或るだいちゃんのブログ

読んだ本や行ったところ/思ったことの備忘録です。

原発

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荒ぶる神

『呪いの時代』(内田樹著、新潮社)の第10章の題は「荒ぶる神を鎮める」で、福島原発問題を取り扱っています。

この章における内田先生の御指摘は広範にわたりますが、私が着目したのは以下のような点でした。

・「想定外」のものを作り出すのは「想定する主体」、すなわち人間である。危険を警告することが直接自分の利益を損なう場合に、学者たちが電力会社と自身の利益を損なう方向で安全性評価をするということは心理的に困難であるということを勘定に入れておかなければならない。

・「事故が起こらなければ儲けの多いビジネス」に従事している人々は必ず「事故が起こる可能性」を低く見積もるようになる。最初は「事故が起こりませんように」という願望から出発するのだが、それがやがて「事故は起こらない」という信憑に変質する。人間はそういうものであり、そういう人間の心理的弱さを勘定に入れて制度は設計されなければならない。

・私たちが共同体として生きてゆくために必須の資源を「社会的共通資本」という。自然資源や、交通・通信などの「社会的インフラ」、司法・医療・教育などの「制度資本」が含まれる。これらは、どのような政治的正しさとも費用対効果(マーケット)とも無関係に、フェアで合理的な管理システムのもとに、国土の安全と国民の幸福だけを配慮する価値中立的な立場を貫く専門家によって管理運営されなければならない。

・危機的状況というのは、必要な資材がなく、必要な人員がなく、必要な情報がなく、必要な時間がないということである。日本のエリートたちは「正解」がわからない段階で、自己責任・自己判断で「今できるベスト」を選択することを嫌う。誤答を恐れる、正解がわからないときは「上位者」が指示してくれるまで「じっとフリーズして待つ」という受験エリートの通弊である。

・教育理念や教育方法は均質化・規格化すべきでない。全員が同質的で、数値的な能力差だけがある「格付けしやすい社会」の最大の欠陥は、「想定外」の入力に対応できず、わずかな躓きで崩壊することである。「付和雷同」は日本の最大の強みであり、最大の弱みである。

・震災後の日本社会は「金以外のもの」を行動準則に採用する人々によって担われてゆくことになるだろう。それは、市民たちの経済的な行動がローカルに、あるいはパーソナルに「ばらけてゆく」ということであり、それは東京一極に資源が集中し、国民全体の価値観が「東京規格」に準拠するといういまの社会のあり方のラディカルな再編をもたらさずにはおかないだろう。

これらは、原発事故の問題を発端に書かれている内容ですが、いずれも、企業のガバナンスや政治・行政など他のいろいろな問題に応用可能な指摘になっているところがすごいと思います。
 


 

また原発2冊

今日は、日帰りの出張で、飛行機で往復してきました。
折りしも、旅客機が背面飛行して急降下するという、想定外の事故が報じられた当日で、もともと高所恐怖症の私としては内心どきどきしながら、読書をさせていただきました。
 
どんなに確立された技術であってもヒューマンエラーが不可避であるということを、改めて痛感します。
 
1冊目の『原子力発電がよくわかる本』(榎本聰明著、オーム社)は、東京電力で柏崎刈羽原子力発電所長や本社の原子力本部長などを歴任された著者が、平成21年に執筆した本です。
 
申し訳ないのですが、本の題名と実際読んだ感想は全く正反対のものでした。
理科系の学者・技術者さんが、御自分の難しい専門の話を一所懸命に教えてくださる、でも聞いている方はまったく話がわからないし、そもそもそんなことを聞きたいわけではない、というあの感じです。

この本で指摘されている原発の優位性・メリットとしては、次のような点がありました。
・化石燃料の枯渇や価格上昇の問題
・既存エネルギーによる環境問題(地球温暖化やダム建設など)
・原発は廃棄物量が相対的に少ない
・原発は安全
・経済・環境・社会の各要因からみて、原発の発電コストは小さい
・使用済み燃料はリサイクルできるし、安全な処分場確保も可能
・軍事利用は国際的に歯止めがかかっている


2冊目は『原発を終わらせる』(石橋克彦編、岩波新書)です。反原発派14名の筆者による共著です。
前の本に引き続きこの本を読み終わってみると、「推進派も反対派も相手が100%間違っているというイデオロギー対立になっている」という、内田先生の御指摘がまさにあてはまっていると言わざるを得ないように思いました。
原発について、前の本では「科学的に安全だ」と主張され、この本では「科学的に危険だ」と主張されているわけですが、おそらく、どちらも嘘はついていないし、双方の言い分がそれなりに正しいのだろうと思います。
けれども、こうした科学者・技術者の話を聞く側=私が、自然科学・技術の一面的な側面、つまり科学は物事をある一面から切り取っているものだ、という前提に立って、彼らの話を聞き、考えなければならないということなのか、と思うに至りました。


