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http://jp.youtube.com/v/B97r4f-rq10&autoplay=1 かなり空席が目立った気もしましたが、これはエアロの集客力が劣ってきたのではなく、ロックそのもののパワーが現実社会に対して効力が薄くなっているんだ、と。 特にここ日本ではあの日以来、その傾向は顕著になっているんだ、と。 「アルマゲドン」が公開されるまでは、かなり熱心なエアロ・フリークであった僕はそう思っていました。 グッズ売り場の行列に並ぶ事約30分、女性用シャツはすでにXLサイズしか残っていない状態で。 結局夫婦でおそろいのシャツを購入。エアロのロゴがどんなにカッコ良くてセクシーでも、ペア・ルックをして外を歩く事なないだろうな、と。 「宇宙戦艦ヤマト」が公開される頃には、すっかりエアロを聴かなくなった僕はそう思っていました。 開演時間10分過ぎにドーム内に駆け込むと同時、場内はライト・ダウンされて、いよいよ、という空気だったのですが。 何かこう違和感が・・・それはなかなか説明のしにくい違和感だったのですが、今こうして落ち着いて考えてみると、少しわかってきた気がします。 まぁ、とにかく文句のつけようのない素晴らしいライヴであったのは間違いありません。 結成40周年、スティーヴンは63歳。声が出ない、って言ってたの誰だ? バリバリ高音も出てたし、走り回ってたし。 特に僕達の行った日は、「Toys In The Attic」、「Big Ten Inch Record」、「Home Tonight」をワン・コーラスと、特別なナンバーも披露してくれただけに大満足でした。 新譜が出てないだけに、セットリストは80年代のピークの象徴であった「Pump」が骨格となっていた気がしますが、僕の隣のおじさん、おばさんはおそらく50代だったと思うけど、「Last Child」や「Combination」で盛り上がってたのが印象的でした。 そして会場全体はやはりあの「ドン・ワナ・クローズ・マイ・アーイズ♪」の大合唱で一番盛り上がってた気が。 僕はかつてシングル・レコード盤のジャケットに映るスティーヴン・タイラーの毒々しい魅力に打ちのめされ、あの人のルックスに、タトゥーに、そしてもちろん声にあこがれ続けてきました。 最近美乳だと騒がれていたり、どんどん顔がおばさんになってきた、と言われても、やはり憧れの人には違いありません。 あの人が、そしてエアロスミスがロックの持つ説明不可能な妖しい魅力、パワーを教え続けてくれました。 彼等がシーンから一時姿を消した時だって、アルバム「美獣乱舞」をかなりの名盤だと信じ続けてきました。 つまりそれは僕がロックの持つ不確定な魅力そのものをエアロスミスに持ち続けていた、という事だったと思います。 彼等がケバくて、悪そうで、ファンクとハード・ロック、そしてせつないバラードを歌っていた事も大きかったと思いますが、初めて外人のロック・スターを美しい、と思った人達であったのが僕のロックへの初期衝動に繋がったと思います。 人によってはその対象が、ツェッペリンやクイーンであったり、ピストルズ、ガンズ、モトリー、そしてニルヴァーナだったりするのだと思います。 僕にとってはエアロスミスだったんです。 彼等の来日公演はこれまで幾度となく行っているんですが、今回はどうも違和感を最後まで感じていました。 僕が確実に年を取った事もあるんだと思います。 そしてやっぱり、あの3.11以降、僕の中で、日本人の中で、そしておそらくエアロスミスの中でも、何かが変わってしまったんでは、とさえ思っています。 かつてロックは既成の価値観へのあからさまな反抗を歌い、アウトローである自分を受け入れる寛容さを持っていました。 ドラッグとセックスの香りがプンプンしていたって、それこそがロック、とさえ言われていました。 そういった空気の中で生まれたエアロスミスは、ブルース、ファンク、R&Bの要素をドロドロの状態で一度混ぜ合わし、ハード・ロックへと昇華させてきたバンドだったと思います。その得体の知れない爆発音の様なサウンドに、僕は、そして多くの人がセックスやドラッグの疑似体験をしてきたんだと思います。 70年代のエアロのナンバーを現在ドームで生で聴くと、僕の脳や体はもうそういう反応をしなくなっています。AC/DCのライヴでは考えられなかった事です。 多くの人はもう、現実の限界、幻想といったものを目の当たりにしていると思います。 日本では自然の脅威、発達した社会の意外な脆さ、そして二度も被爆したこの国に襲いかかる原子力を前にした時の無力さを、特に痛感していると思います。 子供達は夢を持てず、大人達は手本になれず、年老いたら更に状況が悪くなるだけ、という現状を改めて感じているわけです。 ロックが持っていた幻想、僕はずっとそれに身を任せていました。 今でさえロックにちょっとでも関わって生計を立てています。 ロックが変わる必要はなかったけど、現実世界に生きる僕は変わらなければならなかった。 そして今やロックさえも変わらなければいけないのか、と危惧しています。 ロックが現在の自分や、もっと言えば社会に有効的なパワーを持つには一体どうすればいいのか? メロディや歌詞の工夫なのか、ファッションやライフ・スタイルの変更なのか、僕には正直わかりません。 その答えを今のエアロスミスに求めるのはあまりに傲慢だと思っています。 長年僕を育ててくれたエアロ、感謝の気持ちでいっぱいです。 エアロスミスはかなりの親日家のはずです。 だから今の日本を応援したい、自分達のライヴで元気になってほしい、という気持ちは少なからずあったと思います。 もちろん伝わっていますし、ありあまる興奮を与えてくれたと思います。 もうこれで最後になるかもしれない来日。 それでいいと、僕は思っています。 エアロにもう求めるものはなくなったのではなく、僕自身がロックの底知れない魅力を人に伝えなくては、とたいそうな事を思ってしまっています。 違和感とはまさにそういう勘違い、という事が往々にしてあるといういい例ではないでしょうか。
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