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			<title>台日会</title>
			<description>　戦前台湾で生まれた日本人は「湾生」と呼ばれていました。
戦後半世紀を過ぎて、その湾生の方が自分の少年時代を思い出しながら描いた
画文集（絵と文）を紹介します。
　戦前の台湾を知っている人がだんだん残り少なくなってきました。このプログは
日本統治下の台湾の様子を後世に伝えて行きたいと思っています。
　なお、これまでに自費出版した本「今日から明日へ」「台湾風物情」（いずれも
絶版）や現在発行しているメルマガ「遥かなり台湾」でもその画文集が紹介されています。

管理人は台中市に拠点を置く、日台交流グループ「台日会」のメンバーでもあります。
ここでは台湾画文集と並行して台日会の様子もお届けします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>台日会</title>
			<url>https://s.yimg.jp/i/jp/blog/iym_img.gif</url>
			<description>　戦前台湾で生まれた日本人は「湾生」と呼ばれていました。
戦後半世紀を過ぎて、その湾生の方が自分の少年時代を思い出しながら描いた
画文集（絵と文）を紹介します。
　戦前の台湾を知っている人がだんだん残り少なくなってきました。このプログは
日本統治下の台湾の様子を後世に伝えて行きたいと思っています。
　なお、これまでに自費出版した本「今日から明日へ」「台湾風物情」（いずれも
絶版）や現在発行しているメルマガ「遥かなり台湾」でもその画文集が紹介されています。

管理人は台中市に拠点を置く、日台交流グループ「台日会」のメンバーでもあります。
ここでは台湾画文集と並行して台日会の様子もお届けします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp</link>
		</image>
		<item>
			<title>2018年　9月例会のおしらせ</title>
			<description>まだまだ暑い日が続いていますね～&lt;br /&gt;
今日は９月の例会についてお知らせします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日時　９月８日(土)　　午前１１時３０分～&lt;br /&gt;
場所　民龍和龍里聯合活動中心&lt;br /&gt;
参加費　３００元　　学生は１００元&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内容　演奏　二胡と琵琶の演奏&lt;br /&gt;
　　　発表　￣眸臈隋⇒親畊馘腓任梁慮鈎&lt;br /&gt;
　　　　　　合歓山ドライブの旅　&lt;br /&gt;
　　　　　　Ｆ椶任離錙璽ングホリデイ&lt;br /&gt;
　　　　　　た岨蝋陳襪砲弔い&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、今回はゲストの伊勢寛さんが希望者に足裏マッサージをしてくださいます！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
土曜日の午後を有意義に過ごしてみませんか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
誰でも参加ＯＫです！台中でお待ちしています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/65302665.html</link>
			<pubDate>Thu, 30 Aug 2018 21:45:03 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>台日会facebook</title>
			<description>今日は台日会のfacebookのお知らせです！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フェイスブックを開いていただき、&lt;br /&gt;
　日台の架け橋「台日会」　と検索をお願いします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;https://www.facebook.com/groups/2005004956183010/about/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;https://www.facebook.com/groups/2005004956183010/about/&lt;/a&gt;　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一応、アドレスを貼っておきますが飛べるかな。。。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
メンバー希望者の方はリクエストを送って下さい。&lt;br /&gt;
よければお友達にも拡散して下さい。よろしくお願いします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/65293983.html</link>
