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重要な法案が山積しているにも関わらず、政府・民主党は今国会を9日の会期末で閉会すると決めた。「党内事情を優先した結果であり、逃げ腰の対応には納得がいかない。」と9日の日経新聞は社説で書いている。その通りだ。 とりわけ重要なのは、国家公務員の給与を平均7.8%引き下げる法案が来年に持ち越されたことだ。これは民主党がこれまでの政権党がやったことがない、初めての快挙だなどと自画自賛していたものだ。それはそうだと思っていたが、さっさと会期を閉じ、法案の先送りしてしまったのだ。その単純な対応ぶりを見ていると、やはり国家公務員の給与削減になど本気で取り組むつもりなどないのだと疑われてもしかたがない。 それもこれも、一川、山岡両大臣の問責決議が参議院で通ってしまったからだ。そうなった以上もう野党はあらゆる審議に応じない、応じてくれない、それなら重要法案「先送り」もやむをえないということなのだ。しかしここは敵の攻撃をさっさとかわして、したり顔で済ませされるわけがない。 問責決議は通ったが、野田首相は両大臣続投の方針だ。その政治的判断はそれでいい。もちろん野党の審議拒否は覚悟の上、にも関わらず、その決心で臨むことはそれはそれで筋が通っている。後は、国会を閉じたりしないで、重要法案成立のため最善の努力をすればいい。それでも審議に応じないとしたらそれは野党側の責任である。どうしてそうしないのか。それは国民に対する説明より、党内事情を優先した結果だと言われてもしかたがない。 朝日新聞は6日付けの社説で、国会審議促進のため、一川氏はさっさと辞任すべきだと書いていた。一川氏は問責に十分値するから、野田首相は一川氏を辞任させ、政権を立て直し、審議を促進すべしということだ。先日も書いたが、まさに国会審議促進のため一川氏をいけにえに差し出せと主張しているのだ。 朝日はなにかというと問責決議を多発する野党には警鐘を鳴らして見せてはいる。が、その一方で、こと一川氏に関しては十分問責に値すると断罪し、野田首相はさっさと辞任を認めろ、辞任させろとしているのである。。なんとまあ、単純明快な論理ではある。私などこれまたBLOGでも書いてきたが、一川氏の言動が野党やマスコミが騒ぎたて、大臣辞任になるほどのものであったかどうか大いに疑問を持っている。 ただ少なくとも今回は二人の大臣は辞任をし、野田首相もその必要はないと判断したのだ。辞任をそう簡単に認めたら、今後とも辞任ドミノに追い込まれるという判断、党内事情もあっての判断であったかもしれない。が、一旦そう判断した限りは最後までその覚悟を貫くべきだ。無理が通れば道理が引っ込む、である。朝日はそれは無理筋でなく、道理筋だとしているが、果たしてそうか。 辞任を認めない以上、野田首相は、野党が審議に応じてこないことはもちろん分っている。だからといってなにも残りの国会会期をさっさと閉じることはない。政府与党側のその対応は極めておかしいと思う。 第一問責決議と審議拒否がワンセットというこれまでの国会構図自体がおかしいのである。問責決議にはなんら法的根拠はない。それが通ったからと言ってそれに従わなければ審議拒否という挙に出ること自体がおかしいのである。 もちろんそれは民主党も野党時代さんざん取ってきた国会対策、国会戦術だった。与党になったからと言って野党が今同じことをやることを非難などしようがないことはそうだ。しかしどう言われようと、与党としてはそのおかしさを主張すべきではないのか。 審議拒否があろうが、なかろうが、やるべきこと、国会会期がある限り、重要法案の審議を続ける努力をすることは政府与党としては当然のことではないのか。それをどうせ審議拒否されてそれが進まないのだからと法案審議から逃げてしまうこと自体、与党として責任を果たしていないという日経社説は正論である。 与党も与党、野党も野党、汚い言葉だが、まさに「目くそ鼻くそを笑う」類である。これから先またそうした国会の中では審議もなく、国会の外では与野党間の非難合戦が続くいつものパターンになる。 なんとまあ情けない日本の政治の現状である。 tad 関係記事: |
