私の園芸ノート

思いつくままの気紛れメモですが・・・

故郷

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雨の布滝

イメージ 1

と言っても、昨日今日の写真ではないのですが、昨年の夏に写してきた大雨の日の布滝です。
断崖から一枚の布を垂らした様にサラサラと流れる水の帯
普段は、そんなイメージから命名されたことが一目了然の布滝ですが、大雨が降るとこんな風になります。

水窪には通算で20数年間暮らしましたが、こんなに水量の多い布滝はこの日、始めて見ました。

実家の跡地から少しだけ本町よりに徒歩移動して写真を写した後、車で向市場の体育館前まで移動しました。
その後、タカハシを渡った所にある特産品売り場を覘いて「シジミバナ」を買い、小畑まで車でバイパスを走り、
小畑からは町通りに出て、そのまま帰途に着きました。
今度は夏に来て、スーパー林道を走ってみたいと思っています。

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家の跡地横から、畑のあったところを覗き込むような格好で写してみました。
びわ、すもも、柿、栗、イチジク、ぐみ、ユスラウメ、桃、胡桃、ゆず、ぶどう・・・
沢山の果樹や野菜がこの土地で作られていたなんて、とても想像できないと思いますが
四季折々に、私たちに恵みをもたらせてくれた土地でした。

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ガードレールの足元にスイセンの葉が茂っていました。
遠い昔、在りし日の母が植えたスイセンだったのでしょうか???

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後ろを振り返れば、さっきまで写真を撮っていた場所と祭りに使う屋台(山車)の保管庫がみえました。
お祭り大好き、仮装大好きの地元のお医者さんは、今年から静岡県の医師会長さんになられたそうです。
ネットに載っていた写真でお顔を拝見しましたが、余りの変貌ぶりに「え?」という感じでした。
私がお世話になっていたのは、今から35年も前のことですから無理もないですね^^)。
自分が年をとったことは棚に上げて、今の私よりはるかに若かった先生を思い起こして変貌したと言う方が異常かもしれません。

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家の裏の境界に生えていたケヤキの木が大木となって茂っていました。
「元のようにしておけの木」ではありません。念のため。(その木は上の写真に写っています)

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万勢(マンゼ)への登り口です。

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万勢(マンゼ)への上り口には、水窪の大きな案内板が設置され、その柱にくくりつけられたポストには
案内板を縮小したパンフレット(大好きみさくぼ)が入れてあり
自由に持ち帰りができるようになっていましたので、次回、訪れる時の参考にもらって帰りました。

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万勢上り口の横の山ですが、子供の頃には沢山の真っ赤な実をつけた南天が無数に生えていました。
でも、今は植林された杉が大きくなって陰を作り、南天などは皆枯れてしまったのではないでしょうか?
枝払いも十分ではなく、父が見たら一言二言、何か言い出しそうです。

実家跡地に立って

思い出を共有できる人にしか解らない記事で申し訳ありませんが、
こんな田舎町もあるのだと思ってご覧いただければ嬉しいです。
15年前に道路になってしまった実家跡地周辺の写真です。

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実家跡地のすぐ北(中電の防火用水があった庭の道路側)から向市場方向を写しています。
○沢さんのお宅のあった所には、別のどなたかが家を建てて住まれているようすでした。

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ジャガイモを転がし損ねた道(笑)の上から下に向けて写してみました。
○井さんのお宅も、綺麗に手入れされた茶畑も以前と変わっていませんでしたが、
その前には老人ホームらしき建物が建っていました。

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上の写真と同じ場所から真正面の向市場駅周辺を写してみました。
大きな建物は私の通った中学校ですが、その手前に細長く続くのは駅のホームです。
子供の頃、盆正に帰省する姉たちの姿を逸早くみつけようとこの場で見張り
電車が通り過ぎた後にホームで手を振る姿を見つけた時の嬉しかったこと。
急いで迎えに走ったことが昨日のことのように思い起こされます。
自分が上京していた時には、ここに立って手を振っていた母の姿を思い出したりもしました。

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同じ場所から、カメラをそのまま上に向けて上村方面を写してみました。

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同じ場所から、カメラを右方向へ向けると河内川(こうちゅうがわ)の鉄橋と
その下に久頭合(くずごう=三角山)へ向かう道が見えました。
クマ(愛猫)もこの道を登って愛妻の下へ通ったのでしょうが、
ここへ辿り着くまでは川を泳いで渡ったのかしら?
それとも、タカハシまで歩いて行って、また逆戻りしてこの道まで来たのかしら?
そんなことを考えながら写してみました。

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同じ場所から更にカメラを右に向けると、部落の入り口にある庚申様が写ります。
と言っても看板だらけで、庚申様は看板の後ろにかすかに解る程度にしか見えませんが。
庚申様の手前数メートルの道路の脇に、何かの工事に使った残りの砂が捨てられている時がありました。
当時、飼っていた猫のリリーの娘の「ちーちゃん」は、この小さな砂山をトイレと決めていて
小雨の時でもすごいスピードで砂山まで走っていました。
神様の傍にトイレをするなんて人間なら罰当たり者でしょうが、相手が子猫では庚申様も笑って許してくれたと思います。