			<pubDate>Mon, 20 Aug 2018 22:52:42 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>台中の紹介</title>
			<description>本日は私が住む台中市について紹介します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
台中は中部台湾の政治・経済・交通・文化の中心としての役割を担っています。&lt;br /&gt;
台北からだと新幹線で約１時間、高速バス利用なら約２～３時間で到着します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで私のおすすめポイントを挙げたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
∥耋竸佑住みたい都市No.1&lt;br /&gt;
　大肚山の丘陵と中央山脈の間に位置する台中市は、年平均温度23度、年間降雨量1,700ミリと、四季を通し　て温暖な気候に恵まれ、その地形的条件から最も台風の被害に遇わない都市としても知られています。&lt;br /&gt;
　緑も豊かでのんびりした雰囲気から、台湾人が最も住みたい都市ともいわれています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
△燭さんの観光名所&lt;br /&gt;
　台中駅、市長公邸、台中放送局など、多くが史蹟に登録されています。&lt;br /&gt;
　寺社では、北区に日本と縁の深い宝覚寺（金色の大きな大仏様で有名）、また台中市郊外にある、一度見　たら忘れられない鮮やかな色使いの絵で埋め尽くされた地区「彩虹眷村」もおススメ。家にも壁にも道路　にも絵が描かれ、見ているだけで元気になれます。　&lt;br /&gt;
　夜市も有名で、特に逢甲大學の周囲に広がる逢甲夜市はここでしか食べられないものがたくさんあり　ま　す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
８鯆未便利&lt;br /&gt;
　台中はちょうど台湾の中部に位置しており、新幹線を使えば北部の台北市や南部の高雄市まで、片道1時間　足らずで行くことができます。台中を拠点にすれば旅の幅が広がります！&lt;br /&gt;
　それから、なんといっても市内のバス事情です。台中市のバスは10キロまで無料なんです。&lt;br /&gt;
　台中観光では交通費の心配は不要ですね～。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大都会でありながら、ゆったりとした時間が流れる場所です。&lt;br /&gt;
ぜひ一度お越しください～</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/65283434.html</link>
			<pubDate>Tue, 07 Aug 2018 22:12:53 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>台日会について</title>
			<description>みなさんこんにちは！　大家好～！&lt;br /&gt;
台日会について簡単に紹介します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
台日会とは、台湾台中市で活動する台湾人と日本人の交流会です。（例会と呼んでいます）&lt;br /&gt;
月に１回皆で集まり、お弁当を食べつつ、近況報告や持ち寄った議題についての意見交換をしています。&lt;br /&gt;
時にはゲストをお呼びして講演をしていただくこともあります。&lt;br /&gt;
学生からリタイアされた方まで幅広い年齢層が毎月出席しており、&lt;br /&gt;
中には日本統治時代を経験された方もいらっしゃいます。&lt;br /&gt;
ここに来ると、新しい出会いやたくさんの発見がありますよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
台湾在住者、旅行者問いません。気になった方はお気軽にお越しくださいね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～例会の案内～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
期日：毎月第２土曜日　　午前１１時３０分～&lt;br /&gt;
　　　&amp;#27599;月第二個週六    上午１１：３０～&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
場所：民龍和龍里聯合活動中心（西屯路一段169號）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
行き方：台湾大道を走る３００番台のバスに乗車し、中正國小バス停で下車、&lt;br /&gt;
　　　　台北富邦銀行のそばの路地を入り徒歩３分。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
交通：搭乘巴士，台灣大道，中正國小站 下車。&lt;br /&gt;
      走進去台北富邦銀行的巷子 大概3分鐘就看到活動中心&lt;br /&gt;
     &lt;br /&gt;
