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プロ野球観戦中にファウル直撃 男性が楽天など提訴
確かに不幸な事故ですが…4月7日17時21分配信 産経新聞 仙台市宮城野区のクリネックススタジアム宮城で昨年5月、プロ野球の試合を観戦中にファウルボールが右目に当たり、失明寸前の大けがを負ったとして、宮城県大崎市の税理士の男性(47)が7日、球場を所有する県と球団を運営する株式会社楽天野球団に対し、約4400万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。 訴状によると、男性は昨年5月18日、同球場の3塁側内野席で家族と試合を観戦中、楽天の打者が打ったファウルボールが右目を直撃。右目眼球破裂とまぶたを切る重傷を負い、今年3月23日まで通院治療を行ったが、以前は裸眼で0・3だった視力が0・03まで低下するなど回復しなかったという。男性が座っていた席には防護ネットなどは張られておらず、ライナー性の打球がそのまま男性の目に当たる形になった。 担当の弁護士によると、男性は「ビールを席の下に置いて顔を上げたら、目の前にボールがあった」と話しているという。 アメリカの球場はネットすら無いのですが、その辺はどうなっているのでしょうか?
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「検察は“医療事故調”の通知を尊重」の意味
http://www.m3.com/iryoIshin/article/94894/外科学会で刑事課長が講演、「尊重せず」刑事手続に至るルートは残る 2009年4月7日 橋本佳子(m3.com編集長) 4月4日、福岡で開催された第109回日本外科学会定期学術集会の特別企画「医療事故への対応―医療安全調査委員会への期待―」で、法務省刑事局刑事課長の落合義和氏がシンポジストの一人として発言した。 落合氏は、「検察は医療事故に対しては謙抑的に対応しており、起訴に至る件数は年数件であり、ゼロの年もある。謙抑的なのは、検察の裁量によるのではなく、起訴に至る様々な段階において、医学の専門家の判断を基にしていることなどによる」と説明。その上で、「現在の医療事故の刑事裁判では、“鑑定合戦”になっている。また、一方的な見方で起訴され、裁判になっても結果的に無罪になった事例がある」と指摘、こうした事態を防ぐために診療関連死の死因究明組織である、「医療安全調査委員会」の早期設立が必要だとした。 「公正取引委員会と同様の仕組みは無理」 厚生労働省は医療安全調査委員会の設立を目指し、2008年4月に第三次試案、同年6月に大綱案をそれぞれ公表しているが、両案に対しては医療界から問題視する声が上がっている。 特に強い懸念が上がっているのが、調査委員会が故意などの事例については警察に通知する、つまり調査委員会と刑事手続が連想する仕組みになっている点だ。一方で、遺族から告訴された事例についても、調査委員会による事故調査が行われる場合には、「委員会の専門的な判断を尊重し、委員会の調査の結果や委員会からの通知の有無を十分に踏まえて対応することが考えられる」とされている。ただし、この点については第三次試案・大綱案そのものではなく、その解説としての記載にとどまるだけに、その保障はあるのか、疑問視する声は多い。 この点について質問したのが、北海道大学大学院医学研究科医療システム学分野助教の中村利仁氏。「『尊重する』というのはどんな意味か。公正取引委員会と同じ考え方なのか、異なるのか」と質問。独占禁止法違反で刑事罰を科す際には、公正取引委員会の告発を前提としている。 落合氏は、以下の法制上の問題があり、公正取引委員会と同様の仕組みにすることは難しいとした。 (1)罪刑法定主義の関係で、「医療事故については医療安全調査委員会の告発がないと起訴できない」という仕組みにするためには、医療事故とは何かという定義規定を置かなければならないが、その定義は難しいだろう。 (2)より本質的な問題で、独占禁止法違反のケースでは、いわゆる被害者はいない。あえて言えば日本国民全体が被害者。一方、医療事故の場合には被害者、遺族がいる。医療安全調査委員会の告発がなければ、起訴できない仕組みにすると、被害者側の告訴・告発権を奪うことになる。この点に関する国民の理解が得られるのか。 (3)公正取引委員会の場合は、最終的には委員長が国会に対して責任を負う仕組みになっている。医療安全調査委員会が同じような責任を負うことができるのかどうか。 つまり、あくまで医療安全調査委員会の意見を「尊重」する域を出ず、例えば、遺族が調査委員会の意見に納得しない場合、あるいは調査委員会以外の専門家の意見を聞くなど、調査委員会の意見を「尊重せず」に刑事手続が進むことも想定し得る。 