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『苦渋の放置』とは、日本語的に間違ってますよね? 福島第1原発 苦渋の90人放置 南西4キロの双葉病院
毎日新聞 4月26日(火)2時35分配信 東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院(福島県大熊町)の患者らが、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであることが分かった。県は病院に一時90人が放置された点などを調査しているが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定しておらず、今後も同様の問題が起きる恐れがある。避難の経緯で何があったのか。【藤田剛、茶谷亮、蓬田正志】 ◇バスで6時間 県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。 震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。 14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。 ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。 いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。 体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。 ◇3日間絶食 鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)と聞いている」と話した。 一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。 陸自に救出された約90人は同県伊達市や福島市の避難所に向かったが、その前後に計10人が死亡。福島赤十字病院によると、患者は3日間何も食べられずに脱水症状を起こしていた。 ◇冷え切る体 いわき光洋高校の患者らはその後、会津地方の病院などを目指した。うち21人が乗ったバスは15日に県立会津総合病院に到着。多くの人の体は冷え切っており、看護師の一人は「危ない人がいる」と叫んだ。同日夜以降、死亡する人が相次ぎ、4月11日までに計6人が亡くなった。 4人を受け入れた会津若松市内の老健施設でも、当初は看護師が「ばっちゃん、生きてっか」と呼びかけても反応がないほど衰弱していた。1カ月ほどして双葉病院の職員が訪れ、「見捨てたわけではない。連れて行けなかったんです」と原発事故の混乱を口にした。患者の一人は「では、なぜ今まで迎えに来なかった」と怒った。 ◇みとられず 4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。遺族の佐藤和彦さん(47)=富岡町=は福島署川俣分庁舎の駐車場で父久吾さん(87)の遺体と対面し、「誰にもみとられずに死んでいったのか」と涙が出た。 父の行方を捜して避難先の東京から連日、避難所などを訪ねていた。署で会った鈴木院長が差し出した死亡診断書は「3月14日午前5時12分死亡、死因は肺がん」。「本当にがんだけが理由か。なぜ、院内に放置したのか」と尋ねたが、「すいません」と言うだけで詳しい説明はなかった。大半の職員が避難した後、父はどんな状況で死んだのか。佐藤さんは「真実が知りたい」と訴える。関係者によると、死者はこのほかにも相次ぎ、計約45人に上るという。 ◇対策の想定外 国は新潟県中越地震などで高齢者らの逃げ遅れが相次いだことを受け05年、自力で避難できない高齢者ら「災害時要援護者」の避難支援ガイドラインを策定、市町村に要援護者のリストアップや避難支援計画の作成を求めた。大熊町は09年4月に同計画を作った。 だが、想定しているのは在宅の高齢者や障害者。病院や福祉施設の患者・入所者が一斉に施設外への避難を強いられたケースは異例で、「入院患者や入所者は施設で対応してもらうのが基本」(内閣府)だった。大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。 双葉病院の鈴木市郎院長は3月17、21日の取材に「原発の爆発があり、病院に戻れなかった。患者を放置したわけではない」と話した。その後は病院関係者を通じ「内部で調査が終わってから話したい」としている。 なぜ父の遺体が病院に放置されたのか、真相を知りたいご遺族に代弁させてますが、毎日新聞記者の考え方そのものでしょうね。医療従事者は、この看護師や看護助手のように患者さんの為に殉職しないと許されないのでしょうね。 津波 最後まで患者を守ろうとして…南三陸の看護師ら 2011年3月29日17時3分 朝日新聞 宮城県南三陸町で唯一の病院、公立志津川病院は、入院患者の半数以上を高齢者が占めるごく普通の地方病院だった。