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ポンペイ
中学生の時に読んだ小説「ポンペイ最後の日」の舞台であるポンペイの遺跡を見に行く、この小説は映画化されたそうだが見た記憶はない
ナポリからポンペイへの船上より見る「ヴェスヴィアス火山」
この山がポンペイの街を火砕流で廃墟にし18世紀まで火山灰で埋没してしまった。噴火は西暦79年なので2千年近く前の出来事。
遺跡は火山灰に埋まっていたために、比較的状態もよく保存されている。前方遥か彼方に見えるのが「ヴェスヴィアス火山」、距離はかなりあると思われる、火砕流の恐ろしさが分かる。
此れは当時のカマド跡?パン屋さん?記憶は曖昧。
住宅の内部も残されている
街路の石畳、アッピア街道と同じように敷石が馬車の車輪で磨り減って窪んでいる。
この廃墟の先に見えるのも「ヴェスヴィアス火山」
この後ナポリで一泊し、ローマ⇒ミラノ⇒関空で帰国
南部イタリア紀行編おわり
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イタリア南部の旅
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青の洞窟
綺麗な青い光が見えることで有名なカプリ島の「青の洞窟」
阿公たちは陸路で「青の洞窟」入り口付近までやってきたが、船で来た人達はここで小さなボートに乗り移る。
所々に「浮き輪」があるのは乗り移る時、落ちる人が居て溺れないようにするため。
ここでボートに乗るのと、乗ってから洞窟に入る順番待ちが長いため、船で来た人の中には船酔いする人が出るらしい。
「本日は天気晴朗、波静か」
このボートに乗り移るのが結構危ない、両方の船が揺れるので落ちる人が居るとか。
陸路で来た人はここでボートに乗り移る、多くの人が海上と階段で待っているが指図する人が居て、混乱無く順次ボートに乗り移る。
少しでも波が高いと洞窟には入れない、冬季は確率的に悪いとの事、ここまで来ては入れなくても120€(当時1€=160円位)払わなければならないので運しだい、結構入れないことがあるらしい。
入る時と出るときは全員仰向けに寝そべる、そうしないと頭を入り口の岩にぶつける、船頭は巧みに櫂を操り入る。
洞窟内を一周するが船頭は「チップ、チップ」を繰り返す一人1€払えばもう一周してくれる。 残念ながら洞窟内の写真を撮る余裕は無かった、上の写真でボートの下側が青く見えるのが「青の洞窟」の所以。
帰路は大型のクルーザーで港に戻る、途中の崖に小さな洞窟らしき物が時々見える。
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ナポリ〜カプリ島
2006年5月
ローマを後にしてイタリア南部のナポリに向う、ここから船で「青の洞窟」と「カプリブルー」の海で有名なリゾート地、カプリ島に渡る。
「サンタルチア港」の「卵城」近くの港から船は出港、この船の中で前年ギリシャ旅行で一緒だった東京から来た人に会う、奇遇のことで驚く。
エーゲ海の島々を思わせる風景
空も海も見事な「カプリブルー」
「青の洞窟」に行くために陸路で島の道路を行くが、狭い道をバスやリゾート客の車が往復するので混雑する。
島にある古代遺跡?
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バチカン博物館
2006年5月
バチカン博物館は人気が高、く早朝から沢山の人が行列を作る。
その上テロ防止の為、航空機の搭乗並みのチェックをするので中々列は進まない、先頭は遥かな向こう。
ここで気になったのは先進国イタリアでしかも、カトリックの総本山で有るにも拘わらず「物乞い」が居たこと、同情を引くために酷い姿をしている。
入り口近くの彫刻
入館すると他の博物館と違い写真は禁止されていないので好きなだけ写真を撮ることが出来る、天井も壁も「絵」ばかり。
有名な絵画(壁画)が沢山展示されている。
昼食はタクシーに分乗して、仲良くなった人たちとオープンカフェで食事、勿論ピザとビール。
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アッピア街道
2006年5月
「全ての道はローマへ」
ローマの「カラカラ浴場」付近から古代ローマ時代の道路が伸びている「アッピア街道」で2300年前に施設が始まった道路、現在もローマの一部に現存していて通行可能。
映画「スパルタカス」の終盤、捕らえられた奴隷が十字架に架けられて延々と続く場面があるがあれも「アッピア街道」
街道はナポリまで続いていたとの事、ローマの遺跡としてはあまり日本では有名ではないが今回行って見たい場所のひとつ。
現在はほぼ平行して新しい「アッピア街道」が作られている。
街道の所々に残っている古い遺跡の一つ
今も道路として利用されているが車で走ると上下にかなり揺れる。
敷石は硬い火成岩だが当時走っていた馬車の車輪で敷石が窪んでいる。
アスファルトで舗装されたり、違う敷石が敷かれたりして場所により路面は多少異なる。
ここには写っていないが「マイルストーン」はこの街道が始まりとの説もある、日本の路程標(一里塚)。市街から少し離れると閑散としていて通行人や車もあまり見ない。
街道には崩れかけた監視塔のような建築物が多く残っている。
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