「“医療事故調”があれば、まず原因究明をゆだねる」 法務省関係者が、医療関係の学会で発表するのは、あまり例がない。医療事故と刑事司法とのかかわりから、“医療事故調”に対する考えまで多岐にわたった落合氏の発言は以下の通り。 【法務省刑事局刑事課長の落合義和氏】 4点について、お話したい。1点目は医療事故と刑事手続一般について。医療事故においては、警察が極めて謙抑的な対応を取っているということ。2点目は医療事故における過失判断について。その要点は医療関係者、専門家による判断が極めて重要であるということ。3点目は医療紛争における現在の刑事司法の役割。事実関係の究明を刑事司法に最終的に任されている現在の状況が本当にこれでいいのか、ということ。最後は医療安全調査委員会に対する期待。医療安全調査委員会ができ、公平・中立な立場から鑑定結果が得られれば、その意見を尊重して検察は捜査、公判を行うのは当然のこと。 今、医療事故に関する刑事裁判では“鑑定合戦”になっている。刑事裁判では無罪になった例はあるが、医療安全調査委員会ができ、第三者の意見が前もって示されれば、不幸な事例はなくなるものと期待される。 1.医療事故と刑事手続一般について 昨今、医療と刑事司法のかかわりが非常に注目されている。そして時に両者が対立構造になっているかのような声も聞かれるが、医療も刑事司法も、社会を成り立たせるために必要不可欠な要素であり、医療紛争を解決するためには、両者が協力することが何より重要。 そこで医療事故に対する刑事司法の基本的立場だが、原則、抑制的、謙抑的な姿勢で臨んでいる。 医療事故における刑事手続の件数は、網羅的なデータがあるわけではないが、把握している限りでは、公判請求、つまり正式に起訴されて裁判で有罪・無罪が争われる事件は年間数件程度。年にゼロ件、あるいは年1 件の時もある。つまり起訴という事件は非常に少ない。また略式命令、罰金を求刑する事件も年間十数件程度。 そのほか、警察から事件として送致されるものがあるが、その大半は不起訴になっている。業務上過失致死罪に当たる疑いがあるとして捜査が開始されても、医療関係者などの専門家の意見を聞き、調べたところ、「やはり過失がない」ということで不起訴になったり、あるいは患者・遺族側に病院側が十分な説明をして、遺族側がそれに納得して不起訴になることも多いと承知している。 このように捜査当局の姿勢としては、「死亡事故が起きた」「結果が重大」ということで、必ず起訴するわけではないことを理解していただきたい。 (続く) 一方的な見方で起訴され、裁判になっても結果的に無罪になった事例がある」先日の東京女子医大事件が代表です。落合氏は、以下の法制上の問題があり、公正取引委員会と同様の仕組みにすることは難しいとした。遺族が調査委員会の意見に納得しない場合、あるいは調査委員会以外の専門家の意見を聞くなど、調査委員会の意見を「尊重せず」に刑事手続が進むことも想定し得る。予想通りの回答であり、木下常務理事が如何に嘘つきさが改めて際だちます。医療安全調査委員会の告発がなければ、起訴できない仕組みにすると、被害者側の告訴・告発権を奪うことになる。この点に関する国民の理解が得られるのか。ここは遺族団体が絶対に譲れない部分でしょうが、その他の国民の理解を得るのは無理ではないと考えます。 遺族団体を除く『多くの国民』は、被害者の告訴権の制限よりも医療崩壊の防止を望んでいると思います。刑事訴訟以外の遺族を慰撫するシステムの整備が遅れているのが最大の問題なのです。
遺族へのグリーフケアの不備や、 働き手を失った遺族や障害が残った患者の家族への社会保障の貧困さが、 遺族の怒りを医療者に向かわせているのです。 |
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(その1から続く)
http://www.m3.com/iryoIshin/article/94894/2.医療事故における過失の判断について なぜ検察が医療事故に対して謙抑的に対応しているかに関係するが、これは検察が一定の裁量を持ってやっているわけではなく、医療事故であるためにそうせざるを得ないということ。 検察が捜査・公判を通じて何をしているか。一つはどういう行為があったのかを証拠を持って集める。その次に、それによってどんな結果が生じたのかを明らかにする。3番目に、行為と結果との間に因果関係があるのかどうかを立証する。一般の刑事事件、いわゆる故意犯の場合は行為と結果、これらの因果関係、この3つを立証するわけだが、医療事故を含めた業務上過失致死罪ではさらに「注意義務違反」があったかどうかが最大のポイントになる。当該行為に具体的にどのような注意義務があったかどうか、注意義務があったとして違反があったのかが問題になる。注意義務の刑法理論は、予見可能性と回避可能性から成る。 