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弥彦神社の後は、新潟市郊外の
豪農の館 北方文化博物館 正直、あまり期待はしていなかった。。。
日本全国、田舎には、昔、庄屋だったとかの保存された古民家が
たくさんあるから・・・
ただ、「豪農の館」の「豪農」という響きに惹かれて、 どれだけ豪農なのか、見てやろうかぃ! (`へ´) ってな感じで訪れました。
入口は・・・
まっ 普通以上かな・・・?
中にはいると・・・
門柱から受付までが長い! 敷地が広い!
それもそのはず、敷地面積8800坪(29,100㎡) =東京ドームのグランウンド2面強
建坪1200坪(3,967㎡)だそうで、 全体レイアウトはこんな感じ 建物一棟だけじゃないんだ。。。。
こちらが母屋、左手奥に見える屋根が大広間
もはや、「古民家」のレベルでないことは確か!
※古民家は敷地内に2軒、別に隅っこに建ってました。 前の案内図の⑱,⑲ 母屋の茶室
27畳あるそう。。。
母屋と大広間の間の中庭
中庭にしては大きい!
わびさびの世界じゃないですね。。
大広間から見た日本庭園
CMにでてきそう。。。(♪「そうだ!新潟にいこう!♪」)
着いたときは、丁度、団体客相手に、和服の御嬢さんの笛の演奏会が
開かれていました。
母屋の天井の梁。。。
幾重に重ねられた梁組。3度の大地震にもびくともせず、 また戦時中は空襲察知の物見やぐらとして使われたとか。。。 外の藤棚はちょうど花盛り、真っ盛り♪
ただ、花の真下にいくと、ミツバチ・熊蜂のぶんぶん羽音がすごい。
ちょっと怖いくらい。。。 メインの建物の他に、正三角形の茶室「三角亭」 豪農たちが収集した、世界の遺物を展示した「集古館」 昔は米蔵だったそうな。。。 いやはや、さすが豪農ですなぁ〜 脱帽!脱帽! さて、この館の元持ち主および館の創設者は、
ここ新潟の名だたる豪農だった伊藤氏 戦前の農地解放前の最大農地面積は、1370万㎡!!! =13k㎡だから、正方形なら3.7km×3.7km とてつもない面積ですね。。。 農地解放によって、土地を失い、豪邸も維持できなくなるところ
屋敷の保存資料館を作り、建物を継承・維持した・・・ という形のようですが、その経緯は簡単なものでなかったようです。
敷地内に記念碑
この館を作った七代目伊藤文吉氏と、館創設に大きく貢献したライト中尉の
業績を顕彰しています。 館内の説明書きの一部
「進駐軍ライト中尉と七代文吉の出会い」
終戦直後の昭和20年(1945)10月、伊藤邸土蔵内に旧日本軍の隠匿物資があるという情報で、進駐軍の「ライト中尉」一行が家宅捜査に来た。 七代文吉が会話を交わすうちに偶然にもライト中尉がペンシルバニア大学の先輩であることがわかり、それ以後、ライト中尉は伊藤家(北方文化博物館)に絶大なる協力をしてくれることになった。 この巨大な家屋敷は進駐軍の計画によると「集合住宅」となる予定であったが、学校教育の改革を主たる任務とし文化に深い理解を持っていたライト中尉はこの遺構を価値ある文化遺産と位置づけ、マッカーサー元帥に進言、戦後に生まれた私立博物館の第一号となる「北方文化博物館設立(設立当時は史跡文化振興会)」の草分け期の素晴らしい後援者となった。 かくして、集団住宅になろうとしていたこの伊藤家の家屋敷はライト中尉と七代文吉の二人の劇的な出会いによって博物館として歴代の遺構を保存できることとなったのである。 ほんと、奇跡的な出会いによって、奇跡が生じたんですね。。。 良い話を聞きました!
![]() ![]() ![]() ![]() 感動!♪
碑の左側に書いてある言葉は
「古い家のない町は、思い出のない人間と同じである」
(東山魁夷)
納得!(u_u) 文化の香りがする。。。
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おはようございます
東山魁夷いいこと言う〜っ
先日梁川で、こんな古いお家見てきました
ところどころ細工された柱や、床の間が素敵でした
亀と鶴が隠れてるんですよ〜っ
窓がゆらゆらガラスでっ
大好き古いおうちって、まっ見るのがですがね。
2018/5/8(火) 午前 5:39
ほんと、見てる分にはいいですよねぇ〜
ただ、住むにはちょっと。。。
(元々住める身分じゃありませんが・・・)
冬は寒いだろうなぁ〜 維持費かかるだろうなぁ〜
2018/5/8(火) 午後 9:04