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南相馬で感じたことは色々ある。
人々の怒りは、国や県や市、東電などに
対するのはもちろん、震災直後の混乱期に
陸の孤島となった時の企業(運送、郵便、
宅配、銀行など)の対応などにも向けられた。
ただ、その批判は、平常時に効率よく機能
するように作られたシステムが、緊急時に
働かなかったことに対するものと同時に、
マニュアルに縛られて臨機応変に動けない
個人の弱さへの苛立ちというものも多く
含まれているように僕には思えた。
南相馬の状況は特殊で、それを理解できない
上(中央)の判断では適切な対応はできず、
現場にいるものでなければ対応できない
ことだったのだろう。
「組織に縛られた人間は、個人の判断
では動けない」
このことは緊急時に大きな弊害となって、
時には致命的なこととして結果に現れる。
この国は、いつのまにか教育から
始まって、社会の隅々まで組織化され、
効率やマニュアルや経済性によって
がんじがらめになっていたのだ。
この高度に官僚化されたシステムに
知らず知らずのうちに組み込まれ、
システムに仕える従順な人間として
社会に無関心で自分で考えることが
ないようしむけられていたのだ。
「人生をみつめる力」が強くなった
人たちは、そういうことにも敏感だ。
そこに内包する矛盾や欺瞞、
ことなかれ主義を見抜いて、
自分たちでできることは、自分たちで
動こうとする人たちも現れ始めている。
人と人がつながることによって
既存のシステムに頼らない新しい
ネットワークを作ろうとしている。
それは、これまであった市民運動などの
流れとも違う、もっと切実で柔軟で
「生きるということの意味」に直結した
新しい潮流となる可能性を秘めている。
右も左も与党も野党もない。
既存の組織や思想や宗教や哲学やカリスマ
にとらわれることなく、ネットワーク
としての力を持ちながら、組織としての
硬直性を持たない、個の強さに立脚した
もっと自由でアメーバ的な新しい潮流。
そしてそれは、南相馬だけではなく
全国で芽生え始めているようだ。
原発の問題は入り口なのだ。
原発によってあぶり出されている
この国のシステムを変えようとする
新しい潮流となるのかもしれない。
村上春樹はエルサレムでのスピーチで言った。
「私たちはそれぞれ、実体ある生きる存在です。
システムにはそんなものはありません。システムが
私たちを食い物にするのを許してはいけません。
システムがひとり歩きするのを許してはいけません。
システムが私たちを作ったのではないのです。
私たちがシステムを作ったのです。」
そして、
「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり
割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」
という姿勢に強く共感したものだが、
卵が壁を破ることができるかもしれないと
僕は今思い始めている。
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