医療事故の場合は、行為がどのように行われたのかは、カルテや医療関係者の話などを基に客観的に突き止めていく。結果自体は人が死亡した、何らかの障害を負ったなど、わりと明確だと思う。 問題は因果関係。ある手術で、A、B、C、D、Eという行為があったことが証拠上、立証できるとする。これら5つのうち、どの行為により、死亡という結果との因果関係があるのかを立証することが必要。この立証は、基本的に医療関係者を含めた専門家の鑑定によって行う。検察が独自で「これは因果関係がある」ということで、起訴した例は恐らくないと思う。もちろん、結果においても司法解剖を行い判断するが、さらに「死」という結果が特定の行為と因果関係を持つかどうかについても、専門家の意見がなければ事件としては成り立たないということ。 問題はさらにその次の注意義務違反。まず予見可能性。手術でA、B、C、D、Eという5つの行為があり、このうち「Aという行為が、死亡との因果関係を持つ」という鑑定結果が得られたとする。では、Aという行為を選択すれば、死亡、あるいは死亡に至ることを果たして予見できたのか。この予見可能性は、一般人を基に議論するわけではなく、あくまで医療関係者がその当時有している医学的知識を基に予見できたかを判断することが基準になっている。この段階で「予見できなかった」となれば、「過失はなかった」という認定になる。 一方、「予見できた」という判断になれば、「予見できたのに、なぜAという行為をやめなかったのか」ということが次に問題になる。通常の業務上過失致死事件の場合には、予見可能性があれば次のステップである回避可能性の議論に進むが、医療事故の場合には「予見可能性があった」というだけでは次のステップに進まない。予見可能性の判断は、前述の通り、当時の一般的な医師の知識に基づいて行う。したがって、裁判官を納得させるためには、「どうしてその医療行為を行った人は予見しなかったのか。どういう事情があったのか」を立証することが必要。実務上は予見しなかったことについて、「非常に重大な過失」「非常に悪質な場合」があって初めて、次のステップに進むことができると私は考えている。 通常の過失犯であれば、「予見可能性があった」というだけで次のステップに進む。これに対して医療事故については、高度な専門性を要し、また一般的な医学的知識が基になるため、裁判官を説得するためには、単に「予見できた」だけではなく、「なぜ予見できるのに次の段階に進んだのか、Aという行為を選択したのか」ということを説得的に立証しなければならない。そのために予見可能性があるのにAという行為を選択したことに、どのような事情があるのか、どこが悪質なのかということを立証しなければならない。 注意義務の次の段階で議論するのは、回避可能性。「Aという医療行為をすれば、死に至る可能性があることが予見できた」というだけでは「過失あり」ということにはならない。回避可能性、すなわちA以外の他の行為をすれば、事故を防げたのかということが問題になる。「その手術では、Aという行為しかあり得なかった」のであれば、Aという行為を選択したことについて過失犯とすることはできない。したがって、ここでも医師、医療関係者の意見を聞き、「Aではなく、A’であれば事故を回避することができた」あるいは「Aという行為を取ったとしても、それにプラスしてFという行為をすれば事故を防げた」といった立証が必要。法学上、これを回避可能性の問題と言っている。 通常の過失犯の場合は、回避可能性、つまり「A’」あるいは「AプラスF」の存在を立証すれば十分。しかし、医療事故の場合はそれだけでは不十分。「A’」あるいは「AプラスF」という行為をなぜ当該医療関係者が取らなかったのか、そのことについて裁判官を納得させるだけの理由がなければならない。取らなかったことについて、重大な、あるいは悪質なところがあったのかどうかが問題になる。ここでも一般的な医学的知識が問題になる。 要点をまとめると、因果関係の立証の段階でも、また注意義務の予見可能性・回避可能性の判断でも、医学的知識に基づく判断がなければできない。しかも、単に「予見可能性があった」「回避可能性があった」というだけでは医療事故としては前に進まず、「そうしなかったことについて、非難できる、何か悪質なことがある」という場合に、初めて医療事故として立件できる。したがって、検察が医療事故について謙抑的な態度を取っているというのは、何か検察に大きな裁量があり、その中でやっているということではなく、証拠を積み上げて事件になるかどうかを真摯に判断しているからである。 もちろん、医療は人を死に至らせるためにやっているわけではない。医師の崇高な使命を前提として、われわれは慎重にやっていることは言うまでもない。 3.医療紛争における現在の刑事司法の役割 現在、医療事故に関する紛争においては、刑事司法が一定の役割を担っている。それは、患者・遺族の側に、公平かつ中立な立場で真相究明を行ってほしいという要請があるからだろう。