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『東京裁判』(1983)を観た 2006/5/14(日)
監督・脚本: 小林正樹 原案: 稲垣俊 脚本・監督補佐: 小笠原清
音響効果: 本間明 録音: 西崎英雄 編集: 浦岡敬一 資料撮影: 奥村裕治
ネガ編集: 南とめ 音楽:武満徹 演奏: 東京コンサーツ ナレーション: 佐藤慶
(1983)
ひょっとしたら、この映画「プライド」と対置する内容かも?
これドキュメンタリー風なのですが、一部には独特の解釈が潜んでいました。
「プライド」を美化というなら、こちらは迎合とでも言うべきかもしれません。
あるいはワイドショー的とでも言えるかも?
この映画にはあまり検証という態度はないようです。
戦後の平和主義的価値観を代表して、世相を斬っているといった雰囲気です。
これを私は迎合という言葉に込めました。
また、大川周明が東条を叩いたシーンなどは
「やった、やったー。観て観て」っと、
決定的瞬間をアップでスローをかけて繰り返すという芸当です。
まさにワイドショー。東郷と嶋田の日米開戦をめぐる言った言わないの問題も、
「こんな浅ましい事もあったんだよ」と得意満面と言ったところ。
更に醜悪なのは、南京事件を無批判な感じでさらっと流し、
満州建国問題に絡む溥儀の証言シーンなども「こんな人もいました」みたいな
有名人紹介コーナーのようになってましたね。
この二つに関しては、「プライド」の方がよほど、慎重に考えていて説得力がありましたね。
おそらく私が望んだのは、全くのドキュメンタリーなのでしょうね。
何の操作もしない生々しい裁判のやり取りだけが観られれば良かったのですね。
まあ、それをこの映画に求めるのは筋違いでしょうね。
かといって、良いシーンもあったのですよ。
天皇の戦争責任に関する解説的なナレーション、ここでは光ってました。
(多くの場合、邪魔だったけど)
責任を持たせたい裁判長の思惑と、責任外を演出したい検事というかマッカーサーの思惑。
守ろうとする木戸幸一の空回り。最後は天皇責任回避の筋道に乗った東条。
これはなるほどと唸らせましたね。
重光を守ろうとする外国要人たちの様子も胸を打つ感じがしました。
また、東条の首相たる落ち着いた態度、あるいはふてぶてしさも含めて、
私にはやはり「プライド」に見えました。
もちろん、戦中の演説シーンなどを同時に観ると
「この野郎」と思う世情も理解できました。
その上でも彼が必死に検事と論戦を挑んだ証言台での姿は、
単なる自己弁護には見えませんでした。死んで当然と思った上でも、
「国民に罪なわれても、戦勝国に悪人呼ばわりされる覚えはない」という信念に見えました。
と同時に、彼らは政治家であって、非戦闘員でしたね。
彼らがまさしく、10代の青年をだまくらかして、爆弾扱いした超本人でもあったのですね。
その怒りは確かに満ちていて、戦後の共産党運動やスト映像の激しさを観るとき、
当事者の爆発的なエネルギーが感じられました。
この映画には確かに実際の映像が持つ力が満ちあふれていました。
少し物足りなさも残るけど、やはりまじめに作ってはいましたね。
「プライド」と併せてみると、色々な違いがあって良いみたいです。
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ウイリアムウェブ裁判長の東京裁判の開会の辞において
「被告達は嘗て、如何に重要な地位にあったにしても、それが為に受ける待遇は、最も貧しい日本兵、或いは一朝鮮人番兵よりも良い待遇を受ける理由は見当たらない」と日本の戦争指導者に対する敵意を露にした。
検察側に不利な発言や意見が弁護側から出されると、裁判長の訴訟指揮権を行使して遮ったり却下したりするといった場面がしばしば見られた。
最も有名なのがアメリカ人弁護人のベン・ブルース・ブレイクニー及びジョージ・A・ファーネスの「事後法で人を処罰することは出来ない」といった旨の弁論に対しても、「全ての動議を却下する。その理由は将来闡明にする」として裁判を続行させたケースである。
また清瀬一郎の「この裁判(極東国際軍事裁判)はいかなる根拠において実施できるのか」という質問に対しても「後から答える」とだけ述べて休廷し、その後回答することはなかった。
中国通州市で中国の保安隊が日本人居留民に対して略奪、暴行、凌辱、殺戮など残虐の限りを尽した通州事件についても却下している。
2017/4/4(火) 午前 0:29 [ 歴史&環境&公徳心ツアー ]