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「第17回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP17)で、日本政府は7日、2012年で期限が切れる京都議定書の延長に参加しない方針を中国交渉団トップに伝えた。13年以降の国際枠組み「ポスト京都」を巡り、現行議定書の延長が決まっても、日本としては温暖化ガス排出削減の数値目標を示さない立場を表明した。 中国など途上国は延長を強く要求し、欧州連合(EU)も容認姿勢を示す。だが日本は、すべての主要国が加わらない議定書では温暖化対策にならないとの主張を貫く。」 日経新聞 12月8日 現在進行中の第17回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP17)のことはあまりニュースにならない。日本のマスコミもこれについてはあまり報道しない。これは人類社会、地球社会が今後百年生存し続けられるかどうかの最重要なテーマのはず、どうしてもっと大きな関心を示さないのか。そんな中での今朝の冒頭日経記事だった。 そもそもあの京都議定書自体がおかしなものだった。発展途上国が、経済成長の観点からその段階でCO2削減の枠組みに参加しないという言い分自体、私などは、おかしいと思っていた。今日のCO2排出による温暖化の責任が主にEU、米国、カナダ、そして日本など先進工業国にあるから、排出削減についてはより大きな責任を持つべきという主張は当然のことである。 ただ、だからと言って発展途上国はその削減努力を一切追う必要がないという主張はおかしいと当初から思っていた。そもそもこれからの経済発展は従来のような大量エネルギー消費型でなく、省エネルギーをベースとするものでなければならないことは、先進国も、発展途上国も同じなのだ。発展途上国とて省エネルギー生産という地球上存在するあらゆる国の共通の目標をめざして、その中で、国の経済体質をそうした環境に沿って経済成長を持続していかなければならないのだ。その必要性は先進国も発展途上国も同じ、同じでなければならないはずなのだ。 現在の温暖化の主な原因を作りだしたのはたしかに先進工業国だ。しかしこれからは地球全体の国が互いに協力しながらCO2を削減して行かなければならないのだ。先進国にだけその責任を押し付け、自分達は先進国になるまである意味、先進国並みのCO2を排出し続ける権利があるかのごとき言い分に果たして正当性があるだろうか。 先進国により厳しい排出削減の努力目標を課すのは当然として、発展途上国が応分の、仮に先進国の半分、いや四分の一でもその負担をシエアするという精神をどうして持てないのだろうか。 しかしながら、取りあえず発展途上の言い分はちょっと横においておこう。京都議定書の一番おかしいところは、世界最大のCO2二大排出国米国と中国がこれに加わらなかったことだ。この二大国にも言い分はあるのだろう。が、その会議が決裂するよりはまだましだととりあえず、EUと日本、他先進国がああした形の議定書をまとめたのだった。まあ、EUも日本もみずから課した目標をまず率先垂範してその達成努力を示せば、米国も中国も追随してくるだろうと考えたのだろう。 しかしその後の展開はご覧の通りだ。どうもこの問題、世界中の先進国、発展途上国の基本的スタンスは京都議定書締結当時とあまり変わっていなように見える。それどころか、このCOP17では、その延長が主な話題になる始末。中国は延長を主張してはばからない。そして日本にとって我慢ならないのは、EUがそれを容認するという態度であることだ。なんだと、そんなバカな、それなら日本はそんな形で延長が決まっても今後一切削減目標は示さないぞ、と少々切れた言い分となったのだろう。 それは感情論でもなんでもなく、まことに正当な言い分ではないのか。米国や中国の主張は最初から明らかに不当なのだ。それに対抗するには、こちらもある意味不当な言い分を持ち出して対抗するしかないのである。そんな安易な妥協をするEUを含めて誰がその不当性、日本の主張が不当だと言う権利があろうか。 しかしもちろんそれは日本交渉団の真意ではあるまい。全体の交渉を少しでも前進させるための戦略、作戦であろう。分らないのは、EUがなぜそんな安易に中国や米国に妥協するのかである。どうして日本と一緒になって、米中へ明確な削減目標宣言を求めないのかである。 あらゆる意味で日本が京都議定書の延長に反対するのは正しい。ただ、だからそれで日本は今後削減目標など一切示さないということにつなげることは避けるべきであろう。延長するなら勝手に延長して下さい。日本はそんな決議は容認できません。そこまでいい。だから今後はその目標額など示しませんなどというのはまさに売り言葉に、買い言葉、それは大人の対応ではないということだ。 この問題について、12月3日の日経社説は次のように書いている。 「温暖化対策の本丸はあくまで国内での削減にある。原発事故を契機に国民のエネルギーへの関心が高まった。ここは再生可能エネルギーを思い切って拡大、高効率の天然ガス発電など化石燃料のクリーンな利用を徹底して日本を低炭素社会に変えていく好機だ。