費用：一般300元  學生100元　（お弁当、お茶の代金が含まれています）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　（費用裡包含便當費與飲料費）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/65282627.html</link>
			<pubDate>Mon, 06 Aug 2018 22:54:05 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>五分車（トロッコ）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-d8/taichu_jp/folder/620362/71/63342671/img_0?1405857772&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
かってはサトウキビを満載にした五分車（トロッコ）がこの路地を走っていたそうです。&lt;br /&gt;
（場所：台中市北屯路220巷）&lt;br /&gt;
ここに住む町内会の長老が道路際の壁に絵に描いて昔の様子を伝えています。この路地裏を&lt;br /&gt;
走るクルマは壁絵に気づかず通り過ぎていくのです。現代の若者にとっては絵本の中の世界&lt;br /&gt;
かもしれません。でも昔の台湾を知るラホヤー（お年寄り）にとっては小さい頃懐かしい思&lt;br /&gt;
い出がいっぱいに詰まっている絵なのです。この絵を描いた人はきっと後世の人たちに&lt;br /&gt;
「こんな時代もあったんだ」ということを伝えたかったのに違いありません。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/63342671.html</link>
			<pubDate>Sun, 20 Jul 2014 21:02:52 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>殉職山岡先生之碑</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-d8/taichu_jp/folder/1495613/74/63239674/img_2?1400681137&quot; width=&quot;211&quot;&gt;&lt;br /&gt;
去る10日台中市新社区で山岡先生の慰霊祭が行われました。今回の慰霊祭が始まる前に集合場所となった新社高中で山岡先生に関する冊子本が参加者全員に渡され、その中に長年の疑問だった碑文の内容が掲載されておりやっと解明しました。では、その碑文を記しましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*********************「殉職山岡先生之碑　碑文」****************************************&lt;br /&gt;
君ハ明治三十五年愛媛県伊予郡中山町ニ生レ、昭和五年一月渡台、職ヲ東勢農林国民学校ニ奉ジテ&lt;br /&gt;
育英ノ任ニ就クヤ、切々卉ル熱ヲ以テ学徒ヲ導キ、滾滾溢ルル愛ヲ以テ子弟ニ接ス日、尚浅クシテ&lt;br /&gt;
心肝ノ融合渾然一体ノ如シ、偶々同年五月九日豪雨忽チ食水&amp;#23897;渓ヲ激流ト化シ帰途ニ在ル児童危殆&lt;br /&gt;
ニ瀕ス君之ヲ聞クヤ目前難ニ面セル人命ノミヲ知リテ厳ヲ噛ム急湍アルヲ見ズ卒然身ヲ躍ラシテ救&lt;br /&gt;
ニ赴キ遂ニ斃ル嗚呼壮絶崇高ナルガ君ガ行跡ハ誠ニ一世の亀鑑タリ宣ナリ地方有志及父兄等茲ニ渓&lt;br /&gt;
ニ臨ミテ碑ヲ建テ君ガ殉職ノ遺烈ヲ後昆ニ垂レムトス即テ来リテ文ヲ余ニ嘱ス此ノ擧ヤ誠ニ興風作&lt;br /&gt;
教ニ効スヲ喜ビ敢テ按ヲ草スト云爾」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　昭和五年十一月一日　台中州知事正五位勲四等　水越幸一&lt;br /&gt;
*****************************************************************************************&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨日５月10日は山岡先生の 故郷の愛媛県中山町からも遺族の方が参列。地元住民をはじめ台日会、台中・高雄の日本人学校の先生方も参加して記念碑の前で献花したあと柏の樹を植樹し山岡先生への追悼と感謝の念を表したのでした。&lt;br /&gt;
山岡先生の孫娘さんにあたる駄場美恵さんも翌日の新聞に掲載されましたのでアップしておきます。日本統治時代に台湾ではこのような事がもっとあったと思いますが、国や時代を越えて台湾の人たちが先人の行為を顕彰していることに対し、本当に頭の下がる思いです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/63239674.html</link>