患者の命を救おうとして3人の看護師と看護助手が波にのまれた。 志津川湾に沿って走る国道45号に面した町営病院。東棟(4階)と西棟(5階)の2棟建てで、廊下でつながっていた。津波が起きた11日は109人が入院し、その半数が自分で歩くのが難しい65歳以上の患者だった。 ■水、5階のぎりぎりまで 午後2時46分。ガガガと横揺れが起きた。 東棟4階の405号室。勤務してまだ5日目の看護助手伊藤梓さん(24)が、先輩の看護助手、菅原若子さん(52)に付いて男性患者の手足をお湯で洗っていた。 洗面器の湯がばしゃばしゃとこぼれた。伊藤さんは冷静だった。「大丈夫ですからね」。菅原さんと一緒に患者を落ち着かせ、ぬれたパジャマの着替えを手伝った。菅原さんは伊藤さんに助言した。 「患者さんが不安にならないように目を離さないでね」 それが伊藤さんと交わした最後の会話になった。 ナースコールが鳴りやまない。廊下を点滴を持った看護師が行き来する。 「もっと上へっ」 星愛子・看護部長(55)らが声を上げた。防災放送が大津波を知らせていた。東棟にいた病院スタッフや患者は5階建ての西棟へ。 しかし、エレベーターは止まっていた。歩けない患者を引き上げるのは2、3人がかり。人手が足りない。階段ではパニック状態となった患者が、手すりを持ったまま階段をふさいでいた。力尽きてしゃがみ込む患者もいた。 悲鳴に似た声が上がった。 「波だ。逃げろ」 真っ白な横一線の高波が猛烈な勢いで押し寄せるのが病室から見えた。防潮堤を越えると、車や船を押し流しながら突進し、目の前のショッピングセンターが一瞬で泥の水に沈んだ。 「もう助からない」。菅原さんがそう思ったとき、患者を連れた看護師や看護助手、通行人らが駆け上がった5階のぎりぎりで水は止まった。窓からは患者の一人がベッドのマットレスに乗って流されていくのが見えた。 第1波と第2波の間、わずかに水が引いた。男性職員がずぶぬれになりながら4階へ。ベッドごと浮き上がるなどして息のあった10人余りの患者を背負って引き上げたが、それが限界だった。 3人の看護師・看護助手がいないことがわかったのは、5階会議室で点呼した時だ。1人は伊藤さん。そしてベテラン看護師の山内由起さん(40)と後藤弘美さん(46)の2人だった。 「私の言ったことを最後まで守ったのだろうか。目を離してしまったばかりに」 菅原さんは唇をかんだ。 5階まで引き上げることができた入院患者は109人中、42人。うち7人は翌日、自衛隊のヘリコプターが救出に来る前に、低体温状態となり息を引き取った。5階で死亡確認した桜田正寿医師(54)は言う。「ただただ地獄だった。地震から津波まで30分、できることはあまりに限られていた」 ■「太陽のように明るい子だった」 伊藤さんの遺体は津波から1週間後、病院内で消防隊に発見された。姉の角川理奈さん(31)によると、伊藤さんは「人の役に立つ仕事をしたい」と言って仙台市での仕事を辞め、南三陸町に戻ってきたという。千葉県に住む3歳のおいをかわいがり、夏に一緒にお絵かきをする約束をしていた。「あの子の性格から、最後まで患者さんをほっとけなかったのだと思います」 山内さんの遺体は25日に遺族によって確認された。病院から約2キロ離れた海岸で見つかった。看護服姿。薬指には夫の和也さん(45)が贈った指輪がしてあった。1人目の患者を5階まで上げ、さらにまだ歩ける患者を誘導しようと引き返したことが同僚に目撃されている。高校1年と中学2年の息子2人がいる。和也さんは「太陽のように明るい女性でした」と話した。 後藤さんはいまも行方不明のままだ。2男1女の母。長女(12)の小学校の卒業式を楽しみにしていた。津波が4階に達する直前まで患者に寄り添っていた姿が目撃されている。同病院の事務職員で、2階から5階に駆け上がって助かった夫の正博さん(48)は、28日の長女の卒業式に後藤さんの写真をしのばせて出席した。休みなく病院の残務整理をする毎日だ。(武田肇) |
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下品ですみません
また毎日がwwww毒電波wwwww
これくらいで十分だと思います。
2011/4/26(火) 午後 2:31 [ 宇宙コワイ ]
これって朝日が報じて、さんざん非難された(朝日が非難された)やつですか?
なんでまた今頃、、、
それも、特段の新しい事実が出ているのでもなく。
さすが毎日、バカさ加減がよく出ているとしか言いようがない。
2011/4/26(火) 午後 4:22 [ 町医者 ]
津波で流されない限り許さない!ってことなんでしょうか。
こんな脳内だけで都合よく形成されたアホ記事垂れ流すくらいなら、あの震災直後の、原発爆発後の現地に入ってご入院患者さんの移送のお手伝いくらいしてから書けと言いたい。毎日新聞よ、恥を知れ。
2011/4/26(火) 午後 4:42 [ Patapon ]
人の命に軽重はない。
誰の命も同じ。
で、しょうか?
