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30日のロンドン為替市場、ヨーロッパの信用不安への懸念を背景にユーロを売って円を買う動きが強まり、円相場は、10年6か月ぶりに、一時、1ユーロ=100円を突破し、99円台まで値上がりした。
4年前だったか、4月頃イタリヤとフランスに旅行したことがあった。当時は確か1ユーロ160円、170円位だったと思う。帰りはパリーからだったが、空港で簡単な朝食を摂った時、トースト、目玉焼き、コーヒー程度で3000円近くしたのには驚いた。なんとまあ物価の高い所かと感じたものだ。
それが今、100円というから、今年正月の海外旅行、ヨーロッパへ諸国への旅行が大幅に増えそうだ。ユーロ安が旅行者にとっては大きな恩典であることは言うまでもない。
逆にヨーロッパからの日本の観光客は、円高と原発事故もあってさらに減少することになる。輸出産業のへの影響も大きい。ただこちらの方は、ユーロ安でユーロー圏の輸出産業が輸出を伸ばし、そのおかげで日本の工作機械などの輸出が増えているそうだ。それが経済グローバル化の一つの特徴で、海外生産が進む中、円高が即輸出減、業績減に結びつくとは限らないということだ。
ギリシャ、イタリヤ、スペインなどの国の財政破綻またはその可能性が未だ根本的に解決していないことが根強いユーロ不信につながっているのだが、相変わらず円のみがドルに対してもユーロに対しても強いという図式がなかなかくずれないのはいったいどうしてなのだろうと改めて考える。あれこれ専門家の解説を読んでもその根本的な理由がなかなかわからないのである。
日本はGDP比、世界でも最大の借金を抱えてはいるが、それに見合う預貯金が十分あるとか、そもそも日本の借金は殆ど国内からのもので外国からのものから大丈夫だの説明ががあって、なるほどそうかと安心しきっていることがある。さらに今野田内閣が必死で財政赤字をなんとかしようと、増税のアクションをめざしているところなども、市場には好感されているのかもしれない。
円高という状況自体、それが報道される度にそのマイナス面が大きく取り沙汰される。しかし、円高は日本の経済全体、日本人の社会生活、そして日本という国に対する国際社会からの信任という意味で、それがが継続することはトータルでは望ましいと言うべきだ。
もし日本もギリシャやイタリヤと同じように、危険な財政赤字国だというレッテルを貼られた途端一体どういう状況になるかの警告はもっと深刻にとらえるべきだ。
そうならないためには、この円高という状況が存続する間にそのメリットを生かす経済成長戦略が必要なのである。これももう耳にたこができるほど何度も繰り返されている議論なのだが、それがトータルのグランドデザイン、具体的な戦略として出てこないことが問題なのだ。
それが一切論じられことなく、時の政権与党が社会保障を実現するためという名目の増税論ばかりやっているところが問題なのである。財政赤字解消は絶対に必要なことだ。そのために増税が必要なことを言うこと段階を踏んで上げて行こうという方向性自体間違っていない。ただ、それだけでは経済がますます縮小するだけで税収自体がますます減るという反論も正しいのである。
その二つの互いに矛盾することをどうして実現するか、どちらをまず優先するかとなるとそれはやはり、景気をよくする、経済成長を促進することがまず先だという論に軍配をあげるべきではないか。
野田内閣が、増税路線とともに「コンクリートから人へ」という公約の合言葉を放棄してまでも、打ち出したダムとか鉄道とかの公共投資の復活は明らかにそれが景気回復、経済成長に貢献するという考えがあってのことなのだろう。これがまたおかしい。
「コンクリートから人」というモットーの中身にどうしてもっとこだわらないのか、それが情けないのだ。その人という言葉を、例えばソフトとか、サービスとか、そしてまさに人、子育て、教育、IT、環境などとという言葉に置き換えれば、これから力をいれるべき産業分野、成長促進分野がそこに規定されてくることなど言うまでもないことだ。いや、実際民主党はそのように説明していたはずである。その説明は一体どこに行ってしまったのか。
野田首相はあの松下政経塾の出身だ。が、彼は一体そこでなにを学んだのだろうか。財政再建のための増税論? そんなはずはない。
松下幸之助氏の経営哲学の中にあの有名な「水道の水哲学」がある。水道水のように、価値あるものを安価で豊富に生産していくことで人々の生活は豊かになる。戦後の日本の経済成長はまさにその哲学の具現であった。松下幸之助氏はそれを実現した経営者の一人だった。
今はもうモノに満ち溢れ、人々が欲しいと思うものなどなくなった時代か。衣食住十分満ち足りている時代か。モノだけでない。モノ、ソフト、サービス、教育・・・もう欲しいものが何もなくなった時代か。
そんなはずはない。ないどころでない。毎日の生活、最低限の生活にさえ困窮している多くの人々がいる状況ではないのか。それを得るための働き口がない状況なのだ。その状況の改善をはかり、人々が欲しいものが手に入るにする経済状況を作ることこそが先決ではないのか。そのような困窮の状況の中で、まず増税とは一体何事か。
昨日30日、近くのショッピングモール、スーパーに買い忘れた正月商品を買いに出かけた。店内は大混雑、正月商品が飛ぶように売れていた。ここ何年か昔のようにモノが買えない時代が続いているが、それでもこの活気である。
円高のおかげで、結構割安の外国商品も結構ある。私がよく行くのは外国特にヨーロッパからの輸入品のお菓子類、チョコレート、ぶどう酒などを扱う店だ。かって1000円もした商品が今はその半値近くで買えるのである。国産品も一部食糧品の値上げで価格が上がっているものもあるが、円高のメリットでそれが抑えられている商品も数多い。
もしこれが円安、例えばドルが120円になり、ユーロがまた140円になったらどうなるかである。物価はまちがいなく上がる。そうなれば購買意欲は減退し、消費はますます減るのである。私が言いたいのは円高はあらゆる意味で景気回復、経済成長のチャンスでもあるはずなのだ。
菅、野田の財務省官僚いいなりの増税路線偏重内閣はもうお終いにすべきだ。そうでないと民主党はもうお終いだし、日本だってお終いになりかねないのである。
tad
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