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昭和10年(1935)4月21日(日)早朝台湾中部(新竹州苗栗〜
大甲郡にかけて)地方にマグニチュード六〜八という大震災が
あり多くの家屋が倒れ鉄道道路の決壊電信の不通断水等死傷者
七千人以上と言う大惨事が起こった。
清水の町も多くの商店住宅が倒壊し死傷者千人以上という
被害を受けた。
各地で死体発掘作業が開始され郡役所広場には多くのテントが
張られ救急医療活動罹災者救援のために官民一致不眠不休の活動が
はじまった。
この日は弟敏夫(小二)が社口の民家の下敷きとなり死亡
した。この日の驚きは今でも忘れる事は出来ない。
(管理人から一言)
「もう駄目だ。」と観念させられるほどすごい恐怖感を覚えた
あの台湾大地震が発生から6年になります。
吉田先生も時は違えど同様な体験されていたのです。
まさに天災(地震)は「忘れた頃にやってきた」のです。
被災者の一人としてあの日のことは一生忘れられません。
(この記事の内容は下記に紹介済み)
「台湾風物情」P112〜113
メルマガ「遥かなり台湾」第8号 02/09/21
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