私の園芸ノート

思いつくままの気紛れメモですが・・・

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田吾作農園 その後

長いこと ご無沙汰してしまいました。 m(_ _)m
ご無沙汰中に日本でも海外でも 様々な考えさせられる事が起きましたねー。
 
子どもたちが幼かった1986年にチェルノブイリ原発事故が起こり
反原発の姿勢を生涯崩すまいと心に誓った時もありました。
それなのに横着者故か 便利な生活を捨て切ることが出来ず、言い訳生活を続けているうちに
いつの間にか、電力消費に対する罪悪感を感じることさえなくなっていました。
そんな日常を戒めるかのように原発で重大事故が起きてしまいました。
 
チェルノブイリ事故は長女の2歳のお誕生日2日前、長男が1ヶ月の時におきました。
放射性核種は7000キロの彼方から大気流に乗って日本にもやってきて
5月の連休頃から毎日新聞もテレビも大気中の放射線量を伝え
青菜や牛乳の摂取に注意を呼びかけていました。
6月になって(22日の朝日新聞と記憶しているのですが自信はありません)
当時の科学技術省(多分)が大々的に安全宣言を発表しました。
事故以来、食生活、特に子どもたちの食生活に気を使っていた私は
その日以来、安心して放牧牛の牛乳や青菜類を子ども達に与えるようになりました。
でも、大気中の しかも当時測定していた上空の放射性線の量が減ったということは
それまで上空にあった放射性核種が大地に降り落ちたということで
野菜や牛乳に放射性核種が取り込まれるとしたら、それ以後だったという事実を知ったのは
ずっと後になって、原発や放射能に関する勉強を始めてからでした。
原発の安全性を強調したい人たちの陰謀にまんまと引っかかってしまったのですが
原発に関する嘘や誤魔化しを挙げ始めると限がなくなってしまうので止めます。
ただ、いつの時でも御用学者と言われる学者さんがマスコミに引っ張り出されて安全を強調するし
現地で被災されている方々への配慮を怠らない良心的な学者さんは言葉を選んだり黙すので
本当のことを知るためには自分が学ぶしかない点は昔も今も変わっていないと感じます。
 
そんなことを感じながらデモに参加するわけでもなく、講演会を開くわけでもなく
反原発行動を共にしていた嘗ての仲間たちと連絡をとるでもなく
7月に生まれた孫と戯れ、8月末に完成した終の棲家への引越し作業に追われる日々を過ごしてきました。
 
ということで やっとタイトルに辿り着きましたが、田吾作農園は私たち夫婦の終の棲家に変えてしまいました。
約90坪の田吾作農園に建てた家は建築面積が27坪ですから、まだまだ農地が残るはずですが
広目にとった駐車場予定地や1987年から続けてきた減農薬米共同購入グループの倉庫置き場などで一杯になりそうです。
これまでの家で栽培していた鉢植え植物を全部運んだら置き場所にも悩むほどとなり、畑はほとんど残せそうにありません。
今は大根を少しとネギとニンニク、ワケギを少しだけ植えてあり、これからエンドウを植えたいと思っているのですが、どうなることやら・・・
引越しも完全に済んでいないし、本格的にブログを再開するには今少し時間が掛かりそうですが、とりあえず長期閉鎖を返上しようと書き始めた次第です。
 
これから少しずつ、日ごろ思うことや、田吾作農園の今と昔の写真などを載せていけたらと思っていますので、よろしくお願いします。
 
写真は本文とは無関係で申し訳ありません。
愛知県豊田市小原町の桜と紅葉で2009年の11月28日に撮影したものです。
東海地方を台風が直撃した年だったので、葉が落とされてしまった木も多かったですが、春と秋が同居しているような不思議な美に感動しました。
 
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季節を忘れた花たち

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遅くまで暑い日の続いた今年の夏でしたが、最近はめっきり寒くなり

例年通りの冬がやってきた・・・・と思っていましたが

我が家の畑には、ちょっとした異変が起きています。

先日ご紹介したアザミや矢車草が開花したり、川原ナデシコやタカネユリ(タカサゴユリの間違いでした)や

イチゴまで開花していました。

そのうえ、イチゴは小さな実までつけ始めました。

でも、畑に何の覆いもしないまま、霜が降り始めたらせっかくのイチゴも腐ってしまうだろうと

周りの土を沢山つけて掘り返し、自宅に運んで植木鉢に植えなおしてみました。

一番日当たりの良い駐車場に運んで、鉢ごとビニール袋を被せてみましたが、

どうなることでしょうか?

一応、次々と開花して沢山成ってもらう予定で鉢底近くには有機肥料もタップリ入れておきました。

ハウスでなら、今の時期に熟しても不思議ではないのですが、路地で今頃実がなるイチゴは今年が始めての事です。

鉢植えイチゴはどうなるのでしょうか???

ネムの木の思い出

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子供の頃、実家の土手には見上げるほどのネムの大木がありました。
毎年、夏になるとその木の下に行って、落ちてくる花を拾うのが好きでした。
フワフワと拡がっている薄桃色のシベとも花弁とも解らない花は桃によく似たあま〜い香りがします。

この花が大好きなので、実家の土手から子生えを抜いてきて庭で育てていました。
それを見た父が、「こんなどうしようも無い木を植えて・・・葉が落ちたら目を突くのがオチだ。」と文句を言ったことがありますが
その真剣さからは、過去に痛い目にあったことがあるのだと想像させられました。
もっとも、本人は否定しておりましたが、「こんな木は炭にもならんダメ木だ」とつぶやいておりました。
心の中で「庭木で炭を作る予定は無いから、そんなに怒らんでよ。」と言いながら、ただ笑って聞き流したあの日、あの時が父無き今懐かしく思い出されます。
その後、その時の合歓の木は私の目を突くことも無かったのですが、倉庫を作る時の移植に失敗して枯れてしまいました。

その後、合歓の木を欲しいと思いながら入手できないでいて、4年くらい前に売れ残ってタダのような値段で売られていたこの子を見つけました。
購入した時は、花が終わり、葉も落ちかけて本当に育つのか疑問に思うくらいでしたが、我が家に来たらとたんに元気になってくれました。
そして、毎年今頃から晩秋までに2度〜3度の花を楽しませてくれます。
私の記憶の中では、夏に一回だけ咲くのが合歓の木だったのですが、全部の花が終わってしばらくするとまた花が咲き始めるのです。
合歓の木って、そういうものだったのでしょうか???

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公共の場にゴミを捨てるフトドキ者はどこにでもいるものですが
私の畑の中や、周辺道路にもゴミは捨てられています。
部屋を作った後は、畑と道路のゴミ拾いが待っています。
自分のゴミは自分で持ち帰る、たったそれだけのことが出来ない悲しい人が絶える日はくるのでしょうか???

ホームレスのお家

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我が家の畑は家から9キロも離れています。
そのなのに車に乗れない私が長時間畑にいる時に、畑について最初にすることは
辛うじて日除け雨除けになり、周囲を覆って更衣室にもなるホームレス仕様の部屋作りです。
物置の屋根に乗せているビニールシートを引っ張って、地面に打ち込んだ杭棒に縛るだけの簡単なものですが
お昼に畑の花を眺めながらお握りを頬張ったり、疲れた時に台車にもたれて休憩したり
泥で汚れた服を着替えたり、なかなか重宝しています。

でも、夏になったらキューイの棚の下でお弁当を食べる方が涼しくて美味しいだろうと葉の茂るのを期待して待っています。

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