			<pubDate>Wed, 21 May 2014 23:05:37 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>日本時代の台中の交番が台湾初の文化スポットに変身！</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-d8/taichu_jp/folder/1495613/44/62566444/img_0?1369463143&quot; width=&quot;500&quot;&gt;&lt;br /&gt;
（台中 21日 中央社）台中市・豊原区にある日本統治時代からの歴史的建造物「頂街派出所」が、&lt;br /&gt;
台湾初となる“旅行・文化派出所”として生まれ変わった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
豊原駅の隣にある同派出所は日本時代の1930（昭和5）年に建てられたもので、2002年4月に市の&lt;br /&gt;
歴史的建造物として登録された。派出所は2年前に通りの反対側に移転、旧派出所はそのまま放置&lt;br /&gt;
されてきたため、市では地元の文化・歴史事業団体に管理を委託。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理団体のアイディアで、派出所は警察官の制服や地元の関連グッズが展示される文化スポット、&lt;br /&gt;
「葫蘆[土敦]旅行文化派出所」として変身を遂げることとなった。葫蘆[土敦]は豊原の旧名。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理側は、地元の歴史・文化をより多くの人々に知ってもらおうとボランティア所長8名を募集して&lt;br /&gt;
おり、また関連の旧文物や古い写真の提供を市民に広く呼びかけている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
豊原は伝統菓子の製造でも知られており、現地を訪れた人々が地元に伝わる文化をより一層理解&lt;br /&gt;
できるよう、所内では菓子文化の説明講座も開かれる予定。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注）本稿は５月21日付け「フォーカス台湾」より転載。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/62566444.html</link>
			<pubDate>Sat, 25 May 2013 15:25:43 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>台湾電力の父～松木幹一郎</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-d8/taichu_jp/folder/620362/41/62336641/img_0?1359274523&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
（台湾ウイクより抜粋）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
松木幹一郎（まつき かんいちろう，1871年－1939年），日本愛媛縣人，台灣日治時期的台灣電力株式會社社長，被尊為「台灣電力之父」。&lt;br /&gt;
生平（注：一生のこと）&lt;br /&gt;
1911年，松木幹一郎就任東京市電氣局（今東京都交通局）第一任局長。1923年，松木幹一郎就任帝都復興院副總裁。1929年（昭和5年），日本議會通過對台灣日月潭工程再興案，派松木幹一郎為台灣電力株式會社社長、新井榮吉為建設部長、石井林次郎為建設所長、官口竹雄為電氣顧問、後藤曠二為主任技師等人負責執行。&lt;br /&gt;
1930年1月12日松木幹一郎就任台灣電力株式會社社長，1934年10月完成日月潭第一發電所，1937年8月陸續完成日月潭第二發電所，並著手於北部火力發電所、霧社水力發電計劃，提出十年開發水力發電三十萬瓩計劃。日月潭水庫總發電量14萬3500瓩，是當時亞洲第一、世界第七大發電所。松木在台電任職期間，大力採用台籍人士如朱江淮、柯文等人。&lt;br /&gt;
1939年（昭和14年）6月14日，松木去世，同年六月，北部火力發電所竣工。同年，台灣工業生&amp;#29986;比重已上升為28.22%，開始超越農業的24.97%；當時任主任技師的後藤曠二於松木去世後曾寫《松木幹一郎》一書，台電遂於日月潭第一發電所進水口處豎立胸像以茲記念；惟此胸像於1943年大東亞戰爭末期，被日人拆除融化做戰爭材料之用，僅留基座。&lt;br /&gt;
2010年，台電退休工程師林炳炎，因自力研究台電史，發願重塑松木幹一郎社長胸像。在奇美創&amp;#36774;人許文龍先生的資助下，2010年3月8日，新胸像重回67年空置的基座。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
松木社長の逝去後に会社側では社長の功績を偲び胸像が立てられました。その碑文には下記のように記されていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
碑文（原文は旧漢字使用）&lt;br /&gt;
「台湾電力株式会社長従四位勲二等松木幹一郎氏ハ明治五年愛媛県ニ生レ二十九年&lt;br /&gt;
東京帝国大学ヲ卒業シ、逓信省、鉄道院、東京市電気局長、山下汽船会社副社長&lt;br /&gt;