『原発を終わらせる』の中にあった飯田哲也さんの指摘は、原発問題にとどまらないものとして、備忘のため書きとめておきます。

・日本の環境エネルギー政策が、根強くこうした「二〇世紀型パラダイム」に留まっている深因は三つある。
 第一に、政策を支える「知」が、欧米の常識や現実から隔離され、過去の経験・知見や他分野・他領域から隔離された「知のガラパゴス」とも呼べる状況にあることだ。
 第二に、青木昌彦氏がかねてより指摘する「仕切られた多元主義」の弊害が、ますます加速しているのではないか。各省庁が独立王国のように政治的決定を繰り返す。(中略)
 そして第三に、もっとも構造的な問題は、日本の一〇電力体制であろう。(中略)それぞれの地域を唯一の電力会社が独占する「地域独占」と、発電から送電、配電、売電までの機能を一つの電力会社が独占する「垂直統合」(機能の独占)である。(中略)こうした「二つの独占」を維持している状況は、世界的に見ると極めて異例なことといえる。

・まず「本質的な問題」として、国民負担の大小を前面に出して判断を迫る、視野の狭い経済成長主義の問題がある。そこには、経済の仕組みに社会的費用を織り込むこと、将来世代に対する予防原則の姿勢、GDPという指標自体がとくに日本のような成熟経済においては国民の幸福を必ずしも表象するものではないこと、といった基本的な視点が欠けていた。(中略)経済成長の原動力として、過去に行われた公害規制や自動車排ガス規制が産業にイノベーションを引き起こし、経済成長を促してきたという「ポーター仮説」が重要である。

・北欧などでは、そうした市場主義と環境思想、環境政策の上手な統合が進んだ。そうして、市場メカニズムを活用した柔軟な環境政策である「エコロジー的近代化」への流れが生じたのである。エコロジー的近代化では、政策決定の様式も「環境アセスメント」に代表されるように、マルチステークホルダーの参加を得て、事実に基づいて、科学的・合理的に議論を進めていく政治文化に変わった。

・もう一つの重要な要素は、人間社会の目標である「幸福」と環境影響を現実的に切り離す戦略ではないか。これには、
 ①環境影響とエネルギー・資源との関係
 ②エネルギー・資源と経済との関係
 ③経済と豊かさ・幸福との関係
という、三段階の「切り離し」(トリプル・デカップリング)戦略が必要であり、また現実的にそれぞれ可能である。

 

原発2冊

 
1冊目は、『緊急解説!福島第一原発事故と放射線』(水野倫之、山崎淑行、藤原淳登著、NHK出版新書)です。
 
3月11日以降、テレビで毎日お顔を見ていた解説委員・記者による、解説本です。
さすがお仕事柄、文章はとてもわかりやすく書かれているのですが・・・。
あの頃、彼らが画面でしゃべることを、それこそ毎日のように、真剣に聞いていた(聞こうとしていた)私としては、今回の福島原発事故について、あまりに他人事のように書かれているのに呆れました。
たとえば、1号機が水素爆発したとき、NHKのカメラはそれを写していたし、彼らはそれを報道すべき立場にあったはずです。
この本では、こう書かれています。
 
「爆発が起きてから、情報過疎は続きます。このときの政府の対応は、必ず検証されるべきだと思っています。午後5時ごろ、ようやく緊急会見をした枝野官房長官は、「なんらかの爆発的事象が確認された」というようなことを説明しました。それは、テレビの映像を見ればわかる。みんなが聞きたかったのは、どこまでわかって、どこからがわからないのか。そして、今この時点でどうしたらいいのかです。(中略)私は、1号機の爆発から夜8時の会見までを「空白の5時間」と位置付けています。政府は、あの映像を見せられた福島第一原発の近隣の住民たちがどんな気持ちでいたのか、そこに思いを至らすことができていたのか、と問いかけたいです。」
 
我々からすれば、「あなたも(菅某とか、枝野某とかと共に)当事者だったはずですが?!」と聞きたい文章です。上の文章の著者は、「政府が発表したことしか報道できない」という前提を(おそらく無自覚に)おいています。報道機関としての使命を忘れ、情報過疎、「空白の5時間」を作ったのは、著者自身でしょう。
彼らには、まったく悪意はなく真面目そのものだと信じたいですが、残念ながら自分たちが「原発ムラ」の一員になってしまっていることに気付いていない、と考えます。本を出版して印税を手に入れた代わりに、ジャーナリストとしての恥をさらし続けるとは、お気の毒です。
 
