さいたマニア

埼玉初心者が埼玉の映像を紹介するです!

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 久しぶりに「埼玉の人物」です。「さきたまの丘から」の「この人を語る ―高林謙三―」(企画:埼玉県、制作:テレビ埼玉、1983年制作、20分)。製茶機械を発明した人です。
 彼は天保3年(1832年)、現在の日高町に農家の長男として生まれました。貧しさから脱却する手っ取り早い方法として彼が選んだのは医者。近くに住む国学者であり医者であった権田直助という人のもとで修行をし、さらに佐藤尚中(しょうちゅう)に師事、26歳で川越で外科医を開業します。医者としてはかなり繁盛していたらしく5年で山林を買って自らお茶の生産を始めるようになります。
 この時代、外国との貿易が始まり、お茶と生糸が輸出品の代表的なものでした。しかし当時のお茶はすべて手作業、低い生産性と高い需要の中で彼は、「機械化しか道はない」と考えるようになります。お茶の生産から製茶機械の発明に切り替えたのです。この時代の若者はどうやら「憂国」の志に燃えていたらしく、彼は後進国・日本を経済力で競争力をつけようと、そのためには私財も投げ打つ気持ちだたったようです。
 彼は明治18年に製茶機械の原理で特許を取得、その原理は現在もなお利用されています。高林式製茶機械は、「粗揉機(そじゅうき)」、「揉撚機(じゅうねんき)」「中揉機(ちゅうじゅうき)」などというお茶作りのプロセスを想像できるような名前をもつ機械。彼はこれらの機械をもとに自宅に伝習所を開くと、3府28県から数千人の人々が集まったといいます。ここで学んだ職人たちはそれぞれ郷土(くに)に帰ってその技術を活かしていきます。しかし、皮肉なことに地元である埼玉・狭山では機械を取り入れようとはしませんでした。「味の狭山」に機械を入れたことで味が落ちてしまうのを恐れたのと、当時の
茶師はプライドがおそろしく高くて機械を受け入れる状況になかったようです。さらに機械化した当初は、「職工の不慣れで・・・」輸出の元締めから不良品の評価を受け、返品の憂き目にあったり、自宅が火事で全焼してしまったりと不遇のどん底にありました。
 彼は逃げるようににて東京へ移り住みます。この時69歳。しかし、静岡から製茶機械化の監督を依頼されてようやく日の目を見ることができるのですが、わずか2年、71歳で静岡で他界してしまいます。彼の功績が認められるのは大正に入り、狭山でようやく機械化を受け入れるようになった頃でした。現在では完全に機械化され、むしろ手もみ茶を引き継ぐ職人がいなくなるのでは・・・という状況のようです。
 先覚者というのは人間の一生の時間では、大衆が理解する時間としては短すぎるのでしょうね。生きている時代は度重なる失敗や不遇の連続で、亡くなってだいぶたってから報われるというのは高林謙三だけではないと思いますが、気の毒です。これはさいたマニアの不勉強のせいかもしれませんが高林謙三という人物はこの番組を見るまで知りませんでした。この他にもこうした知られざる人物がテーマになった埼玉の映像を紹介していこうと思います。

 ところで、私は普段お茶を飲む習慣がないので「味の狭山茶」と言われても実はどんなにおいしいものかわかりません。こうして埼玉の映像を紹介していながら、経験がまったく伴なっていないと痛感しています。これでは何が「さいたマニア」かっちゅうことですよね。いっそのこと、映像紹介と一緒に登場する「モノ」を買える売店を、施設の隣にでも開いちゃえばいいのにね。だって、NHKのキャラクタ・グッズの販売店はあるんですよ。ここ。どうして埼玉県の特産品の売店はないんだろうと、ずっと不思議なんですけど。

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高林謙三の碑を見てきました。研究の苦労がこの記事でよくわかりました。
http://blogs.yahoo.co.jp/kaic0615/10313946.html

2009/2/14(土) 午前 1:28 [ 典和 ]

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