帝都復興院副総裁等ヲ歴テ昭和四年十二月台湾電力株式会社長ニ就任シ、爾来会社ノ重大使命タル日月潭発電工事ノ完成並ニ会社ノ経営発展ニ努メコノ間毎ニ国策ニ順応シテ本島文化ノ開発ニ寄与セラレタル功積亦実ニ偉大ナルモノアリ不幸ニ竪ニ罹リ昭和十四年六月十四日長逝セラル社中ノ有志等相図リ胸像ヲ建テ永ク遺徳ヲ景仰ス&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　昭和十五年十月」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにしてたてられたこうしてできた胸像も戦争末期に物資不足から徴収され台座だけが残されたままだったのです。今から３年前の平成22年（2010）３月、実に60余年ぶりに銅像が復活したのです。その時の様子を東京中日新聞社が「台湾電力の父　故松木氏60余年ぶり銅像」と題して下記のように報道しておりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「日本統治時代の台湾で発電事業に貢献した台湾電力社長松木幹一郎氏（1872～1939）の業績をたたえようと、戦時中徴用されたとみられる松木氏の銅像が多くの台湾人の協力によって60余年ぶりに復活し、八日松木氏ゆかりの台湾中部、日月潭湖畔で披露された。&lt;br /&gt;
松木氏は愛媛県出身。29年に台湾電力の社長に就任後、30年代には当時はアジア最大の発電量となる水力発電所を日月潭に完成させた。「この発電所がなければ今の台湾はない」と語り継がれ、松木氏は「台湾電力の父」と言われる。&lt;br /&gt;
同社の技師で、社史も執筆した林炳炎さん（66）によると、松木氏の死後の翌1940年、会社が銅像をつくったが、物資不足の大戦末期に徴用され、大理石の台座だけが残されたままだった。林さんは昨年退職したのを機に、銅像を復活させて歴史を伝承しようと思いたち、若手の芸術家に依頼した。資金面では著名な実業家、許文龍さん（82）が支えた。日月譚は台湾屈指の観光地で、地元ホテルのオーナーはＰＲに務めた、銅像を除幕した林さんら「松木氏は歴代社長の中でも台湾発展の貢献が大きい。台湾と日本の密接な感情がより強まる」と復活を祝った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（参考）&lt;br /&gt;
北投埔林炳炎（松木幹一郎台湾電力社長重塑胸像除幕式）&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://pylin.kaishao.idv.tw/?p=2429&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://pylin.kaishao.idv.tw/?p=2429&lt;/a&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/62336641.html</link>
			<pubDate>Sun, 27 Jan 2013 17:15:23 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>かっては日月潭にも神社があった</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-d8/taichu_jp/folder/620362/25/62321625/img_0?1358515495&quot; width=&quot;390&quot;&gt;&lt;br /&gt;
新年快楽！（明けましておめでとうございます。）&lt;br /&gt;
このお正月に神社仏閣に初もうでに行かれた方も大勢いるんじゃないでしょうか。&lt;br /&gt;
中部台湾観光コースの定番といえば日月潭。昔は台湾の八大名勝地の一つだあった日月譚はかっては新婚旅行のメッカでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この日月潭の中央に浮かぶ小さな島があります。元来この島はサオ族の旧居住地で、サオ族の祖霊が宿る地でもありました。サオ族語ではLaruと呼ばれていました。&lt;br /&gt;
戦前の台湾は日本の領土だったので各地に神社の跡がありますが、この小さな島にも戦前は神社があったんですよ。それは日本統治時代に日本人による日月潭の水力発電の開発が始まってから、工事が順調に進むように「ラルー島」を「玉島」に名前を変え、島に「玉島社」を建てたからなんです。そこには、日本の広島県にある厳島神社の水の神「市杵島姫命（イチキシマヒメ）」が祀られていました。戦後は「光華島」と改名され、縁結びの神様である月下老人亭が設けれていました。1999年の台湾大地震後南投県がサオ族に敬意を表わすために光華島を本来のラルー（拉魯）島と名付けたのです。もともとはサオ族の人々が暮らすほどの大きさのある島だったのが日月潭を発電所の貯水池とするために縮小され、さらに先の大地震で山頂部が残るだけとなって現在に至っており、この島へ上がることは禁止されています。&lt;br /&gt;
（参考）昭和６（1931）年11月26日の台湾日日新報の記事&lt;br /&gt;
日月潭玉島社の莊嚴な鎮座式 木下長官も參列&lt;br /&gt;
