|
ssd先生の記事「多労」からです。 焦点/あえぐ地域医療(1)疲弊/医師激務、心身限界に
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20120223_01.htm2012年02月23日木曜日 河北新報社 仮設の公立南三陸診療所で宿直する渡辺さん(左)。診療所と登米市の公立志津川病院を往復し、多いときで週4回の宿直がある 東日本大震災で津波被害は、もともと医療過疎が深刻だった岩手、宮城、福島3県の沿岸部の地域医療に大きな爪痕を残した。震災発生後、医療従事者は被災地の医療を懸命に支えたが、一方で医師・看護職員と地域住民の離散が加速。街の将来像が定まっていないこともあり、被災地の地域医療は綱渡りが続いている。(高橋鉄男、菊池春子、東野滋)=5回続き 午後2時半、宮城県南三陸町の仮設施設の公立南三陸診療所。常勤医の渡辺源也さん(29)は、重い体を車の座席に沈めた。この日は前夜の宿直に続き、午前の外来をこなした。 「夜間診療は町民の安心感につながる。だけど、貴重な日中の時間を移動で奪われ、仕事も疲れもたまっています」 診療で35キロ移動 ハンドルを握り、沿岸から内陸へ車を走らせる。目的地は約35キロ先。隣接する登米市米山町に移った公立志津川病院だ。 大津波で南三陸町唯一の病院は全壊した。間もなく町内に、病床を持たない仮設診療所が設置された。佐藤仁町長は「新病院建設まで病床を確保したい」と昨年6月、登米市よねやま診療所の病床を借り、38床の「間借り病院」を構えた。 その日から、渡辺さんは片道1時間をかけて、2拠点を週に3、4回行ったり来たりしている。 土曜は診療所で外来と宿直。日曜は昼が診療所で、夕方、病院に駆け込むと、入院患者を診て宿直もこなす。翌日は昼が登米、夜が南三陸で宿直、翌々日は昼が南三陸、夕方は登米…。 渡辺さんは登米市民病院を経て、昨年5月に赴任した。二つの施設を常勤医6人でやりくりしている。体制はぎりぎり。最も若い自分の役回りも分かっている。「自分一人でも欠けたら大変なことになる」。疲労を使命感でまぎらす日々が続く。 2拠点体制は病院の致し方ない事情もある。 仮設診療所だけでは仕事が限られ、看護師の手が余る。だが看護師を切り捨てれば、今後、確保できる保証はない。院長の鈴木隆さん(59)は「新病院ができるまで、人材をせき止めるダムが必要だった」と説明する。 3県沿岸部の勤務医数は震災前から、全国平均の6割前後にとどまっていた。震災後、医療ニーズが拡大し、以前から医療過疎に悩む被災地では、医師にしわ寄せが及ぶ悪循環に陥っている。 <休みは月に1回> 宮古市の国保田老診療所で唯一の常勤医だった黒田仁さん(43)は、3月いっぱいでこの地を去る。 11年前に田老に赴任。常勤医が2人体制から、黒田さん1人になった2007年以降は、一日に外来60人、平均10人の入院患者を診察しながら、往診も続けた。休みは応援医師が入る月1回28時間だけ。それでも「患者のために」と責任感で乗り切ってきた。 10年2月、市議会一般質問の答弁書に「現在、市の診療所の医師数は充足している…」とあるのをみた。我慢の限界だった。悩んだ末に昨年2月、辞表を出した。 その1カ月後、田老診療所は津波で全壊した。仮設の診療所に移って診療を再開。心身の疲れから、体調を崩す被災者が多く、震災前にも増して多忙な毎日を送る。患者からは慰留の声があったが、一度折れてしまった黒田さんの心は、元に戻らなかった。 昨年11月に後任は決まった。震災後、さらに医療従事者の負担が増す現状に、黒田さんは「国や自治体が現場の声に耳を傾けなければ、同じことが繰り返されるだけ」と語り、表情を曇らせた。 本来は「週1回が限度」ですが…、こういう使命感の強い方には言うだけ無駄でしょう… こういう記事もあるそうです。
沿岸病院、常勤医減27% 被災3県で調査 2012年02月23日木曜日 河北新報社 岩手、宮城、福島3県沿岸部にある病院のうち、東日本大震災の前と比べて、常勤医師数が減った病院は3割に迫り、看護職員が減った病院も過半数を占めることが、河北新報社の調べで分かった。仙台医療圏を除くと、医療従事者が著しく不足している病院も目立ち、地域医療に診療制限などの影響が出ている。被災地の本格的な生活再建には施設整備に加え、行政などによる医療従事者の確保が急務となる。 1月から2月にかけて3県沿岸部の九つの2次医療圏(仙台医療圏は沿岸部のみ)の107病院(20床以上)を対象にアンケートを実施。常勤医師数は聞き取りを含め全病院、看護職員数は88病院から回答を得た。福島県の警戒区域内7病院は対象外。 常勤医師が減ったのは3県の計29病院で、27.1%に達した。県別と2次医療圏別にみると福島は14病院(相双5、いわき9)、宮城が13病院(気仙沼1、石巻6、仙台6)、岩手2病院(久慈1、宮古1)。福島県内の減少は、東京電力福島第1原発事故の影響が大きい。 49病院は横ばい、増えた病院も29病院あった。 3県の常勤医師総数は1578人で、震災前に比べて14人減にとどまる。被災した開業医が診療所を休廃止して勤務医になったり、全国から応援医師が被災地に入ったりして、微減で抑えているとみられるが、病院間で大きな差が出た。 准看護師や助産師らを含む看護職員数は、アンケートに答えた88病院のうち、51.1%に当たる45病院が減った。2次医療圏別に1施設当たりの平均看護職員数をみると、相双地区で81人から61人の大幅減になったほか、釜石、気仙、気仙沼、いわきの各医療圏も4〜6人減った。 スタッフが不足したり、建物の復旧が遅れたりして震災後、入院や手術、診療科目のいずれかを制限している病院は少なくとも20に上った。気仙沼市やいわき市では複数いた常勤医師が1人になり、入院ベッドを廃止するなどの措置が取られている。 震災では、岩手県の県立3病院や宮城県の石巻市立病院など、地域医療の中核を担っていた3県10病院が全壊した。3県は国の交付金を原資に、ここ3、4年で公立病院や拠点民間病院の復旧を急ぐことにしている。 ただ、全国からの応援は恒久的な対応ではないだけに、医療スタッフの確保は難しそうだ。新人医師が病院に勤務しながら、診療経験を積む「臨床研修制度」で被災3県を選ぶ人は来年度、減る見通し。福島県では「除染を早急に行わなければ、家族を持つ医療スタッフは現場に戻れない」(相双・大町病院)などの訴えも出ている。http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120223t75012.htm |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2012年02月23日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




