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ガネッシュの暮らし&旅ブログ
チェンマイ在住ですが、時々日本にも戻ります


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 台南市内やや南寄り、南門路と府前路一段の交差点から後者を70-80m東に行った左手にある府前路一段196巷を入ったところの路地の中にまぎれるように立つ廟。

孔子廟からだと、やや南寄り向かいにある府中街に入って100mほど行った右手にある開山路122巷を入って行ったほうが近い。

台南市政府観光旅行局が作成したパンフレットによれば、

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 永曆16年(1662年)に現在の台南女中の近くの山尾と呼ばれる場所に「鳳山寺」という名前で創建された。この名前は、もともと福建省安南にある鳳山寺の分寺として創建されたことに由来する。
 現在は主神としては廣澤尊王が祭られているが、元々は鄭成功の臣下だった陳永華参軍が祭られていた。陳永華がこの世を去った後の乾隆15年(1750年)に民衆が台湾の文化教育への貢献を感謝し、改修を施すとともに廟名を永華宮と改名した。
 日本統治時代の大正13年(1925年)に、寺院のあった場所に政府が台湾銀行を建設することになり、孔子廟の対面である「六合境柱仔行」と呼ばれる現在の場所に移築された。その後、1946年、1958年と改築が加えられ、現在の形となっている。
 廣澤尊王の周りには、尊王夫人妙應仙妃、陳永華總制、南斗星君、北斗星君、三坪祖師、達摩祖師、中壇元帥、天真聖祖、文昌帝君、月下老人、福正神等神明が祭られている。
 永華宮と府中街の地域社会は密接に関係しており、普段から太鼓の伝統芸が学べるだけでなく、ランタンフェスティバルを行うなど、子供たちが歴史を理解できるようになっている。

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とのことである。

 ちなみに、廣澤尊王は中國福建省泉州の南安地方の土着神で,「保安尊王」、「保安廣澤尊王」、「郭相公」「郭聖公」、「郭聖王」、「翹腳王」、「聖王公」などの別名を持つ。

 日本語のガイドブックなどには紹介されておらずあまり訪れる人もいないのか、自分が行った時には日本語が多少できるお年寄りの方がつきっきりで廟の中を説明してくれて、最後にコーヒーまでごちそうになってしまった。

 その方によると、主神の廣澤尊王が右足を左足の膝の上に乗せているのは、母親が尊王を持ち上げようとしたが重たすぎて何度も失敗してしまったので、持ち上げやすいように尊王がこのような体勢を取ったからなのだそうだ。






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この時の関西旅行最後の夜は、なんばのグランド花月近くにあるお好み焼きの有名店「福太郎(本店)」で。

お友達に連れてきていただいてからすっかりファンになってしまい、今回もそのお友達にご一緒していただいた。

ちなみに、過去のこのお店についてのブログ記事はこちら。

いつも、粉ものというのを忘れてしまいついつい頼みすぎてしまって、お腹が苦しくなってしまうので、少しだけ自重して注文。

大阪らしい雰囲気の中、ビールを飲みながら目の前で作ってくれるお好み焼きに舌鼓をうち、話に花を咲かせる。

チェンマイに移り住んでしまったので、このところすっかりご無沙汰になってしまっているが、また大阪を訪れる機会があれば行きたいなあ。






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チェンマイでお湯を沸かす時には電気ケトルを使っている。

日本でも普段から緑茶を飲んだりする習慣がないので、使う時と言ったら毎朝コーヒーを淹れるためとたまに中国茶を飲む時ぐらいでそれほど頻繁に使っているわけではない。

今使っているはティファール社製のもので、もう2年ほどになる。

使い勝手は実によく、まったく不満もないのだがひとつだけ困ったことがある。

それは、水あかがつきやすいということだ。

それは、おそらくこの電気ケトルだから、ということではなくチェンマイの水のせいだと思う。

もちろん使っているのは水道水ではなくドリンキング・ウォーター(飲料水)なのだが、しばらく使っていると白い付着物がケトルの底やふたの周囲に見えるようになる。



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以前ネパールのカトマンズに住んでいた時には、ヒマラヤからの氷河の雪解け水のせいで鍋などにあっという間に石灰質が白いかたまりとなってついてしまい、取るのが大変だった記憶がある。