「【魚池桑原特派原日發】日月潭玉島社の鎮座式は電報の如く24日午後五時三十分より執行されたが折良く水社に來合はせた木下長官一行も列席した。これより先御靈代は行く嚴島神社より市杵島&amp;#23020;命を移し奉り午後三時水社着。一先ず電力會社の見張り詰所假奉安所に安置し、午後四時には玉島の神殿に清祓式を行ひ、午後五時三十分御靈代は假奉安所を發し夕闇漸くたれこめんとする中を松明の光、笙、笛の音も莊嚴神職木下長官以下これに從ひ、行列肅肅と進みラチ四隻に分靈嚴島に向つた。折柄十五夜の滿月皎皎と日月潭の水面を照らし、金波銀波うるわしく、六時神殿に奉安、木下長官、太田知事、三宅遞信部長、宇賀電力理事、新井建設部長他地方官民約百名參列、四方にたかれる篝火の 輝きは天空の銀月と共に玉島社の朱繪りの鳥居、銅造りの神殿屋根に照りはえ莊嚴云はん方なく、台中神社小野社司以下六名の神官により六時四十分めでたく式を終えた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（参考）&lt;br /&gt;
　日月潭玉島神社（中国語版）&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://tw.myblog.yahoo.com/hank1980-blog/article?mid=3558&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://tw.myblog.yahoo.com/hank1980-blog/article?mid=3558&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　Y栄的写真日記：日月潭（中国語版）&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://blog.yam.com/Hualeanman/article/22635880&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blog.yam.com/Hualeanman/article/22635880&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
日月潭公式サイト（日本語あり）　&lt;a HREF=&quot;http://www.sunmoonlake.gov.tw/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.sunmoonlake.gov.tw/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注）本稿は１月15日付けのメルマガ記事より転載。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/62321625.html</link>
			<pubDate>Fri, 18 Jan 2013 22:24:55 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
		</item>
		<item>
			<title>写真家・鳥井勇造と映画「サヨンの鐘」について</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-d8/taichu_jp/folder/620362/40/62069140/img_0?1346566676&quot; width=&quot;228&quot;&gt;&lt;br /&gt;
写真家鳥井勇造は日本の福岡県人で、生まれは明治時代と云われているが確かな出生年月日は&lt;br /&gt;
不群である。&lt;br /&gt;
彼は東京美術学校を卒業した方で、結婚後二女一男の親となり、長女の名前は愛子・次女は良子・&lt;br /&gt;
長男は勇と言っていた。&lt;br /&gt;
彼は日本が台湾を統治していた大正時代に台湾の台中州梨山の警察駐在所の巡査として赴任した。&lt;br /&gt;
その後、昭和5年（1930年）に台中州能高郡霧社の警察駐在所に転勤となり、そこで昭和20年&lt;br /&gt;
（1945年）の終戦まで勤務していた。&lt;br /&gt;
この間、警察局の写真班員として公務の撮影をしていた。彼は在職中若し長官が巡視に来た場合、&lt;br /&gt;
この状況の撮影を担当した。&lt;br /&gt;
もとより彼は美術学校卒業生であるので撮影と美術方面は専門であり、この仕事に対しては情熱を&lt;br /&gt;
燃やし努力を惜しまなかった。　&lt;br /&gt;
特に絵画部門では毛筆による人物肖像を嗜み、その制作に於いては迅速・且つ正確を究めたので、&lt;br /&gt;
この地方の人々の好評を受け、作品には多くの傑作を残した」。&lt;br /&gt;
　一方面彼は単身赴任なので霧社で下山静子さんと許清子さんの二人を義女として迎え撮影の助手や&lt;br /&gt;
身の上の面倒を見てもらったので、自分の職務に対して専心努力する事が出来た。&lt;br /&gt;
　しかし彼は故郷から遠く離れた霧社で住み、故里の子女を思う心は切なるものがあり、昭和16年&lt;br /&gt;
には仕事の合間に二女の写真を霧社の風景の中に、はめ込み合成した写真に二首の和歌を書き込ん&lt;br /&gt;
だ様は父としての情愛の涙ぐましさを真実に叙述していると言っても過言でもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その和歌は次の通り・・・・・。&lt;br /&gt;
