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<衆院解散>迷走続けた「選挙の顔」 首相、遅すぎた決断
ついに、衆院解散→総選挙となりました。7月21日13時16分配信 毎日新聞 麻生太郎首相は内閣支持率の低迷と自民党内の「麻生降ろし」に苦しみながらも、最後まで自らの手による衆院解散にこだわった。「選挙の顔として総裁に選ばれたのに、ここで辞任すれば自民党はさらに窮地に陥る」(首相周辺)との思いからだ。しかし、解散当日の21日、党両院議員懇談会で、東京都議選など地方選の敗北について頭を下げ、結束を訴えなければならなくなった首相に「選挙の顔」の面影はない。【高塚保】 副総理格の与謝野馨財務・金融担当相から両院議員総会の開催を求められた翌日の16日、首相は河村建夫官房長官に「経済はまだ立ち直っていない。与謝野を一番大事にしてきた。経済政策を二人三脚でやってきたのに」と語り、ショックを隠しきれない様子だった。 祖父・吉田茂元首相は、閣内ナンバー2の緒方竹虎副総理ら多くの閣僚、与党幹部から解散に反対され、1954年12月、内閣総辞職に追い込まれた。 祖父と同じ轍(てつ)を踏むまいと考えたのか、首相は折れなかった。「政策は間違っていない。胸を張っていいと思っている」。与謝野氏とたもとを分かっても、経済対策に取り組んだ実績を掲げて衆院選を戦う決意の表れだった。 首相が解散を真剣に考えたことは08年9月の就任以来、少なくとも3回あった。最初は「08年10月初旬解散−11月2日投票」。総裁選で高まった「麻生人気」を武器に衆院選で勝利し、長期政権を狙う算段だった。しかし、政権発足直後の毎日新聞の世論調査で内閣支持率は45%と期待したほど上がらず、党の情勢調査も厳しい数字だったため断念した。 次いで「10月末解散−11月30日投票」を検討したが、首相に近い中川昭一財務・金融担当相(当時)、菅義偉選対副委員長らが選挙情勢の悪化を理由に先送りを主張。細田博之幹事長らは解散を求めたが、首相は中川氏らの意見を受け入れた。9月に米証券大手リーマン・ブラザーズの経営が破綻(はたん)し、世界的な経済危機に発展。首相は解散先送りの理由に「経済対策優先」を掲げたが、その後も経済と支持率の低迷に苦しみ、「選挙の顔」は迷走を続けた。 3度目に検討したのが、6月末から7月初旬にかけて党役員人事・内閣改造後に解散し、8月2日ないし8日、9日を投票日とする案。これは党内だけでなく公明党の強い反発もあって不発に終わり、首相が最後に選んだのが7月12日の東京都議選惨敗後の解散だった。解散を先送りすれば「麻生降ろし」に火がつきかねないため、先手を打って解散するしかないと判断した。 結果的に党内の「反麻生」勢力を抑え込むことには成功したが、自民党内には分裂の火種が残り、こうした混乱が党への不信感をさらに増幅させた。首相の遅すぎた決断により、自民党は最悪の状況で解散・総選挙に突入することになった。 この長い準備期間が、自民党の分裂を招きそうな気が私にはしますが… 与党大逆転への秘策があるのでしょうか? どうなりますかね?
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2009年07月21日
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