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「経済協力開発機構(OECD)は8日、主に先進国の24カ国・地域で2011〜12年に初めて実施した国際成人力調査(PIAAC〈ピアック〉)の結果を発表した。日本は、出題された3分野のうち2分野で参加国中1位の好成績だった。文部科学省は「学校や職場など社会の教育機能の高さが反映されている」とみている。
国別の平均点をみると、日本は読解力と数的思考力で参加国中1位。分野別の成績(500点満点)は、読解力296点(OECD22カ国・地域の平均273点)、数的思考力288点(同269点)だった。
IT(情報技術)を活用した問題解決能力について、OECDは成績中上位者の割合を国別で公表しており、日本は35%(同34%)で10位。パソコンではなく紙の調査を選んだ人が全体の37%(同24%)に上った影響という。「パソコンを使った調査に慣れない人が多かった」と文科省の担当者はみる。パソコンによる調査を受けた人に限って国別平均点を文科省が独自算出したところ、日本は294点(同283点)で1位だった。
他の主要国では、米国が読解力270点(16位)▽数的思考力253点(21位)▽IT能力の中上位者31%(14位)。ドイツは読解力270点(15位)▽数的思考力272点(12位)▽IT能力の中上位者36%(8位)――などだった。」朝日新聞 10月9日
10月9日の朝日新聞の一面記事であるが、その解説が36面になされている。このニュースについて、これを肯定的に捉える数学者藤原正彦氏と否定的に捉えている学習院大教授佐藤学氏の両論が好対照だ。その内容をきちんと把握するためにそれぞれの主張を全文引用させていただく。それぞれに私のコメントを書くが、本件に関しては佐藤教授の解説、論調の方が的確だとのが結論である。
藤原正彦氏:
「英語は中学パソコンは大人から取り組んだ世代が高く評価されたことに意義がある。
日本伝統のたたき込む教育が正しかったと言ってよい。国語をきちんとやったから物事を的確に理解できる。算数をきちんとやったから論理的思考ができる」と受け止める。人間の根幹を作る初等教育ではIT、グローバルなどに流行に惑わされないことだ。」朝日新聞36面
私のコメント:
なによりも国語教育を優先すべきだという藤原氏のお考えに反対などあるわけがない。ただ国語教育がまだかたまっていない小学生の段階で、英語を教えることは混乱を招くなどという考え自体極めて非論理的である。
日本語の成り立ち、おもしろさ、内容を教えるためにも、その構成、文法、ものの考え方などについて、他言語、とりわけ英語と共通するところ、違うところ、そのほんの一環かもしれないが。それを知るため、触れるために英語を教えることが一体どんな弊害があるとおっしゃるのか。
小学、中学、高校、大学でそれぞれ教える内容、深さのレベルに違いがあっていいことは当然だ。英語、英語文化を中学からしか学ばなかった、高校に入ったら受験英語しか学ばなかったのだ。それを学べなかった、学ばなかった日本の大人世代だったからこそ、自己主張のない、自分の意見を正々堂々主張できない大人が出来上がってしまったのではないのか。
さらにパソコンについて言っておきたい。これもそうだ。パソコンなどを大人になって取り組むような環境、学校、職場の雰囲気の中で育った大人だから、パソコンリテラシーに関しては世界9位になったという結果になったのだ。まさかそれでも全く問題なしとはおっしゃるまい。いや、おっしゃっているのかな。どうやらそうらしいのだが、それはビジネスの現場、あらゆる職場の中で今パソコンがどのように使われているか、使われなければならないか、全くご存知ないのではないか。
佐藤学氏:
「人口に占める移民率が影響している」と指摘。調査は実施国の言語で行われたため移民を受け入れている欧州諸国の成績が伸びなかったとみられる。
15歳が対象の2009年の国際学習到達度調査(PISA)で日本は読解力8位、数学的リテラシーで9位だった。子供の結果として大人の受けてきた教育は正しいとするのは間違い。日本の場合、高校大学の教育に問題がある。成人の教養を企業にまかせすぎだ。」朝日新聞 36面
私のコメント:
日本に比べるとドイツその他ヨーロッパ諸国、アメリカの移民率は非常に高い。そうした国々住民の言語リテラシーが平均的に落ちるのは必然のことだ。アメリカのヒスパニック系の住民市民対象に英語でそうしたテストを行うとそれが低い結果につながるのは当たり前のことだ。
同じOECDの15歳対象の国際学習到達調査では、日本が8位、9位と低レベルでそれが大問題だと騒いだのはつい数年前の話ではなかったか。その影響、大人世代へのそれが出てくるのはむしろこれからなのだ。
その15歳の日本の子供たち、それから高校、大学へ進み教育を受けるのだが、果たしてその教育レベルが一体どうなのか、教育内容が本当に適切なのか、それが心配だと佐藤教授は危惧されているのだ。高校教育が義務教育化する一方で、その内容あいも変わらず、大学受験のための教育、カリキュラム編成。実施となっていることは否定しようがない。
そしてその日本の大学、これも最近の話題となりBLOGでも取り上げたことがあったが日本の大学生の勉強時間、欧米や中韓の大学生に比べても抜群に低いという調査があった。日本の大学生、あの厳しい入試試験に合格、入学したとたん、その反動なのかどうか分からないが、全く勉強しなくなる。1、2年の教養過程ではろくろく勉強もせず、3年4年の専門課程では勉強などほったらかしで、就職活動に明け暮れるというのが実態なのである。
これまた最近の話題で取り上げたが、そもそもその日本大学のレベル、欧米の大学に比べてその内容が極めて低いランクづけがなされているのだ。あの天下の東大して世界ではせたった27位、日本の大学でベスト100に入っているのはせいぜい数大学にとどまっているという現状なのである。
いやそれがどうしたと言われるかもしれないが、これからの世の中、何事においても世界的レベルで比較されるのである。藤原正彦氏グローバル化という言葉など頭から否定されているが、世界中で大学教育を目指すもの、学生は、そうした指標をベースに進学先や留学先を選ぶ時代なのだ。果たして、そんな呑気なお考えで日本の大学そのものが生き残って行けるのだろうか。
さらにその大学を含めたあらゆる教育機関の教育方法、具体的には授業、講義のIT化がどんどん進んでいるという現状がある。大学の教育授業自体どんどんオープンになり、ネットワーク化して行く。その中で生き残っていくために絶対必要なのが、教授陣、そして学生達の英語能力であり。パソコンリテラシーなのだ。
それは日本の大学が生き残れるか、高校のあり方がどうのこうの問題だけでない。日本の産業、経済が成り立って行くためにには、高等教育のバイリンガル化、IT化は必然なのではないか。
教育分野、なにしろまずは読み・書き・そろばんをしっかりやるべきことだなど当たり前のこと、それについて日本が平均以上の成績を収めた、むしろ当たり前のことだ。
ところが今の時代、その読み書きがバイリンガルでできること、そろばんに代わって、パソコンがしっかりできるという二つのことが生き残りのための絶対的条件だと私は思う。
そうした基本的教育は本来大学においてこそなされるべきところだ。ところが日本ではそれを企業に頼っているところが多い。佐藤教授はそのことを危惧されているが、それも正鵠を得たことだと思う。
tad
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2013年10月11日
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