|
明けましておめでとうございます。
|
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
こんにちは、皆さん元気ですか?
ブログ友から心配されて電話をいただきました。
ブログをUPするようにも言われた。。(ノへ^)うそ泣き。
元気で生きていますよ。(笑)
ブログのUPの仕方、、忘れているよ。。。
【花は咲く】 作曲 菅野よう子 作詞 岩井俊二
真っ白な 雪道に 春風香る わたしは なつかしい
あの街を 思い出す
・・・・・
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは 何を残しただろう
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く いつか恋する 君のために
|
|
「明日は絶対にやってくる」
ご無沙汰しております。
昨年の大晦日の夜は、故郷を思い泣きながらの大晦日でした。
自慢できる故郷、いとこと遊んだ故郷。。。震災後に行った故郷の惨状が
頭の中を駆け巡り、、、悔しくて、悔しくて、、涙が止まりませんでした。
新年になれば、あの「3.11」のカウントダウンが始まる。辛い。。
連絡がとれなかった数日、亡くなったいとこの知らせが届く。
あの日の事が思い出され、、辛い、悔しいで。。。涙の大晦日でした。
ブログの更新はほとんど出来ません。ツイッターで情報交換しています。
皆様、良い年を迎え、、健康で一年過ごせますように、お祈りいたします。
|
|
4月に故郷、陸前高田に行ってから、、、
間もなく3.11の震災・大津波から半年になろうとしています。
今、故郷はどのようになっているのかと心配している毎日です。
ブログ友の「シタボ」さんが、今の陸前高田の写真をブログで
アップしていました。
「シタボ」さんに許可をもらい写真をコピーさせていただきました。
********************************
シタボさんのブログより
シタボさんのブログより
「陸前高田、薬王堂あたりです。ここは田んぼではありません。県立高田病院や多くの施設があったのに…。
陸前高田市は…何回通っても涙がでて止まりません。」 シタボさんのブログより
「キャピタルホテル1000の手前から撮ってみました。高田松原の砂浜も、7万本の松林も海の家も民宿・お土産屋さんも…全て無くなり海になってしまいました。ホテルは海の上に立っています。」
シタボさんありがとうございました。
このリンクは→ シタボさんのブログです。
*********************************************
このホテルから海岸まで数百メートあった。
防波堤があり、その向こうに7万本の松の木、そして、三陸では
珍しい広い砂浜、、、、
全てが、、、、、、
あれから半年がたつのに、、、変わら惨状。
写真を見て悲しくなり涙が。。。
「忘れてはいけない3.11」
「忘れないでほしい3.11」
ニュースで知るよりも現地で悲惨な惨状を感じてほしい。
今、カラスはツイッターで陸前高田関係のアカウントをフォローして
現地の今を感じています。
また、現地のアカウントをフォローすることにより、再度、津波が来た時の
情報がすぐに得られると思っています。
3.11直後、連絡がつかない、現地の情報が入らない辛さが少しでも
少なくなると思っています。
カラスもツイッターでブログの過去記事や写真を入れてつぶやいています。
残暑がまだまだ厳しいです。
皆様、体調管理に気をつけて下さい。
|
|
東北道の一の関ICから陸前高田に向かう。
頭の中に現地の地図があるので、海から
4〜5kmぐらいまで津波が来ていると
思って向かうと、、、
こんなところ(相当手前)までがれきが有って
津波が想像以上の勢いだったことが分かった。
![]() ニュース等で知る情報よりも現地は酷かった。
想像以上に破壊された街。
幹線道路は、自衛隊の方々が頑張って通行出来る状態だけれど、
所々で迂回する。
通れると思った道も地盤沈下で水がたまり、迂回すると
がれきの山で先が見えず、、進むと袋小路になっていて
通れなかったり。
2年ぶりに行った現地は、目印になっていた建物が無く
ガレキで方向が分からなくなってしまう。
破壊された街には殆ど人がいない。。。
綺麗だった松原が無い、防波堤が無い。。。。
街から見えることも無かった波が見える。
![]() 家は大丈夫だった。
海岸の松の木もガレキも家まで流れていた。
流されてきた人を助けるために畳を担架代わりに使ったと
畳が無いところが有った。
![]() 親戚はいとこ以外は無事だった。
親戚の叔母さんが運転している車が渋滞にはまって動けない
でいた。親戚の叔母さんの家は、幹線道路から外れるところに
あって右折が出来ないでいた。
やっとの思いで右折出来て家まで戻った。。。。。
幹線道路で渋滞で動けなかった車が相当流されてしまったと、、
話していた。
ここまでは来ないだろうと思った津波は大勢の人を奪った
ようだった。
ニュースでは伝えられていない、、現地の話は凄い、、、
![]() そこら中のガレキ、、、どのように片づけられるのか?
ライフラインも完全ではない。
働く場所も無くなった。街。未来が見えてこない。
働く場所を求めて、人は街を去ってしまうのか、、、、
復興には相当の歳月がかかってしまいそう。
ニュースで知る、お店の再開、支援の輪、、、、嬉しいけれど
それは、ほんの一握り。。。。
大きな避難所での不便さ、、、、
小さな避難所での苦労、、、、、
避難所ではなく自宅で生活している被災者の苦労
被災者の皆さん。
東北人は口数が少なく我慢強いけれど、、、
辛いことをニュースで取り上げられるぐらいもっともっと話して
現地の悲惨さを知り、
そして、亡くなったいとこの奥さんに頑張って、、
とは、とても言えなかった。
別れるときは、元気でと、、元気でいることが支援してくれた
方々の恩返しになるからと、、、、
帰りは盛岡の叔母さんの家に泊まる。
盛岡の駅、、、観光客も少なく寂しい。。。
お土産売り場の店員さんに現地の話をすると
涙を流して聞いてくれた。
地震直後は停電し盛岡の叔母さんも陸前高田にいる
姉妹にも連絡がつかない。。。。
とっくに津波が押し寄せて大被害が出ている時刻でも
海岸に津波が押し寄せてくるもようですとラジオがアナウン
スしていたと。
壊滅状態だから現地からの情報も入らなかったようだった。
帰る朝、、、一人で叔母さんの家の近くを散歩していると
陸前高田の想像以上に破壊された街、、、そこで暮らしている
被災者が頭に浮かび、、、涙が止まりませんでした。
忘れてはいけない 3.11
|









