回「湖国の姫」 1/9放送分

あらすじ
織田信長(豊川悦司)の妹で絶世の美女・市(鈴木保奈美)には三姉妹の娘がいる。長女・茶々(宮沢りえ)、次女・初(水川あさみ)、そして三女・江(上野樹里)。しかし、江には父の記憶がない。
 時はさかのぼり永禄11年(1568)初夏。上洛をもくろむ信長の命で、市は北近江小谷の浅井家に嫁ぐ。そんな市への恋心を露骨に語る秀吉(岸谷五朗)に、妻・おね(大竹しのぶ)はあきれるが、愛する兄のため捨て石となる市の覚悟に心を痛めるのだった。
 初めは望まぬ婚姻だったが、琵琶湖を望む美しき小谷の地で、市は不思議な魅力を放つ名将・浅井長政(時任三郎)と恋に落ち、やがて茶々、初が誕生する。しかし、織田家と浅井家の幸せな関係は長くは続かなかった。兄と夫のはざまで苦悩する市は、長政の妻として生きることを決意。両家は全面戦争に突入する。
 3年に及ぶ戦の果て、信長軍が優勢となり、市は自らに宿った新たな命と共に死を覚悟する。しかし、幼き茶々(芦田愛菜)は、子を産んでほしいと涙ながらに訴える。やがて秀吉率いる織田軍に包囲された小谷城に産声が響き渡り、湖国の姫・江が誕生する。しかし、それは父・長政との別れの時だった。
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どうして市が結婚したの?

「婚活」が社会現象となっている現代日本。結婚するために自分を磨き、日々努力する、なんとも大変な時代です。しかし、戦国時代のお姫様はもっと大変?! 政略結婚が当然のように行われ、時として女性が政治の道具にされていました。江たち三姉妹の母・市も例外ではありません。
諸説ありますが、市が初めて嫁いだのは1567年、もしくは、その翌年の初めごろといわれています。お相手は北近江を治める戦国大名・浅井長政。近世の石高でいえば12万石ほどの小さな大名ですが、兄・信長と同年代の勇将です。
1567年に念願だった美濃の国を手に入れ、「天下布武」の大望を掲げた信長。しかしそれには、京へ上ることが不可欠です。そこで信長は、その道筋に立ちはだかる長政に美人と評判の妹・市を嫁がせて味方に取り込み、西方進出作戦の足がかりにしたというわけです。
その効果はテキメンでした! それまで越前・朝倉義景のもとに身を寄せていた前将軍・足利義輝の弟・義昭が信長を頼り、上洛の助力を要請。大義名分を得た信長は、大軍を率いて京へ上り、大都市だった大津、堺を自らの所領とします。一方、市はというと、政略結婚で嫁いだ浅井家でしたが、夫・長政とは周囲がうらやむほどラブラブ。幸せな結婚生活を過ごします。
しかし、そんな幸福な生活も長くは続きません。野望に満ちた信長は、浅井家と長年友好な関係にあった朝倉家を攻撃。長政は朝倉側につき、義兄・信長と敵対することになります。そして、天正元年(1573)、夫・長政は信長に敗れ、小谷城内で自刃。3人の娘を連れて難を逃れた市は織田家に戻り、第二の人生を送ることになります。この時の市の心境は一体どのようなものだったのでしょうか。
ですが、これはまだまだ序章に過ぎません。市の運命は、信長、秀吉といった天下人の狭間で、今後も大きく揺さぶられていくことになります。

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篤姫から江へ――原作者・田渕久美子さんが描く女たちの戦国時代

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織田信長の妹・お市の三女で徳川二代将軍・秀忠の妻となる主人公“江(ごう)”を女優・上野樹里が演じる2011年大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』。原作・脚本を手掛けるのは、宮崎あおい主演で『篤姫』(2008年同局)ブームを巻き起こした田渕久美子さんだ。上野に対し「安心してお任せできる」と絶大な信頼を寄せ、「樹里さんは『のだめ』の印象が強いけど、真面目で一本気な感じがする。それが江にどう影響するのか」と自身も上野江がどう成長していくのかを心待ちにしている。幕末の『篤姫』から時を遡り戦国時代まっただ中の『江』へ――女性視点で描く田渕流戦国時代はどう仕上がるのか、本人が構想を語った。

『篤姫』を大ヒットさせた田渕さんは今、躍動感に満ち溢れている。開口一番「華やかな人物を描くことは、こんなにも胸が躍るものかと思う。戦国時代を描けるのは作家冥利に尽きます」と軽やかな口調で今作への思いを話し始めた。

『江』の依頼を受けたのは、まさに『篤姫』が放送中の2008年秋。再び長期執筆を続ける環境になり「(執筆で)2キロやせました。厳しいなと思うこともある」としながらも「特定の人物にしか会えなかった篤姫に比べて、江はどんな人にでも会えるという環境が違う。だから、江目線で様々な武将を新しい視点であぶりだせる」と創作意欲は止まらない。

江という人物においても「2度の落城を体験して父と母を失い、3度にわたっての政略結婚。こんな悲惨な人生ながらも、戦国の3英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)に直に物が言える立場にいる意味では面白い人」と自然と言葉に力が入り、江を演じる上野には「女優さんらしい女優さん。美しい顔立ちをしていて、江らしい」とイメージどおりだと太鼓判を押した。

「大ウソはついてないですけど、小さなウソはついてます」と田渕さんが明かすのは、戦国時代の女性たちの心情や行動における演出部分。「当時の女性たちがどう生きていたのかは想像でしかない。でも、したたかで逞しくて強かったと思う。戦国という時代を借りて、人間ドラマを描きたいという思いがあるんです。今を生きている人にもわかる形にしないといけない」とこだわりは尽きない。

偶然にも江戸幕府の終焉にいた女性・篤姫と、その始まりを築いた女性・江を描くことになった田渕さんは「共に、厳しい時代の女性ということで共通性があって、ドラマチック」と使命感も口にしていた。

第1回『湖国の妻』では、原作には描かれなかったヒロイン・江のルーツを紐解く。「彼女を描く上で、両親の愛情がないと描けない。これぞ戦国というのが凝縮している。お市の結婚そのものが“ザ・戦国”でしょう」。放送まで約2か月を切った『江〜姫たちの戦国〜』は華々しく幕を開けることになりそうだ。来年1月9日(日)午後8時より放送(初回のみ73分の拡大放送)。(オリコン記事より)


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