マスゴミの答えは 同じ、、、です。
でも人を助けるには優先順位があります。
人を助けることの出来る人から順に助けます。
ホモサピエンスとして考えるに
まずは生産可能年齢の男女を助ける
次いでその子孫を助ける
・・・は最後・・・
が生物として見るに妥当だとは思います。
2011/4/26(火) 午後 5:04 [ whi*ebe*r*ki*ball ]
ええと、確か阪神淡路震災の時に、火災が発生し家財を運び出している家人が、取材中の某新聞記者等に「手伝ってくれ」との叫びに。「我々は取材しそれを伝える義務がある」と。言ったのですから。 でも、新人の方はてつだった方もいるようです。その方たちは、やめて行ったようですが。 人の不幸を食い物に出来ないようでは、報道者としては失格なのでしょう。
たしかドクヘリパイロットさんのブログに、あの震災を最初にヘリから報道したヘリパイロットであった方ですが、高速道路上に数人の救助を待つ人を発見し、違法な強行着陸を思うのですが、後部座席の取材陣は取材に夢中で気にもとめていないようで、雇われPであるので、残ねんした。 今でもあの情景が目に浮かぶそうです。 その件がありで、ドクヘリに移った。少しでも罪滅ぼし。
その時の取材陣はどのような罪滅ぼしをしたのでしょうか?。
まぁ。神戸の時は、いろいろ語り継がれていますので。
2011/4/26(火) 午後 8:39 [ omizo ]
うちの会社は市役所のOBを専務として迎え入れていますが、
津波当日、海底の見えた八戸港を前に
「これくらい、なんてことない。ここで仕事していろ!」
と自己都合安全宣言出してくれました。
元役人としては、震災にも動じない大きな人間を演出した
と言う感じたっだのでしょうが。
3月14日、ガセで流れた津波避難命令で、いの一番に逃げたのは
うちの専務であった事も付け加えておきます。
今回の震災対応で、色々と八戸市役所の職員が一番駄目でした。
マスゴミ以上に公務員は駄目です。
2011/4/26(火) 午後 9:49 [ 恥の戸市民 ]
恥の戸市民さん。そう言いなさんな。わが知事は、新型インフルエンザのおり大いに取り乱し、家族が発症したおりには、公務休職しています。 他に感染の確立があるからの理由ですが、自身が発症してから休職しても遅くはないのですから。インフルエンザは発症の1日前から感染力を持ちますし、仮に発症せず感染状況であった事を危惧なら、慢延期なら、みんな自宅待機になります。 新がインフルエンザワクチン接種にしても低収入者への公費負担はオカシイとまで言ってのけた人でもあります。 国が全額補充しろ。
2011/4/26(火) 午後 10:22 [ omizo ]
家族は無念でしょうね、理由が何であれ、普通の心情だと思います。
火災現場などでどうしても救助ができない状況を後から、「なぜ飛び込まなかったんだ」というのと、某新聞が言っていることは同じでしょう。
2011/4/27(水) 午前 7:58 [ はにほ ]
非難するなら、同じ状況を再現して記者も参加してみればいいですね。トランスだけとっても大変ですよ。
2011/4/27(水) 午前 11:11
ssd先生が取り上げた、毎日の記事です。
東日本大震災 避難先転々母死亡「長生きできた」長男無念
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110428-00000018-maip-soci
切り口は一貫してますね。(笑)
2011/4/28(木) 午後 3:36
人を助けることの出来る人から順に助けます。
ホモサピエンスとして考えるに
>>
まずは生産可能年齢の男女を助ける
次いでその子孫を助ける
・・・は最後・・・
が生物として見るに妥当だとは思います。
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早く復興されるようのぞみます。
被災者の方の健康も
今後、懸念されます。
私も東北に6年いましたし
同期も、派遣されています。
義援金、政府の早期の対応をきたいします。
2011/4/30(土) 午後 8:38 [ ker*y_a*l*n_jr ]