　　思はじと思へど思ひ胸にみち&lt;br /&gt;
　　　袖に涙のかわく間もなし&lt;br /&gt;
　　貧しくても親子揃ふてとる箸は&lt;br /&gt;
　　　いかに楽しくおいしかるらん&lt;br /&gt;
また、昭和6年（1931年）には娘の写真4枚と自分の名刺を組み合わせて&lt;br /&gt;
次の句を書き入れた&lt;br /&gt;
　　　写真の黒い所を消してみたら&lt;br /&gt;
　　　　さぞびっくりしたことでしょう&lt;br /&gt;
　　　父サンは何をして居るかはこの名刺を&lt;br /&gt;
　　　見たらわかるでしょう。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
第二次世界大戦の終戦後（民国34年・1945年）彼は帰国せず台湾で一生を過ごすつもりで、&lt;br /&gt;
霧社から瑞岩（現在の発祥村）に移住した。&lt;br /&gt;
その時、義女の下山静子が面倒を見ていたが静子が悪性マラリアにかかって急逝したため、彼は&lt;br /&gt;
憂鬱症にかかり、ついに民国35年（1946年）8月に瑞岩で逝去し、一生の幕を閉じたのである。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
先に昭和18年満州国映画会社と台湾総督府が共同で松竹映画会社により映画「サヨンの鐘」が&lt;br /&gt;
作られた。　この映画のストーリーは宜蘭県南澳郷の奥山で発生したものであるが、映画の&lt;br /&gt;
撮影地は当時台中霧社（現在南投県の仁愛郷）で行われた、この映画「サヨンの鐘」の主演は&lt;br /&gt;
名優の李　香蘭（日本人で本名は山口　淑子）であったので、当時霧社に於いては、日本時代&lt;br /&gt;
始めての映画撮影なので民衆の参観ブームは空前の凄いものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「サヨンの鐘」の‘物語は次の如しである。&lt;br /&gt;
サヨンとは先住民タイヤル族の少女「サヨンヨハン」で宜蘭県の南澳郷の奥、標高1,200m 程の&lt;br /&gt;
山麓にあり、彼女は「リヨヘン蕃社」に住んでいた。&lt;br /&gt;
　昭和13年（1938年）当時、この蕃社に駐在していた日本青年田北正紀警手は夜間に&lt;br /&gt;
男女青年団員に日本語を教えて慕われていた。&lt;br /&gt;
日華事変の拡大により田北警手が応召になり9月27日出発する事になった。&lt;br /&gt;
　下山の日は前夜から台風で山は大荒れとなり田北警手は入営時間を気にして危険を考えて荷物を&lt;br /&gt;
持たずに出発しようとした。&lt;br /&gt;
その時蕃社の女子青年団の副団長であったサヨンが田北警手の荷物運びを申し出し、&lt;br /&gt;
7人の男女が選ばれて一足先に出発した。30kmの道を松明（たいまつ）の明かりのもと、&lt;br /&gt;
一晩かけて荷物を担いで後に従っていたサヨンは激流と化した南澳渓の丸太橋にさしかかった時、&lt;br /&gt;
バランスを失って激流に呑まれ命を散らしてしまった。&lt;br /&gt;
　その後、蕃社の人々は「サヨンを想う」という歌を作って追憶した。&lt;br /&gt;
昭和16年2月になり台湾全島の高砂族青年団の慰問学芸会が台北で催された際に「リヨン社」の&lt;br /&gt;
代表が歌った「サヨンを想う」の歌が臨席していた長谷川清総督の耳に入り、総督は感動して、&lt;br /&gt;
後日サヨン等の篤行を褒め讃えて「愛国乙女サヨンの鐘」を刻んだ真鍮製のベル作らせ、サヨンの&lt;br /&gt;
兄を通じて贈った「リヨヘン社」では檜造りの鐘楼を小学校に建てて据えつけ、鐘の音がお祭りの&lt;br /&gt;
時に鳴り渡る様になった。&lt;br /&gt;
　この美談が歌手渡辺はま子の耳に入り、彼女の発案で「コロンビアレコード会社」の&lt;br /&gt;
「サヨンの鐘」の歌が生まれた。以後、台湾の各地で歌われるようになった。&lt;br /&gt;
「サヨンの鐘」の流行に刺激されて今度は満映と総督府の共同により松竹映画「サヨンの鐘」が&lt;br /&gt;
作られ、昭和18年7月に封切られたのである。&lt;br /&gt;
　この撮影の時、霧社の住民の心を魅了させた原因は李 香蘭の風采を一目でもよいから見たいと&lt;br /&gt;
いう民衆の強烈なる希いにあった。&lt;br /&gt;
　この撮影中、鳥井先生は必ずカメラを背負い極めて多くの撮影現場の情景を写真に収めて貴重&lt;br /&gt;
なる記録として今に伝えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
(本稿は 林啓三エッセイ集『いちじく』より転載）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/taichu_jp/62069140.html</link>
			<pubDate>Sun, 02 Sep 2012 15:17:56 +0900</pubDate>
			<category>アジア</category>
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