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8月24日のBLOGで始めたことわざ集(1)シリーズその2である。
図1 イラスト
「学問に王道なし」 "There is no royal road to learning." 「王道」とは、王様専用の特別な近道という意味で、安易な方法や近道のこと。 ギリシャの数学者ユークリッドが、エジプト王トレミーに「もっと簡単に幾何学を学ぶ方法はないのか」と聞かれ、「幾何学に王道なし」と答えたという故事に基づく。
ーー故事ことわざ辞典ーー
自分がまだ中学の三年の頃のこと。数学の学期末試験の簡単な幾何の証明問題が分からなかった。暗記ものは得意だったが、数学はもともと苦手、証明問題を暗記でできるわけがない。しかたなく、元師範学校の数学の教師だった父に、その証明問題の解き方を質問した。いや、父に聞いたりすると、その答えがやたら長くなる。こっちは試験勉強の最中だから1分で答えて欲しいのに、10分、20分はかかってしまう。それで父への質問は出来る限り避けるのが賢明であった。
いやそれではいけない。どんな分野の学問、とりわけ数学の問題などとりわけ、じっくりステップを踏んで取り組まないと駄目なのだと認識出来たのは、ずっと後のこと。大学を卒業して社会人になってからのことだ。
もっといろんなこと、きちんと習っておくべきだったと悔やんだものだ。
tad
参考資料:
注:図1は、Googleの検索、「学問に王道なし」と入力し、画像を指定検索 すると2012年当時私がBLOGにアップしたものが出てきました。驚き ました。
その一部を改変して新たに作成したものです。
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文化
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このYahooBLOGさまざまな経緯があって、2007年7月くらいから始まっている。それ以前は、YahooのSNS版とも云うべき、Yahoo!Daysというものが
あった。それを再現できたら、その当時、それでどんな内容を投稿していたか、知ることが出来るのだが、もはやそれは出来ない。
その当時のBLOGは、現在のBLOGのようにパソコンの使い方とか、その関連話題もあったが、もっと自分自身関心の高い時事問題、さまざまな趣味のこと、生涯学習のことなどの話題も多く取りあげた。トピックスの範囲がもっと広かった。
そのトピックスの一つに、日本語のことわざを取りあげ、これを英語のことわざと対比して紹介するものがあった。それは二、三年続いたが、たしかそれだけで、軽く百件を超え百五十件にも達するものであったと記憶している。
それをやることで、日本語そのものの勉強でもあるし、もちろん英語の勉強にもなった。
あれから15年の歳月を経て、当時取りあげたもの、その基本的な意味は変わることはないが、さまざまな意味でニューアンスの違いは生じているだろう。自身の現在の年齢、社会の変化の中で、それがどうなっているか、改めてそうしたことわざ集を始めてみようと思い立った。
そうしたことわざ、どう選ぶかだが、特に系統的な選び方などはない。ランダム、その日、その都度思いついたものを取りあげていくことでいいだろう。思いつくもの、それがいくつ続くかやってみてのお楽しみでいい。場合によっては同じものが二度三度あってもいいはずだ。
第一回のそれは、タイトルにあげた通り、「八十の手習い」だ。かっては「六十の手習い」だった。
かって私らが現役の頃は、六十歳定年で、第二の人生はそれから始まるということであった。
ところが今は違う。人間の寿命が、大幅に伸び、六十の手習いどころか、
八十の手習いということばが一般的により多く使われるようになった感がある。
このことわざの英語版は ”It is never too late to learn." 「なにか新しいことを学ぶのに、決して遅すぎるということはない」という意味だが、その英文を入れて検索すると、「八十の手習い」という言葉がちゃんと出てくるところがおもしろい。二十年前は「六十の手習い」であった筈だ。
これは面白いと、第一回のものとしてこれを取りあげた次第である。
図1 「八十の手習い」
tad
参考資料:
八十の手習い」:Kotowaza
