格安旅(宿)と失敗だらけのがちゃ部屋

お金があろうがなかろうが格安旅(自己備忘録)

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戦国武将の中でも、一番槍・一番首を挙げる功績と言うのは、生死を分ける最前線にいるという事だ。つまり、戦いが激しさを増すと先鋒部隊は生き残れる確率が下がる。その戦いが終わるまで最前線は消耗し続けるわけである。
そういう意味では、指揮官と言うのは軍を掌握して指揮す立場上最前線に立つというのはかなりのリスクが伴うのだが、この水野勝成はそのリスクを負っても自らが最前線に立つという荒業を何度も行い、時にはそれが軍令違反となって、過少恩賞となってしまったことも多々あるようだ。
歴史上に残る大きな合戦でも、絶大な戦功をあげながら知名度がそれほど高くない理由にもつながっているのではないかと思われる。

さて、その水野勝成がどれだけすごいかと言うと・・・
・事実上の初陣となった第二次高天神上城の戦い(16歳)で石川康道隊に加勢し15の首を挙げる。その功績から織田信長から感謝状と永樂銭の旗印(信長はその戦いで最も活躍した武将にに与えているという)を与えられる(これに関しては、信元の時から使用が許されていたのだが、織田信長より直接勝成に感謝状が届いている事は事実である)。この本丸北西の戦いでは、味方の軍勢5000対江馬直盛率いる500と数で圧倒的優位な立場ではあったものの、決死の少数敵に対して15の首を挙げるというのは、いかに前線で戦ったかと言うのがわかる。通常の初陣では、配下の兵がお膳立てをしてその敵首を挙げるのが一般的なのだが、勝成は自らが先頭に立って突撃していくという勇猛さが垣間見れる。
なお、その戦いの際、天神社より神聖な渡唐天神像を奪うという太っ玉ぶりを発揮。

・天目山の戦い(18歳)に参加 この時は特に大きな功績は無かった

天正壬午の乱(18歳) 黒駒合戦で敵一万の兵に対し、大将の身で一人掛けを行う!内藤某の首級他300もの首を挙げる猛烈な活躍!配下の500の兵が慌てて後を追うという勇猛さ!
この黒駒合戦は、徳川家康を天下人にならしめた大きな合戦であり、北条方3万対家康方1万という数的に不利な中、しかも東西から挟み撃ちにされるという絶命のピンチ!背後を襲おうとする北条氏忠率いる別動隊1万に対し、勝成に出陣を知らせなかった先鋒隊大将の鳥居元忠よりも先に敵陣に突っ込み見事敵を撃退しただけでなく、元忠と主に北条側の退路を断つという逆襲に出て、徳川方の大勝利に大きく貢献。ただし、その軍令無視&大将の一人掛けを行った勝成の行動を、父(忠重)に咎められるのだが、それを仲裁した鳥居元忠自身も勝成に対し抜け駆けを行っていることから、その負い目もあり勝成を庇っている。

小牧長久手の戦い(20歳) 織田信長亡き後の豊臣(羽柴)対徳川の戦い 
星崎城攻略 ここでも、自らが先頭を切って城に突入。敵将の岡田善同が逃げ延びたため、城を占拠。
長久手の戦い その後、木幡城に移り敵方の三好(羽柴)秀次軍と戦う。その際、一番槍を挙げている。また、敵将で「鬼武蔵」とも言われていた森長可と一騎打ちを演じている最中に、同じく同族水野清久配下の鉄砲打名手杉山孫六が長可を討ち取っている。当初は、井伊直政の鉄砲隊が討ち取ったという誤報が流れたのだが、最も身近(一騎打ちの最中)にいた勝成の証言により、水野家の手柄に代わっている。この長可もまた、旧主君信長より活躍を称され、以後、勝成と同じ永楽銭を掲げていた。
この戦いの折、目を患い兜を被らず出陣した事を父に咎められ、その腹いせで単騎で白井備後守陣中に駆け込み、一番首も挙げ、その首を家康に直に差し出し手柄を称賛されている。この、軍令違反により父と反目、以後家康本陣の旗本衆と行動を共にしている。功績を直接訴える行為を咎めている父忠重の態度から、この頃の徳川家と水野家の力関係が以前とは大きく変わってきている事がはっきりと伺えるものの、従兄弟とはいえ年上の家康が勝成にかける情は、以後も続いている。
蟹江城合戦 家康本陣にて旗本衆と共に戦功をあげる。父からの出陣停止処分を無視し、敵の水軍大将九鬼の軍船に乗り込真っ先に乗り込み2艇奪取。また、敵将滝川一益の子(三九郎)と一騎打ちに勝利(三九郎は逃亡)。また、勝成軍に属していた服部保英(服部正成の甥)は軍功をあげる。しかし、この合戦中にと、恩賞勘定方に提出した書類(自身の手柄+杉山孫六の件を直接勘定方に訴えるという、ある意味部下想いではあるのだが)を父忠重に報告した富永半兵衛を切りつけた(水野親子の喧嘩仲裁に入った半兵衛を巻き込んだとも言われているが)事により、奉公構い扱いとされてしまう。敵将なら幽閉という事になるのだが…それだけ重い処分であったようだ。大きな戦功を挙げたにも関わらず、以後勝成は表舞台から姿を消すことになる。ところが、事実は少々違ったようである。この富永半兵衛は実は軍用金を着服していた上、それを勝成のせいにしたのだ。半兵衛の讒言を信用した父忠重が勘違いして、勝成自身が非行を隠す為に半兵衛を切ったと激怒して奉公構いにしてしまったというのが事実のようだ。勝成のある意味正義が逆となってしまい、長い放浪生活が始まる事になる。現在のネット情報で,このあたりの真実がほとんど語られていない。「勝成覚書」で簡単にまとめられているので、そう解釈されてしまっている。他の史実で明らかになっているのだが、これこそ悲運としか言いようがない。(続)

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