国内対策の充実があってこそ海外への交渉力が高まる。 米中の参加を前提に20年までに25%減らす中期目標は、エネルギー政策の見直しを議論する中で再吟味すればいい。国際交渉が求心力を必要とする今、自ら旗を降ろすのは賢明ではない。」その通り、正論ではないか。 仮に延長が決議されようと、日本は自ら、高い削減目標値を掲げ、それに向かって努力を継続することを世界に向かって宣言しておくことが肝要なのである。他国がどうあろうと、中国、米国がどうあろうとそれぞれの国がそれぞれ設定した目標に向かって突き進むしかないのである。EU諸国はもちろんその努力を継続するし、日本もそうしたらいい、そうすべきなのである。 それが地球温暖化対策という大きな目標達成にどう役立って行くか行かないか、今後のことだ。COP17では世界中からそれぞれの政府代表団が集まってああでもない、こうでもないとやりあっている。が、どうしてこんな明確なこと、人類社会が一丸となって取り組むべき問題がなかなかまとまらないのか。情けない話である。 ただこの問題については私は比較的楽観的である。日本が正々堂々その目標を掲げ、それを実践して見せることことが、日本がこの問題で世界の主導権をとれる唯一の道であろう。取って見せるべきなのである。 関係資料: |
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6日、読売新聞、朝日新聞、日経新聞がロシアでの下院選挙でプーチン「統一ロシア」が過半数を制したものの大きく議席を減らし、来年の大統領戦で当選が確実視されているプーチン氏の人気に陰りが出てきたことを報じ、その影響についての一般論を社説で解説していた。 そのいずれも、プーチン氏が大統領に再選されても、その政権の前途に横たわる大国ロシアの政治経済体制に関わるさまざまな難題に取り組まなければならないことを指摘していた。一般論としてはその通りだ。が、それが日本の政治経済にどう関係してくるかについての解説がもっと欲しいところである。 ソビエト連邦を支配してきた共産党政権が崩壊してロシアとなった当時の経済破綻状況からこの国家が立ち直ったのは、なんといってもこの国の天然資源の豊かさのおかげであったことにつきる。しかしその後も経済は、エネルギー資源に依存する体質から脱却できず、原油価格の変動で国家の歳入は大きく左右される。世界中に天然資源を輸出して外貨を稼ぐのはいいとして、それ以外に一体どんな競争力のある産業が育っているのか、それがあまりない、極めて弱い状況だ。 経済がそういう状況であるが、さて政治の方はどうかという問題だ。とりあえず選挙制度があるものの、本当にそれが民主主義的な原理・原則のもとにそれが運営されているかというと三紙の社説の解説にあるように、現実はまだまだそのレベルではなさそうだ。かっての共産党一党独裁時代の権力による弾圧の空気がまだまださまざまな面で残っているようである。もともと「統一ロシア」の圧倒的な支配力もそうした体質の温存と無関係ではないようだ。 それやこれやと見てくると、このロシアという国まだまだEU、アメリカ、そして日本などの先進国と比べて必ずしも経済的にも、政治的にも先進国とは言えない状況にあるようだ。日本の経済は、ロシアなどよりはるかに市場経済化しているし、産業構造中身の豊富さもその比ではないようだ。政治における民主主義の成熟度も日本とてまだまだかもしれないが、そのオープン性ということに関してはロシアのそれに比べるはるかにましというところか。公務員の汚職の度合いもロシアの方は深刻なレベルのようだ。 今やロシアもかっての鉄のカーテンで囲まれた世界ではない。ネットの普及進歩、そしてその影響が政治を大きく揺るがす世界的な兆候についてはこの国とて例外ではない。 プーチン大統領再選の後、ロシア経済の本当の市場経済化、政治の民主化が始まるのだろう。ネット化する社会体制の中では始まらざるをえないというべきか。プーチンとそして民主主義にめざめた市民大衆がどのように対峙し、一体どのような接点で、ロシアが市場経済化、民主化を進めていくか、これは日本を含めたどの世界にとってそれぞれ大きな関心事である。 ロシアは日本にとっても、米国、中国、韓国などと並んで、重要な貿易の相手であることなど言うまでもない。特に日本にとっては北方領土という問題をひかえている。今回がの下院選結果が北方領土解決にとって吉なのか凶なのか。そのいずれであるか全くわらない。 ただこれから誕生するであろうプーチン政権が民意とか世論とかにこれまで以上に大きく影響を受けるようになることだけは間違いのないことだ。そういう意味では一般的にはそれは日本の領土問題の解決にはより大きな困難を増すことになったということか。 領土問題もさることながらそれによって日本とロシアの経済関係がどのような形で発展していくのか、これまで以上に発展するのか、はたまた停滞するのか。そして発展のためにそれをより有利に進める日本側の戦略とは一体何なのかが問題である。 主要三紙の社説を見てもただ抽象的なロシアの現状について解説だけで、さて日本がロシアとどう対峙するかについての戦略論が全く見られない。日本がこれからこの隣国とどうつきあっていくのか、マスコミはもとより、経済、政治、外交の専門家の戦略論をもっと聞きたいところである。 tad 関係記事: |