ちょっと調べてみたら、やはり水あかの主要な成分は石灰質のようなので、ここチェンマイの水も日本などに比べるとそれが多く含まれているということなのだろうか。

ともあれ、この水あかはなかなかがんこにこびりついて、スポンジでこすったくらいではまったく落ちない。

何とかならないものだろうか……と思っていたら、先日日本に一時帰国した時に、ドラッグストアでいいものを見つけた。



その名も「電気ケトル清浄中」である
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家庭用品で値段も手軽なので、早速購入してチェンマイに持って来て使ってみた。



箱を開けると、中には小袋がいくつか入っている
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使い方は簡単で、まずは水を入れた電気ケトルにこれを入れる
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あとは電気ケトルのスイッチを入れてお湯を沸かしたら、1時間ほど放置するだけだ。



誤ってお湯を飲まないよう、注意書きのシールまでついている
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もっとも、貼っておいてもタイ人には読めないのだが(笑)



放置した後は、ポットの内部を何回か水洗いすれば、それで完了だ。



洗浄した後は、ポットの内部が見違えるようにきれいになっていた(^^)
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別に、おそらく水あかがついた電気ケトルを使い続けたとしても身体に害になるようなことはないのだろうが、やっぱりきれいなケトルでお湯を沸かしてコーヒーを淹れたほうが、朝のひと時がより気持ちいいのは間違いない。

こういう細かい困りごとにまでちゃんと対策商品を販売しているのは何とも日本的だとは思うが……もしなくなったら、また一時帰国の時に買ってこようと思う自分もやっぱり日本人だなあ。






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今回のお散歩は、自宅から自転車で1時間ほどのところにある通称「西新井大師」、正式名称は五智山遍照院總持寺だ。

自分は13歳まで足立区の竹ノ塚に住んでいたので、子供のころからここにはなじみがある。

いまだに、新しく自動車を買った時に交通安全祈願のご祈祷をしてもらうのは、この西新井大師である。

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空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り天長3年(826年)に寺院を建立したことに始まるとされる。
江戸時代中期に建立された本堂は、昭和41年(1966年)火災により焼亡したが本尊は難を逃れた。本堂は昭和46年(1971年)に再建され現在に至っている。
川崎大師などと共に「関東三大師」の一つに数えられ、毎年の正月には初詣の参拝客で賑わう。
境内には弘法大師によってもたらされたとされる加持水の井戸がある。この井戸が本堂の西側に所在することが当地の地名である西新井の名の由来とされている。中野区にある新井薬師と同じ真言宗豊山派の寺院。

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とのことである。

上記の通り、本堂は火災で再建されているので正直言って趣はまったくないが、特にご祈祷をしてもらわなくても中には自由に入れるので、畳に座ってゆっくりと内部を観覧することができる。

ただし、本尊の十一面観音は秘仏なので直接拝むことはできない。

境内はかなりの敷地を有しており、塩地蔵や三匝堂などユニークな像や建築物があるので、ゆっくり散策してみるといいと思う。

自分は自転車で行ったので山門前の店で草団子を買っただけだが、東武線の西新井大師駅から続く参道にはいろいろな店が出ているので、お参りの前後に買い物をしたり飲食をしたりすることもできる。

毎日21日の弘法大師の縁日には、普段はガラガラのことが多いわずか2両編成の大師線が西新井駅のホームを含め混み合っているので、「あ〜今日はお大師様の日なのね」と電車で駅を通る時にわかったりする。





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中華航空CI106便は、台北桃園空港を16時30分ごろに離陸して、東京成田空港に20時30分ごろに到着する。

台南から東京に戻るのであれば昼ごろの高鐵(台湾新幹線)に乗れば十分間に合うので、目いっぱい現地で過ごすことができ、おそらく今までに一番多く利用している帰国便である。

冬のジェット気流が強い時期であれば、飛行時間が2時間ちょっとということもあり、基本的に機内食はかなりあわただしくサーブされる。

離陸してシートベルト着用サインが消えると、バタバタとキャビンアテンダントたちが動き出し、料理を運ぶ時は小走り気味ということさえある。

それでも、日系キャリアのようにワンプレートでボーンと食事を出して終わり、などという手抜きをしないところは、チャイナエアラインのよいところだ。



 


離陸前のウエルカムドリンクはオレンジジュース
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成田からは車なので酒が飲めない
ソーダにライムを入れたものを食前酒がわりにいただく
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前菜全景(パンはまだ乗せられていない)
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フォアグラ ベルペッパーマスタードサラダ 洋梨の赤ワイン煮
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ミックスサラダ カボチャ、メスクランサラダ、コリアンダーミントドレッシング
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パンはウォルナッツブレッド
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メインは2種類からのチョイス
上海風ビーフとカブの煮込み アスパラガス、しめじ、ベルペッパー、ポテトのソテー バルサミコトマトハーブソース
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デザート全景
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アーモンドクリームブリュレ 黒ゴマのホイップクリーム
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季節の新鮮果物
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當麻寺と書いて「たいまでら」と読む。