 
さて、2冊目は『福島原発の真実』(佐藤栄佐久著、平凡社新書)です。
著者は、汚職事件で最高裁上告中の、前福島県知事です。
本の内容は、著者が知事時代に、地元の原発をめぐって、東京電力や経済産業省や原子力委員会等といかに闘ったかという経過が中心です。
経済産業省がいかに姑息か、東京電力がいかに嘘つきか、原子力委員会がいかに無責任か、著者が知事在職中に起こったさまざまな事実の経過とともに、克明に描かれています。
もちろん、一方当事者の言い分ですので、鵜呑みにすることはできませんが、会議での発言や資料に基づいており、少なくとも一定程度真相を映し出しているだろうと考えます。
 
この本は、ある意味では、原発問題だけにとどまらない「日本病」を指摘している面があります。
 
・ 日本社会の権力理解は、「構造化されたパターナリズム」。「よらしむべし、知らしむべからず」。ガバナンスとコンプライアンスの透明化がまったくなされていない。
・ 一度決めたら、作られた枠組みから大きく外れて議論することができない。予想と現実が大きく食い違っても、正しく評価できない(=アセスメントができない)。いったん出発すれば、そこに既得権益が生じるからやめられない。
・ 信用できる専門家とは、よい情報も悪い情報も、包み隠さず示し、その意味を納得のいくように説明し、説明の質が外部からの評価に耐えうるような専門家である。
・ 「使用済み核燃料の処分方法について、歴史の批判に耐える具体案を持っている人は誰もいないのである。責任者の顔が見えず、誰も責任を取らない日本型社会の中で、お互いの顔を見合わせながら、レミングのように破局に向かって全力で走っていく、という決意でも固めているように私には見える。大義も勝ち目もない戦争で、最後の破局、そして敗戦を私たち日本人が迎えてからまだ七〇年たっていない。これこそが「日本病」なのだと私は思う。」
 
私は佐藤氏の汚職事件についてはまったく知見がありませんが、仮にこの本を書いたのが(ゴーストライターとかではなく本当に)佐藤氏本人だとすれば、こういう文章を書く人がわいろを受け取るとは思えない、という感想を持ったことも、敢えて付け加えます。
 
 

原発=一神教?

 
『大津波と原発』(内田樹・中沢新一・平川克美、朝日新聞出版)の読後感想です。
 
この本は、4月5日のUstreamで配信された「ラジオデイズ」での3人の鼎談を本にしたものです。
まだ、津波と原発の被害全容が明らかになっていなかった、4月5日時点での議論という限界があったと思いますが、私が興味深いと思った御発言をいくつか拾っておきます。
 
中沢氏「太平洋戦争の敗北でも折れなかった「なにか」、戦後には別のかたちをとって発展を遂げていった「なにか」が、今度こそはボキッとくじけて、そこからさてどちらの方向へ芽が出ていくだろうかというまことに重要な分岐点に今、来ているんだと思います。」
 
中沢氏「成長神話自体が、原発の安全神話みたいに壊れてくる。(中略)それに、クリーンなエネルギーを使ってクリーンなロハス生活をして、エコな社会をつくろうという「エコ幻想」も、同じように意味を持たなくなっちゃうんじゃないかなあ。」
 
中沢氏「事故を起こした原発に対してまで、プリコラージュをやっちゃうというところがですね、はしなくも日本人とは何者なのかということを露呈させています。ぜんぜん違うレベルの現象に対して一所懸命に、応急処置をほどこそうとしているけれども、根源的問題にはちっとも触れていない。(中略)明治以降、ヨーロッパの化学・技術文明や経済システムや国家機構などを取り入れたんだけれども、いつも理解は表層だけでとまってしまった。(中略)この原理というものに対して科学者も技術者も手つかずのまま放置して、無思考のまま来てしまったということでしょう。」
 
内田氏「新しいテクノロジーを導入するときはさ、そのテクノロジーのマイナス面というか、それに随伴してくるさまざまなコストとかリスク・ファクターについては、考えたくないんだよ。(中略)テクノロジーの未来予測については、人間は必ず安全性を過大評価し、コストを過小評価する。人間というのは「そういうもの」なんだよ。」
 
平川氏「つまりそのへんのことの全体のことをわかっている人間がいない、と。なんで全体像を知っている人間がいないんだ、ということですよね。(中略)その全体を知っている人がどこにもいないというようなことが、ひとつの大きな問題だと思うんですよ。」
 