It's Never Too Late to Learn:Weblio
注:ネット辞書は発音してくれます。
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TVの料理番組が好きでよく見る。ワンパターンのニュースショー、殺人と話がややこしいだけの刑事ドラマ、バカ騒ぎのバラエティ番組などよりよほど面白い。実生活に役立つ。
たまにこれはいいなというものは、家でも作ってみる。上手くいくいかないかはその時による。まるまるそのレシピ通りやるわけでない。なるほどと思ったポイントを重点的に真似る。だからいいのだ。おもしろいのである。
料理というのは、その材料、調味料、料理法の組み合わせが無限にある。おいしいものを作るのが本来の目的だが、それだけではない。その作成のプロセス自体を楽しむことが大切なのだ。料理することが苦痛で、それをまぬがれるために、料理レシピをまるまる真似ようというマインドではそもそも上手くいかない。おいしいものも出来ないのではないだろうか。
料理レシピとなると、TV番組の他に、ネット配信の料理レシピがある。とりわけ有名なのに、Cookpadがある。一般ユーザーからの投稿を含めてレシピが超豊富だ。ただ最近、豊富と云えば聞こえはいいが、その内容少々重くなりすぎ、凝りすぎのきらいはないか。
料理レシピとなると、もう一つ最近人気が高いのが、「DELISH KITCHEN」というアプリサイトがある。こちらは、豊富なレシピが検索できるだけでなく、一分の動画がついているのが人気のポイントだ。それで料理のプロセスをパソコン、スマホで簡単に確認出来るのがいい。
「DELISH KITCHEN」は、「野菜のおかず」「お肉のおかず」などカテゴリーから検索したり、カレー、煮込み、炒めものなど料理名や食材でのレシピ検索も容易に出来る。
以下そのサイトと内容の一部紹介だ。
ちなみに私は焼きそばが好きなので、料理名、「焼きそば」で検索したら
あるはあるは、焼きそばのレシピ動画が約百ほど検索できた。ご参考に
供しておく。
焼きそばレシピ動画集
こうしたレシピサイト、毎日それをフォローするのはいいが、それが一種の負担になるようだと本末転倒だ。さっと見て、それをヒントにし、後は材料の選択、購入にしても、使う調味量の調合にしても、料理手順にしても、思い切って自身の都合、応用力を加えることが大切だと思う。
それが冒頭で述べた、料理作りを楽しむ、楽しくやるための一つのポイントではないか。第一焼きそばくらい、レシピなど見なくても、自身の中でそれも持っているはずだ。それをベースにして、レシピ集から、別のヒントを得て新しいものを試してみることが楽しいのである。
いや、このこと何も料理に限らない。あらゆるアプリ、アプリソフトを使いこなす、使って楽しむための心得ではないだろうか。
tad
参考資料:
料理レシピサイト:Delish Ktchen
料理レシピサイト:Cookpad
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『「ジャーナリストは敵ではない」−−。全米の350紙以上の新聞社が16日付社説で一斉に、自身に批判的なメディアをフェイク(偽)ニュースと中傷するトランプ大統領を非難した。
企画を主導したのは、就任前からトランプ氏を厳しく批判してきた東部マサチューセッツ州の有力紙ボストン・グローブ。同紙は、トランプ氏が政権の政策を支持しないメディアを「国民の敵」と呼ぶことは「反米国的」とし、トランプ氏による「多くのウソの一つ」と酷評。全米各地の新聞に、報道の自由を守る戦いに加わるよう呼びかけていた。 ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は「自由な報道はあなた方(国民)が必要」と題した論説を掲載。「新聞のない政府か、政府のない新聞か、どちらかを選べといわれたら、迷わず後者をとる」と訴えたジェファーソン第3代大統領の発言を紹介し、「ジャーナリストを国民の敵と呼ぶのは危険だ」と論じた。 トランプ氏は16日、「フェイクニュースを流すメディアは野党だ。偉大な国にとってとても悪いことだ。だが、我々は勝利する」とツイートした。 調査会社IPSOSが今月3〜6日に実施した世論調査によれば、「大統領は主要メディアを閉鎖すべきだ」と考える米国民は全体で13%、共和党支持者では23%に達している。』 Yahoo 上記は8月17日付け毎日新聞夕刊記事だ。全米の350紙以上の新聞社が16日付社説で一斉に、自身に批判的なメディアをフェイク(偽)ニュースと中傷するトランプ大統領を非難した..反トランプ大統領の有力紙のボストン・グローブ紙の呼びかけに応じたものだ。
