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福島双葉病院の驚愕実態 患者残して医者が逃げた!
昨日の段階で話題になっていた記事ですが、まだ消えてないようですね。2011年03月22日10時00分 提供:ゲンダイネット 「彼らは病院に殺されたのも同然ではないか」 福島原発から近距離にある双葉病院の入院者146人が取り残され、そのうちの21人が死亡したことで、退避住民からこんな声が噴出している。 福島県によると、自衛隊が自力で避難できない146人の救出に当たったのは、14日から15日にかけての3回。1度目の救出時、病院にとどまっていた職員は院長を含め、わずか3人。2度目の救出時には、「自衛隊を迎えに行っていた」と主張する院長を除き、職員全員が入院者を見捨て、逃げ出していたのだ。 「しかも、必ずしなければならない医療的な引き継ぎをせず、患者に付き添う医師、看護師も一人としていなかった。院長や副院長に至っては、自宅に戻っています。退避先で懸命の医療活動を続けている医師も、『助けようにも、名前や病名さえ分からず、対処のしようがない』とお手上げ状態でした」(現地の記者) 双葉病院は単科の精神科病院。地元の医療関係者によると、その実態は劣悪そのものだという。 「さすがに暴力行為はないが、入院者約340人のうちの半数、開放病棟にいる患者のほとんどが、入院の必要のない人たちばかり。30年、40年と長期入院中の者ばかりだが、これはこの病院が経営維持のため彼らを“固定資産化”してきたからだ。しかも、閉鎖病棟だけでなく、開放病棟まで鍵によって終日管理し、入院者を外に出さない。拘禁態勢を敷くことで、人件費を浮かせていたとしか考えられない」 特に閉鎖老人病棟の入院者は、寝かされたままなので、みんな体力的に衰弱していたという。とんでもない病院があったものだ。 (日刊ゲンダイ2011年3月19日掲載) 「自衛隊を迎えに行っていた」と主張する院長を除き、職員全員が入院者を見捨て、逃げ出していたのだ。とありますので、福島県の訂正を知った上で、『職員全員が入院者を見捨て、逃げ出していたのだ』と書いてるのですね。 この記事を書いた記者さんは、原発が爆発しそうになっても逃げたり、家族の安否も確認せずに現地で取材するのでしょうね?(怒)(無記名記事ですが…)それが出来ないのなら、こんな偉そうな記事を書く資格はありません。 必ずしなければならない医療的な引き継ぎをせず、患者に付き添う医師、看護師も一人としていなかった。この記者は、平時と非常時の区別もできないようです…可能ならすべての患者さんを救いたいと願う、医療者の心情など決して理解できないのでしょう。トリアージの概念など、説明するだけ無駄でしょうね。m3掲示板から、双葉病院の医師のコメントです。(21日に出たものです、転載可とのことです) 私は今話題になっている双葉病院の医師です。 私自身避難先の病院にいますが、やっとこの掲示板を読み書きする余裕ができました。とりあえず私が経験したり院長から直接聞いた情報を書きます。賛成も反対も要りません。皆様に事実を知っていただきたいと思います。 双葉病院は350床の精神科病院ですが、地域の認知症の患者さんを多数受け入れており、約半数が老人で寝たきりも多く、TPNの患者さんがが20数名、経管栄養が30名以上いました。 3/11の地震直後に電気・ガス・水道は止まったものの、病院の建物は無事で、職員・患者さんに全く怪我はありませんでした。海岸から離れているため、津波の被害も全くありませんでした。 地震当日は帰宅困難な職員が泊り込み、救援物資が届くまで食事や経管栄養の回数を減らす、点滴速度を下げるなどの対応で凌ぐことにしました。 しかし翌日、原発事故のため第1原発から2キロだった避難指示が10キロになり、病院が避難エリアに入ってしまいました。このまま病院に留まっていても避難エリア内のライフラインの復活や救援物資は全く期待できないため、大熊町に避難のバスを依頼しました(大熊町はバスを依頼するまで病院の職員と患者さんが残っていることを知りませんでした)。 町から大型バス5台が来たため、自力で歩ける患者さんを中心に209名の患者さんと私を含め数十名の職員が5台のバスと数台の病院の車に乗って、数日分の薬と非常食を積んで大急ぎで避難しました(避難したのは最初の爆発の2時間前でした)。この時は一時的な避難で、病院に数日以内に帰ると思っていました。私たちの出発時に院長は病院に間違いなく残っていました。 最初に避難した209名の患者さんと職員は三春町の避難所(学校の体育館)で一泊し、翌13日にいわき市にある関連病院にバスで避難しました(2名の患者さんは避難所で家族に引き渡しました)。いわき市に避難した患者さんは、多くの病院の先生方のご協力を得て、殆どの患者さんが1人も亡くなることも病気が悪化することもなく茨城、埼玉、東京、山梨、神奈川の病院に無事入院させていただくことができました(茨城と山梨の先生方はバスをチャーターして迎えに来ていただきました)。 また、患者さんを連れて各病院をバスで回ると、「空のバスで帰るのはもったいない」といってたくさんの支援物資を乗せて頂きました。ダンボールに書かれた「ガンバレ!」と いうメッセージを見て涙が出るほど嬉しかったです。 さて、病院に残った院長と数名のスタッフは、1回目の水素爆発の後も電気も水道も通信手段もない(携帯も公衆電話も不通)病院で点滴やオムツの交換をしつつ次の救援を待っていたそうです。 自衛隊の救援が来たのは、丸2日後の3/14の午前で、近くの老健の入所者98名と双葉病院の寝たきりの患者さん30名をバス8台で連れて行きました。その後院長を含む4名が警察官と共に次の救援を待っている間に3回目の水素爆発があり、3/15午前1時に警察の車で強制的に川内村まで避難させられたそうです。 院長一行は川内村から再び病院に戻ろうとしましたが、避難指示のエリアということで戻ることは許可されず、1回目とは別の自衛隊員だけで最後まで残された90数名の患者さんを避難させたそうです。自衛隊によって避難させられた患者さんは、名前も病名もわからない状態で医療機関や施設に収容され、中には亡くなった患者さんもおり、各病院の先生方にはご迷惑をおかけし、大変申し訳なく残念に思っております。 以上の経過の通り、患者さんが全員避難するまで院長は病院に留まろうとしていたのにもかかわらず、強制的に警察に退避させられたのです。間違っても患者さんを置いて「逃げた」わけではないのです。 おそらく最後に患者さんを避難させた自衛隊員の報告を聞いた県の担当者が、何の裏づけも取らず「なぜ入院患者だけがいたか、現段階では分からない。避難する中で混乱が起きることはあるが、もし高齢者だけを置いて避難したとしたら許せない」と発言し、新聞が横並びに報道したものと思われます。後になって県は訂正しましたが、果たしてどれほどの人がこの訂正を知っているでしょうか? 今回の地震では、殆どの病院スタッフが被災しています。家を流されたり家族の安否がわからない状態で患者さんたちと共に避難しサポートをしている中で、病院と院長の名誉を傷つけ、私たちの心を踏みにじるようなコメントを軽々に発した福島県を絶対に許すことができません。 以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。もし、名誉毀損でマスコミや県を訴えるのなら、私は支援を惜しみません。 |
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2011年03月23日
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