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一本の銀杏の木
2015年2月22日
この3月末をもって小さな幼稚園が廃園されることになった
この幼稚園は明治25年に建てられた「尋常小学校」が始まりであり、その後明治35年に「村立東尋常高等小学校」→本校の設立に伴い「仮教場」となり、更に「国民学校令」発令で「分教場」となった。
戦後は新学制により小学校の「分校」となった・・・阿公の同級生は東西二つの分校と本校の児童が2年生までは別々の校舎に通学していた。
この「分校」も昭和42年に廃止となり、其れ以後は幼稚園として継続使用されていたが、少子化と保育園に入る子も多く、数年前から廃止が云われていたが遂に本年度で廃園になることが決まっていた。
この銀杏の木は阿公の母(大正2年生まれ)が、ここの学校に通っていた時は小さな木だったと何度も阿公に言っていたのを記憶している
この看板から推定すると140年くらい前に植樹された物と思われるので、阿公の母が通っていた頃は苗木が少し大きくなった頃なので母の言っていた事とほぼ合致する。
この先この幼稚園跡がどうなるのか知らないが、百数十年間子供たちを見守って来たので、これからも「思い出の木」として残して欲しい
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昭和の記憶
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唐箕
2015年1月25日
今年の冬は天気の良い日が少ない、久しぶりに良い天気となったので少し遠くまで歩いてみた。
途中で農家の人が納屋を整理しているのに出会った、見ると昔は何処の農家にも有った木製の「手回し式唐箕」を表に出していた。
聞くと新しい電動の唐箕があるので処分する、欲しかったらどうぞと云う感じだが貰っても勿論置くところも無い・・・邪魔になるから焼却処分との事。
こう云う物はモノクロがよく似合う
ウォーキング中に見上げた今日の「飛行機雲」 東の空
西の空
7〜8本の飛行機雲が見えている・・・何処かへ行きたいな!
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「平和祈念館」
2015年1月17日
ブロ友さんの記事に「ちばてつや」氏の漫画「家路」を見て、満州引き揚げ時の悲惨な状況を思い出し、「滋賀県 平和祈念館」まで行ってきた。
ウォーキングを兼ね往きは少し遠回りしたので到着まで9,000歩・・・近くの台湾料理屋で昼食後入館。
大きな写真が展示されていた、この写真は終戦直後の「国民学校」卒業写真・・・窓は爆弾の爆風で割れ無くなっているのが分かる。
今回のテーマは「収蔵品が語る戦時の想い」
戦前、戦中に使われた軍用品や生活物資が展示されていた
阿公が子供の頃はこの様な軍服を着ている人を時々見かけた。
この飯盒と水筒は生還した兵隊が殆ど持っていたので、当時は多くの家庭に有ったと思う、もちろん阿公の家にも有った。
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「てみ」
2014年12月17日
先日の展示会で野菜を入れて展示するために、「み」を探してホームセンターや荒物屋さんを探したが、見つかったのは樹脂製の物ばかりだった、なんとなくヨメさんに聞いいてみると「有る」とのこと。
探し出して来たのがこの3個
「み」は「てみ」とも呼ぶが漢字の「箕」を使うことも有るようだ、正確には「み」が正しいとか。
裏には屋号とともに昭和三十年の文字も・・・阿公が8歳の頃です。
当時の物はしっかりした作りなので60年を経過しても立派に使えます。
今夜は寒い!
夜9時で既に-1.8℃まで下がっている、明日は初積雪が予想されているが・
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白骨船長の結末
2014年12月8日
色々な行事や出来事が重なって忙しかったが、少し時間が取れるようになった。
白骨船長の続きです・・・最後は如何にも「手塚治虫」氏らしい終わり方だと思います。
THE END
良い話でした・・・。
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