この事態はすごいことだ。かってアメリカの政治史上、ジャーナリズムの歴史でそんな事態はあったのか。こんなことは初めてのことであったに違いない。それくらい、今日アメリカのジャーナリスト達は、トランプ大統領、トランプ政治に対し危機感を感じているということだ。そのことは理解出来る。当然のことだ。
ただ私は、いくつかの有力紙、ニューヨーク・タイムズなどの主張を読んでいて、少々不満なところがある。あのトランプ大統領の独裁主義、主張に対して、守りの姿勢ばかりが見える。どうしてもっと強く反発しないのか、出来ないのか、パワー不足の感がぬぐえない。
もちろんまず守るべきものは、それぞれのマスコミの主義主張なのだが、しかし本来究極守るべきものは、新聞各紙報道の自由、その立場、存立などでなく、アメリカ国家の民主主義そのものだ。その基本的な正論をもっと正面から論じてもらいたい。。
すなわち、このままでは、アメリカという国家の存立そのものが危やうい。来る
べき中間選挙では、上院、下院における議会の勢力を大きく変動させ、トランプ
政権の退場へと導くことが必須であるという具体的な主張を展開すべきだという
ことである。民主主義を守るために新聞紙の存立が重要であることは当たり前だ。
しかし今、もっと明確な具体論、本質論を350紙はまとまって展開すべきではないのか。
そのことを主張しても、トランプ政権がこのまま存続するような中間選挙結界に終わるようだと、アメリカという国家の存立そのものが危い。その危機感をアメリカの世論が持たない、持てないようだと、アメリカという国家の明日はない。私はそう考える。
これは論理の飛躍でも、極論でもなんでもない。今のトランプ政権、すべてやることなすこと、破壊的だ。このままだと、最早アメリカという民主主義国家の存立に危機をもたらす結果になることは明白だ。
「ジャナリリズムは敵ではない。」 冒頭の引用記事に戻る。それは民主主義を守る砦だと云いたいのだろうが、最早それでは不十分だ。
今やトランプ政権は明らかにアメリカの民主主義の敵なのである。アメリカのマスコミ、報道の自由がどうの新聞紙の存立がどうのこうの、そんなことを論じている暇はない。トランプ大統領に敵だと言われて、そうではないなとと反論する必要がどこにあろうか、
新聞各紙、今やもっと強烈に、明確にトランプ政権の敵であることを宣言すべきではないのか。トランプ政権そのものの打倒のためのその具体論を展開すべき時ではないのか。
アメリカの350紙でもって、それが出来ないようでは、アメリカももうお終いだ。世界はそんなアメリカなどほっておいて互いに生き残りの道を探るしかない。
tad
参考資料:
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昨日は8月15日終戦記念日NHKTVでも政府主催の記念行事の中継をやっていた。ただそれについては、特に何か大きな感慨もなく、なんとなく終わった一日だった。熱中症の心配に気をとられるのだからしかたない。
今朝のBLOGでも終戦記念日のことなど書くつもりも、その予定も全くなかった。しかしちょっとそれについて書いておこう、おきたくなったのは、朝起きて受け取った一通のメールのせいだ。MPCパソコンクラブのメーリングリストへの高石道生氏の投稿だった。
高石氏は私より一歳年下だが、8月15日が誕生日、それを記念してという意味もあったのだろう、新しくアメーバーBLOGを始められた。そしてその中で、氏にとっての終戦記念日のさまざまな思いを書かれているのを拝見した。
それを読ませていただいているうちに、突然自分もこの「終戦記念日」に
ついてのいくつかの思いについて書いておきたくなった。それで急遽予定変更となった次第である。
そもそも私にとっても、なにかと、因縁のある終戦記念日なのである。
まず73年前のこの日、私は一体何処にいて。一体何をしていたかである。
その時私は富山県魚津市の祖父母の実家に疎開していた。私には7人の兄弟姉妹がいて両親と共に大阪の堺市に住んでいた。戦争の激化で、どういうわけか、同じ年の4月から、私と二歳年上の姉が父方祖父の家に疎開させられた。