内田氏「原発の場合においては、推進派と反対派は、どっちもイデオロギーなんだよね。(中略)両方が自分の言うことは100パーセント正しく、相手の言い分は100パーセント間違っているというイデオロギー的対立に追い込まれていく。(中略)リスクに対して「備えをなにもしていない」ということによって、安全性を世界に向かってアナウンスしていくという、なんだかめちゃくちゃな構図になっている。」
 
平川氏「そういう生態圏以前にあったというか、生態圏の外にあるエネルギーをそもそも人間がコントロールできるのかという問題がひとつあると思います。(中略)この原子力技術は誰も責任の取れない技術なんだなと思った。」
 
中沢氏「第7次エネルギー革命のいちばんの問題点は、これが大量生産と大量消費による経済成長をもとめる産業界と結びついて、ひとつの盲目的なイデオロギーを形成してきたということなんですね。それは単一化をすすめるモノイデオロギーを形成しますが、それはモノティズム(一神教)の思考法の変形版で、単一原理を蔓延させていこうとしています。」
 
内田氏「日本における神様というのは、さっき中沢さんは「習合」とおっしゃったけれどもさ、ステークホルダーをやたら多くすることによってがんじがらめにするというシステムなんだよね。(中略)あるプロジェクトの利害関係者が増えれば増えるほど、そのシステムは安定するというのは日本人のある種の経験知なんだと思う。(中略)一神教の文明の中には、恐るべきものをどうやって制御するかということについては伝統的なノウハウが血肉化していると思うんだよ。(中略)日本人は日本人独特のしかたで荒ぶる神を制御しようとするんだけれど、「恐ろしいもの」を「あまり恐ろしくないもの」と見境がつかないように「ぐちゃぐちゃにする」というのが日本的なソリューションだから。」
 
少し前ですが、8月9日の東京新聞朝刊で『非現実的な夢想家として』と題した、村上春樹氏のカタルーニャ賞授賞式におけるスピーチが全文掲載されていました。
 
海外でこのような素晴らしいスピーチをできる日本人がいることを誇りに思いますし、村上さんのファンであってもなくても、できる限り多くの日本人に知ってもらいたい内容だと感じました。
(かく言う私自身も、偶然、教えて下さった方がいたおかげでこのスピーチを読むことができたのですが。)
 
大変恐縮ですが、私なりにスピーチの内容を要約させていただきます。
 
●日本人は多くの自然災害とともに生きてきた。日本語には「無常」という言葉があり、いつまでも続く状態=常なる状態は一つとしてない、という意味である。すべては過ぎ去っていくという視点は、人が自然に逆らっても無駄だという、あきらめの世界観であるが、春の桜など、日本人はあきらめの中に美を見出してきた。日本人はそうやって生きてきており、復興に向けて立ち上がっていくであろう。
 
●しかし、建物や道路を修復するのとは異なり、原発の被害から立ち直ることは容易ではない。福島原発の悲惨な事態をもたらしたのは、電力会社や政府が対策を怠るという過ちを犯したからである。しかし、この歪んだ構造の存在をこれまで黙認してきた我々自身をも糾弾しなくてはならない。日本人は歴史上唯一核爆弾を投下された経験を持つ。広島の慰霊碑に刻まれている「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」という言葉には、我々は被害者であると同時に加害者でもあるという意味がこめられている。
 
●原発は、「効率」を理由に国策として推進され、電力会社は原発はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきた。既成事実化されてしまった原発に疑問を呈する人々には「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られた。原発を推進した人々が主張した「現実を見なさい」という「現実」は、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それが「現実」という言葉に置き換えられ、論理のすり替えが行われた。
 
●原発事故は、日本の「技術力」神話の崩壊であると同時に、「すり替え」を許してきた我々日本人の倫理と規範の敗北でもあった。電力会社や政府を非難することは必要なことだが、同時に我々は自らをも告発しなければならない。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるということを厳しく見つめなおさなくてはならない。
 
●我々は核に対するアレルギーを妥協することなく持ち続けるべきだった。しかし、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまった。
 
●日本とカタルーニャの人々が、等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思う。それこそが、近年、様々な深刻な災害や悲惨なテロを通過してきた我々の、再生への出発点になる。
我々は夢見ることを恐れてはならない。そして、我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはならない。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならない。
 
 
この要約では、村上さんのスピーチの素晴らしさの半分も伝えられていないように思います。
原文は、新聞を切り抜いて大事に保管しておきたいと思っています。
 
 

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