医療事故の事案の中で、患者・遺族からの届け出の中で捜査が始まるものがあるが、こうした事案では患者・遺族の多くは「誰か特定の人を処罰してもらいたい、刑務所に行ってもらいたい」ということで警察に届け出ることは、あまりないと私は思っている。 ではなぜ患者・遺族は届け出るか。「なぜ死亡したのか」「いったい何が起きたのか」を知りたいということが大きいのではないか。これは「病院側が事故隠しをしている」ということを言っているのではない。病院側が一定の説明をしている場合であっても、患者・遺族の方に聞くと「さらに詳しく知りたい」という気持ちになるようであり、病院側だけではなく第三者の立場、公正・中立な立場から事故の真相を教えてもらいたいという気持ちがあるのではないかと思う。 捜査機関としては、遺族、被害者の方からそうした真摯な要望がある場合には、何らかのことをしなければいけない。ところが、真相究明は大事だが、現状では医療事故にかかる紛争の最終的な「出口」、公正・中立な真相究明が刑事裁判でしか行われていない。すべての問題がそこに行き着く。そこで鑑定なしに行われることに最大の問題であると私は思っている。 逆に言えば、医療関係者自身が、あるいは設置が期待される医療安全調査委員会によって事案の真相が明らかにされ、それで患者・遺族に十分に説明されるのであれば、捜査機関によって真相究明してもらわなくてもいい、刑事手続きにもっていきたいという要請はかなり少なくなるのではないかと思っている。 もちろん、十分な説明を果たしたとしても、必ずしも患者・遺族に理解してもらえるとは限らない。十分な説明を行うかどうかということと、理解を得られるかどうかは必ずしもリンクしない。納得が得られるか否かにかかわらず、正式に説明する姿勢が大事なのではないか。われわれが捜査する際もこのことを心がけている。 4.医療安全調査委員会への期待 現在、提案されている医療安全調査委員会だが、検察としてはぜひこの委員会を設置してほしいと思っている。真相究明は一人の医師では困難。仮に可能だとしても第三者による捜査が求められる場合もある。 医療安全調査委員会では、事故原因の究明を行い、必要な場合には捜査機関に通知するという制度が想定されている。その際、委員会が病院や診療所などの規模や地理的環境、医師の専門性、医療機関全体の安全管理体制などの観点から、医学的・個別的判断を行うことになると聞いている。 このような仕組みがあれば、まずは委員会による原因究明にゆだねようと考えるようなると思う。そこで公正・中立に十分な調査が行われ、事故の原因が究明された場合には捜査機関としてはその結果を尊重することは当然だ。裁判になって“鑑定合戦”を繰り広げるのは、避けなければならないと思っている。一方的な見方によって起訴される懸念、あるいは不安をなくすことにもつながるだろうと思っている。 今後とも、法務省、検察庁としては、特に検察が医療事故にどういう態度を取っているかについては、なるべく分かりやすく説明して、ご理解いただきたいと思っている。私も本職は検事で、23年間検事をやっているが、医療事故を起訴したことは一度もない。様々な検察庁で働き、過失犯についてもかなり場数を踏んできたが、やはり医療事故は、裁判官を納得させる、そしてきちんとした証拠を得るためには複数の方、医師の意見を聞いて初めて起訴するということを厳守してきた。その意見を聞き、最終的な刑事処分を決めるということをやってきたことをご理解いただきたい。 検察が医療事故について謙抑的な態度を取っているというのは、何か検察に大きな裁量があり、その中でやっているということではなく、証拠を積み上げて事件になるかどうかを真摯に判断しているからである。これが現在刑事訴訟が少ない大きな原因です。患者・遺族の多くは「誰か特定の人を処罰してもらいたい、刑務所に行ってもらいたい」ということで警察に届け出ることは、あまりないと私は思っている。これは落合氏の感想であり、現場で怒り狂う患者や家族を見ている医療者の意見は異なります。 少なくともこの方の強烈な処罰感情は例外なのでしょうか? 真相究明は大事だが、現状では医療事故にかかる紛争の最終的な「出口」、公正・中立な真相究明が刑事裁判でしか行われていない。すべての問題がそこに行き着く。刑事裁判なら、公正・中立な真相究明だとも思いません。また被告人の不利益は計り知れないものがあります。 捜査機関によって真相究明してもらわなくてもいい、刑事手続きにもっていきたいという要請はかなり少なくなるのではないかと思っている。確かに少なくはなるでしょうが、世の中には自分らにとって都合がいいことしか『真相』と認めない方がいますからね… そんな『性善説』をわれわれは信じません。
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