小学校二年生の夏休みの日だった。最初あの日に起こったことなど、一切知らなかった。祖父の家にもラジオはあったが、故障していて、あの玉音放送など一切聞いていない。午後遅くなって、姉の友達が訪ねてきて、その玉音放送のこと、そして戦争が終わったことを教えてくれた。
私にはその意味がよく分からなかった。が、ただこれで、堺の父母の家に帰れると思い、そのことがうれしく、その期待に胸を膨らませたことは覚えている。
ところが、8月が終わっても、9月になってもなかなか父が迎えに来てくれ
なかった。当時の鉄道事情のこと、切符がなかなか取れないこともあった
が、実は当時、国鉄の列車、魚津の駅に停車することが禁止されていたからだ。なんと当時魚津市内でコレラが蔓延していたからだ。
その問題も解決して9月末になってやっと父が迎えにきてくれ、待望の
兄弟姉妹7人と両親の待つ堺の実家に帰れた時は本当にうれしかった。
祖父母の家ではそんなことはなかったのに、堺の実家では母が毎日なんらかの食べ物を用意するのは本当に大変だった。餓死することはなかったが、朝昼晩、砂糖のカルメラ焼き、玉ねぎだけ入ったお好み焼だけの日もあった。
それでもそのうちアメリカの食糧援助で、学校給食もあったし、とうもろこし
脱脂粉乳でなんとかなった時代である。それがアメリカでは、家畜の飼料であることなど知るのはずっと後になってからのことだ。私はそのことに
不快感はなかった。
なにしろ不思議なことに、戦争に負けて日本を占領しているアメリカ、アメリカ軍、アメリカ人に悪感情を抱くことなど全くなかった。悪感情どころか、自分にとってはアメリカは憧れの国となっていたのである。
進駐軍の兵士に群がって、「ギブミーチョコレート」と乞うことなどなかったが
あんなおいしいものを食べたことがなかった。いつか好きなだけ食べれるようになってやるぞ、兄弟にも食べさせてやるぞと心に決めていた。それは25年後に実現する。
ちなみに私、1063年11月のケネディ大統領暗殺、1964年の東京オリンピックはアメリカのTVで見ていたのである。前者は白黒、後者はカラーTVだっと記憶する。
小学校、中学校、高校と進む中で、日本は奇跡的復興、経済発展を遂げる。私はそれもこれもアメリカの軍事的、経済的な支援のおかげだと思ってきた。
大学に入ったころ。例の日米安保闘争が勃発する。今の安倍首相の祖父岸信介氏の主導によるものだった。大学三年の時、全学連、大阪学府連の指令で、日米安保反対、授業ボイコットの騒ぎとなった。私はそれには賛成できないとばかり、学校に一人出かけたものだった。
その結果、私の信念は正しかったことは証明されたと今でも思っている。もちろん、そのアメリカ、広島・長崎への原爆投下など許せないこともやっている。ただそれもアメリカ側のでっちあげ、屁理屈の感はあるが、たしかにそのおかげで、天皇が終戦の決意をした面はあることは否定できない。それがなかったら、日本はもっと酷い泥沼に追い込まれていただろう。
日本はもう二度と戦争をしないという平和憲法を守ることについては、私は基本的に賛成である。そのことと、日米安保条約を最大限堅持することは何ら矛盾するものでないとも思っている。
そのアメリカ、今や日本のみならず世界中から不信を買っているのは実に
困ったことだ。それはひとえにあのトランプ大統領のせいである。そのトランプ、アメリカの殆どのメディアを相手に対抗しながら、その支持率がそれでも30%40%と結構高いのは一体どういうことなのか。そのことこそアメリカそのものの存立の危機を表している。
問題の中間選挙で共和党大敗、トランプ政権の終焉というのが、最善
の道筋だが、果たしてそうなるかどうか。
これこそが、終戦記念日にあたって私が感じたもっとも大切な懸念である。
アメリカのことはいい。日本はどうなのか?
安倍首相、トランプの言いなりのようなところもあるが、EUとの経済提携といい、TPP推進ということでは、トランプをちゃんと牽制しているところはある。大きな方向性では間違っていないと考える。だって他に代わるものいないではないか。
もちろんもっとフレッシュでダイナミック若手リーダーの登場をなにより
期待したいところはある。
終戦の日の雑感というには、なんとまあ、雑な、まとまりの悪い一文となってしまった。お許しいただきたい。
tad
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