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去る10日台中市新社区で山岡先生の慰霊祭が行われました。今回の慰霊祭が始まる前に集合場所となった新社高中で山岡先生に関する冊子本が参加者全員に渡され、その中に長年の疑問だった碑文の内容が掲載されておりやっと解明しました。では、その碑文を記しましょう。
*********************「殉職山岡先生之碑 碑文」****************************************
君ハ明治三十五年愛媛県伊予郡中山町ニ生レ、昭和五年一月渡台、職ヲ東勢農林国民学校ニ奉ジテ
育英ノ任ニ就クヤ、切々卉ル熱ヲ以テ学徒ヲ導キ、滾滾溢ルル愛ヲ以テ子弟ニ接ス日、尚浅クシテ
心肝ノ融合渾然一体ノ如シ、偶々同年五月九日豪雨忽チ食水嵙渓ヲ激流ト化シ帰途ニ在ル児童危殆
ニ瀕ス君之ヲ聞クヤ目前難ニ面セル人命ノミヲ知リテ厳ヲ噛ム急湍アルヲ見ズ卒然身ヲ躍ラシテ救
ニ赴キ遂ニ斃ル嗚呼壮絶崇高ナルガ君ガ行跡ハ誠ニ一世の亀鑑タリ宣ナリ地方有志及父兄等茲ニ渓
ニ臨ミテ碑ヲ建テ君ガ殉職ノ遺烈ヲ後昆ニ垂レムトス即テ来リテ文ヲ余ニ嘱ス此ノ擧ヤ誠ニ興風作
教ニ効スヲ喜ビ敢テ按ヲ草スト云爾」
昭和五年十一月一日 台中州知事正五位勲四等 水越幸一
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昨日5月10日は山岡先生の 故郷の愛媛県中山町からも遺族の方が参列。地元住民をはじめ台日会、台中・高雄の日本人学校の先生方も参加して記念碑の前で献花したあと柏の樹を植樹し山岡先生への追悼と感謝の念を表したのでした。
山岡先生の孫娘さんにあたる駄場美恵さんも翌日の新聞に掲載されましたのでアップしておきます。日本統治時代に台湾ではこのような事がもっとあったと思いますが、国や時代を越えて台湾の人たちが先人の行為を顕彰していることに対し、本当に頭の下がる思いです。
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