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財政状況のさらなる悪化を避け、日本が第二のギリシャやイタリヤのようにならないようにするため、そして増大する社会保障費の財源確保のための消費税増税スケジュールを早期に決める必要があると野田首相は主張している。そして朝日、日経、読売など主要マスコミ各紙は総じて社説でこれを支持し、最近は野党自民党も野田首相が呼び掛ける消費税の増税のための協議に応ずるべきだという論調が主流となっているようだ。 そしてその一方で民主党の中で増税反対論、とりわけそれが主に小沢氏のグループから出ていることをマスコミは盛んに報じている。さすがにそれがけしからんということではないが、その記事だけ読むと、そんな反対がなく、民主党内さえまとまれば増税路線はよりすんなり進む。それには野党自民党もそれに協力せよ、それが国家国民のためだ、と言わんばかり雰囲気にも見えてくる。 小沢氏が今増税を掲げ選挙をやると民主党大敗はまちがいないと言っていることをとらえて、盛んにその報道をする。するとそれを読んだ国民は、小沢ってやはり選挙のことしか考えない政治屋だと思うという図式だ。果たしてそうなのか。増税に反対している議員は何も小沢グループだけでない。野党、いや自民党の中にも数多くいるはずだ。現在の状況下で消費税アップをするとそれがさらなる景気後退をもたらすということで異論を示しているのであって、そうした議員にしても、いずれそう遠くない将来消費税アップが必要であることを否定しているわけではないはずだ。 第一民主党は政権交代前、政権を奪取したら行政改革、公務員改革、国会改革を含めた政治改革、さらに社会保障制度改革、とりわけ年金制度改革をやることを国民に約束した。それがどれくらいできたのかできなかったのか。野党にそれが全然出来ていない、出来なかったではないと、言わせたままで、増税路線を走っていいかのどうか、それが大きな問題なのだ。民主党党内にまだまだその前にやるべきことが沢山残っているという主張があるのは当然なのだ。それが何なのか、もう十分に議論され、検討されたのかどうかである。 数多く改革の中でも一番の目玉は年金制度改革であろう。これが政権交代の最大の要因の一つであったはずだ。公務員のための共済年金、民間企業の厚生年金、そして一般国民のための国民年金という現年金制度が、すべて国民にとって平等で、自公政権が言ったように百年通用する制度であったのか。そうでなかったことなど今や明白なのである。 そうした年金制度のそのものの根本的な改革論議もないまま、どうして支給カット論議ばかりが出てくるのか。一番肝心の年金制度そのものの改革の必要性を論じないで、どうして財源不足だから支給制限、カットは避けられないなどという論議が出てくるのだろうか。 主要マスコミ紙の最近の社説などの論調を見ても、消費税アップの具体策を進めよという論はあっても、国民に約束した年金制度改革論は一体どうなったという疑問提起が一向に見当たらない。おかしな話である。 自民党はなにかというと、増税協議を避ける理由として、民主党内がまとまっていないことを理由にあげる。それを理由に挙げることはいいとして、その一方で自分の考え、政策はどうなのか一向に明らかにしないのである。いや、自分のところだって、それがしっかり固まっているわけでないからだ。 別にこの問題に限らず、あらゆる国の行く末を決める問題で党内の意見が二つに割れることなど当たり前のことではないか。政権交代前、党内で意見が割れることを指摘されると、自民党はそういう多彩な意見のある健全な党なのだと言っていた。それについては私はその通りだ思っていた。 年金制度問題、TPP問題、災害復興、沖縄基地移転問題、どれをとっても議論百出するのが当たり前なのだ。そうした国家、国民全体に関わる問題について、その政策作りのために協議する、論議を重ねることをどうして避けるのか、その意味全くわからない。 増税論についても民主党がまとまっていないのなら、自民党がそれを主導し、それでより多くの国民の支持を獲得するということこそが、政権奪回の王道ではないのか。それをあのくだらないレッドカード乱発戦術に明け暮れている。それでは国民の支持を得られないことなどどうしてわからないのか。 tad 関係記事: |