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カメラを家の真正面に向けると子供の頃にあった「上の畑」は道路になって
万勢(マンゼ)への道も作り直されていますが、30年くらい前とは変わっていないみたいです。
まだ小さかった頃、中電の社宅に住んでいた「かん兄ちゃん」に、見える範囲の畑を飛び回って
真っ暗な中で星明りを頼りにかくれんぼをしてもらったことが思い出されます。
古き良き時代の思い出、今、そんな奇特なお兄ちゃんがいたら大問題になっているかもしれませんね。

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カメラは270度回って、家の北側、水窪の本町方向に向いています。
私の家は元々、本町の家並みから少し外れて建っていましたが、
道路拡張工事のために、我が家に近い9軒も一斉に立ち退きに合いました。
それでも、この写真の一番先端位からは元々家がなく、
崖のようになった斜面は母乳の出なかった母の代わりに
私たちの乳母となってくれたヤギさんの草場になっていました。
私たち子供が大きくなってからは草葉も必要がなくなり、
母が段々畑にして野菜や果樹を植えていました。
私の百姓好きも、高齢だった母を手伝っている中で培われたもののようです。

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引っ越しを余儀なくされた9件の家は、橋の袂からこの辺りまで川を背に、道路に面して建っていました。
我が家もそうでしたが、道路側からは平屋、川の方から見ると2階建てという崖作りの家です。
平地の狭い山の町に住むための生活の知恵が生み出した工法だと思います。

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写す場所を少しだけ本町よりにずらして、昔、梨の木があった辺りから上の写真と同じところを写してみました。
木の枝に邪魔されない分、本町がよく見えるのではないでしょうか。

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同じ位置から、向市場方向を写してみました。

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同じ位置から、川を覗き込むように写してみました。
この川には、沢山の思い出が詰まっています。

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ハチクやモウソウチクの植わっていた竹薮のなごりです。
竹を切り倒してコンクリートで固めたはずなのに、根っこの生き残った部分が川の方に広がったのでしょうか?
まだまだ若い竹が数本あるだけですが、そのうち、見事な竹薮になってくれるかもしれません。
強いですね、偉いですねー。(^^)V

釜の沢と中瀬

解る人にしか解らない写真でごめんなさい。

私の原風景とも言うべき、子供の頃の思い出の染み付いた場所でした。

過去形になってしまったのは、この沢のホンの一部を除いて

全部が変わってしまったからです。


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釜の沢橋から、釜の沢を眺めると、昔とそんなには変わっていません。

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でも、道路の傍まで整備されていた木馬(きんま)道はすっかり荒れ果て、
一人でもヨンザまで平気で歩いて行けた私も、怖くて先に進めそうにありませんでした。

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道は荒れていましたが、可愛いタチツボスミレが咲いていて元気をもらいました。

イメージ 4

道路から製材へ下る道を少し歩いて家宅侵入にならない程度の位置から写した製材です。
この写真のほぼ正面に当たる所、製材の突き当たりに見える建物は喫茶店でしたが
今はテナント募集中の看板が立っていました。
きっと、空き家になってから年数が経っているのでしょう、かなり荒れていて手直し無しには利用できそうにありませんでした。

イメージ 5

製材の傍には民家もあって、昔は釜の沢から田んぼへ水を引く水路になっていて
きれいな水が流れていた場所がこんな風になっていました。


イメージ 6

製材入り口で城西方向を背に、一本松の方を見るとこんな感じになっていました。

佐久間ダム

帰郷の途中、佐久間ダムによってみました。
このダムが出来たお陰で私の故郷に飯田線が迂回するようになり
子供の頃には、観光客で賑わった花形ダムでしたが
今は訪れる人もまばらで、ひっそりとしていました。
それでも昔は無かった立派な電力館が建ち、
入場無料ということもあって覘いてみました。
あまり時間が無かったので、電力関係の説明はパスして
建物から上っていける展望台が目当てだったのですが
館内の民話を聞くことのできる設備に目が止まり
懐かしさにスイッチオンをして耳を澄ましました。
でも、録音再生が始まってすぐ、「あ〜、聞くんじゃなかった。」
と、がっかりしてしまいました。
高校時代、土地の古老に聞き歩いた伝説が、
若いアナウンサーと思しき美声で語られ始めたからです。
それでも、無人でしゃべらせて置くのも申し訳ないので聞いていると
「・・・じゃった。」などと、この土地では聞いたこともない言葉尻。
きっと民話も伝説も興味の無い都会の人が日本昔話でも参考にしながら
土地の民話を題材にシナリオを書いたのでしょうが、
故郷に帰ってまで、美声の故郷民話を聞きたくなかったと後味の悪さが残ると共に
土地訛り、方言だらけの昔懐かしい民話が堪らなく聞きたいと思いました。
何故、垢抜けた都会の言葉で民話を語る必要があるのでしょうか???

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展望台からのダム。

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展望台から写したものですが、放水されていなかったのが残念でした。

イメージ 3

展望台からダム湖をアップで写してみました。

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