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石原自民党幹事長が9日一川氏の防衛相に対して問責決議を出す、レッドカードを出すなどと粋がった発言をしていた。何がレッドカードだ、レッドカードとは審判が出すもの、それを出された選手は即退場となる。そんなカードをどうしてあんたら自民党が出す権限があるのか、ルールがあるのか、だ。もっとも彼らはルールなんかどうでもいいのだ。そういうパーフォーマンスをやって、要するに野田政権に打撃を与えたいだけなのである。 その点では、公明党はずる賢い。「問責の前に辞任が望ましい」ときた。そう、彼らは問責を乱発すると世論が反発すること位はわかっている。出すのはいいが、実際辞任に至らなければ、場合によってはその影響は出した側に及んでくる。だから自主的に辞めてくれるのが望ましいわけだ。 野党がそういう作戦に出るのはわかるとして、ひどいのは、与党民主党内からも、そうだこの際、一川氏に辞めてもらわないと、収まるものも収まらない、という声があがることだ。前原誠司政調会長は、一川氏について「過去の経緯くらいは勉強してほしい。そうでないと安全保障、米軍との関係の問題もうまくハンドリングできないのではないか」と防衛相としての資質に疑問を呈する発言をしていた。これは本人はもちろん野田首相にとっては致命的だ。 なにを言ってるかである。あの少女暴行事件の概要くらい誰だって知っていることだ。それを「詳細まで承知しているわけではないが」と答弁したことがどうして即大臣の資質に掛ける証拠となるのか。それが直接米軍と基地問題で交渉することのどんな障害になるのであろうか。前原氏はその問題についても精通していたそうだ。それならどうして外務大臣として基地問題の進展に全くなんの貢献ができなかったのか、と問いたい。 問題はそういう言い分が、野党はもちろん、マスコミも、そして与党内からも、さらに世論一般も、そうだそうだ、ということになってしまうところなのである。あの「私は防衛問題については素人」発言についてもそうである。誰かかがそれはけしからんというと、マスコミ、世論までそうだ、そうだとなってしまうのだ。これが日本社会の一つの特色のようだ。 今までもそうだったが、どうも日本と言う社会、なにか問題が起こると、その根本的問題、問題の根源を考えなところがある。そして問題解決することができないとなると、それについて無意識にスケープゴートを作ってしまうところがある。あいつが悪い、こいつが悪いと罪をきせ、それによって問題解決ができないことをごまかしてしまう、いけにえを俎上にあげ、問題自体は棚上げしてしまう傾向がある。まさにそれがスケープゴートなのだ。 いや、それを言うと、それこそこちらがそれにされてしまいかねないが、あの仲井眞沖縄県知事さらに言うなら、「一川帰れ」と叫ぶ反対派の人々もそういうところがあるのではないか。反対派の人達は「一川帰れ」と叫んでも、さすが「米軍帰れ」とは叫ばない。叫べないのだ。米国はこの問題に関してはむしろずっと我慢して、待ってくれているのである。 そういう観点からいうと、これはもうむしろ国内問題、しかも過去のいきさつから言うともう誰が首相になっても、外務大臣になっても、防衛大臣になっても、今政府がやろうとしている方向しか解決策などないはずだ。3日のBLOGでも書いたが、それは自公が再び政権の座についても同じことなのだ。その時自公政権は一体そのことについてどういう方針を打ち出すのか。どういう言葉でアプローチするのか。それに対し、知事はどう臨むのか、そして住民はなのである。 一川氏とて、そのエスケープゴートになることを何がなんでも避けるわけではないだろう。そうすることがことが国家国民のため、つまりそのことで、基地問題が前に向かって進むのならその意味はあろう。そうではなく、ただそれが野田政権、ひいては民主党政権の崩壊ということになるのであれば一体それはなんのためかなのである。私は別に民主党政権崩壊自体が困ると言ってるのでない。 それがどんな政権であれ、主権者たる日本国民はそろそろこの問題についてそのスタンスを明確にすべき時ではないか。野田首相は多分一川氏辞任の判断をするだろうが、その場合、その前提、条件、交換条件としてもいい、内外に向かって、この基地問題を現段階で予定している方向に向かって前進させることを明言し、実施に移すべきである。 それならスケープゴートの意味は大いにある。 tad 関係記事: |