常用漢字体では当麻寺と表記するようだ。

この寺院に行ってみようと思ったきっかけは、たまたまこの近くの出身の知り合いに「大阪方面に行くといつも神社仏閣をめぐっている」という話をしたら、「いいところだから、一度行ってみたら?」と言われたことだ。

奈良県ということで結構遠いのではないかと思い、なかなか来る機会がなかったのだが、今回の大阪旅行でまる1日をこの寺院見学にあてることができた。

大阪阿倍野橋から近鉄南大阪線の急行に乗って古市で2両編成(だったかな?)の各駅停車に乗り換えて、寺院の名前のついた当麻寺駅で下車。

駅周辺には家は結構建っているものの、電車を降りたのはわずか数人でそれほど観光地っぽくはない。

駅から案内看板にしたがって、ゆるやかな登り坂をのんびりと20分ほど歩く。

途中には時代を感じさせる家が残っていたりするが、この日はかなり暑くて寺院に着くころには汗だくになっていた。


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當麻寺(たいまでら、常用漢字体:当麻寺)は、奈良県葛城市にある7世紀創建の寺院。
法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。
創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)である。
宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっている。
開基(創立者)は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創については不明な点が多い。
西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。
毎年5月14日に行われる練供養会式(ねりくようえしき)には多くの見物人が集まるが、この行事も当麻曼荼羅と中将姫にかかわるものである。
奈良時代 - 平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られる。

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とのことである。

寺院のウェブサイトには、非常に詳しい由緒が記されているので、興味のある人は読んでみるといいと思う。

非常に広大な敷地の中に歴史を感じさせ仏塔や僧院、堂などがが建ち並んでいて、多くが見学可能なので、ゆっくり見学するとかなりの時間が必要になる。

知り合いからの話で、以前見学した京都・宇治の萬福寺のようなイメージを勝手に作っていたのだが、それよりももっと開けた場所に建っていて、日陰になるような木々も少なく正直重厚感はそれほど感じなかった。

が、それでもこれだけの建築物や仏像などをいっぺんに観れる場所は東京にはまずないので、とてもよい時間を過ごすことができた。

余談だが、これも知り合いから聞いていたのだが、当麻寺駅前にある中将堂本舗のよもぎ餅がおいしいというので帰りがけに店内でお茶とのセットをいただいたのだが、特によもぎの香りがすばらしく、思わずお土産用に大量に購入してしまった。






駅から寺院への道
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寺院内部
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ホテルで荷をほどき一休みしているうちに、空はすっかり暗くなってしまった。

昼にしっかり雲南中華料理を食べてしまったせいか、あまりお腹もすいていない。

とりあえず、軽くソバでも食べようかと思いホテルを出て大通りに向かうと、ナイトバザールが開かれていた。

ナイトバザール、といってもチェンマイのそれのように観光客向けに整備されてお土産物屋が並んでいるわけではなく、地元民向けに食べ物や洋服などを売る店が細々と並んでいるだけだ。






何となくわびしい感じが漂っているメーサーイのナイトバザール
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だが、夜には他に行くところもないのだろう、地元民やメーサーイに泊まっていると思われるバックパッカー風の白人旅行者で結構にぎわっていた。



洋服を並べている店。これも中国からなのだろうか?
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メーサーイでは多く見かける焼き栗を売る屋台
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「油を使っていません。中国=日本連合スタイル」などと書かれている。



さて、何を食べようかとウロウロしていると、麺を売る店が見えてきた
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以前、チェンマイのタイヤイ(シャン族)寺院で食べたことのある、ミールアムだ。

久しぶりなので、早速1杯いただくことにする。

量も少なく、さすがにこれではまだ帰れないなあ、と思いながらさらに歩いていると……



これまた、以前チェンマイで食べたことのあるものが目に入った
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これまたタイヤイ(シャン族)の伝統(?)料理、カーオクックガー(ごま入りの餅)である。

以前、友人の奥さんが作ってくれたのは、米粒のまだ残った半殺しのような餅だったのだが、ここのは完全に米粒がなくなっている。

見ていると、餅にたっぷりとペースト状の砂糖を塗ってくれるようだ。



オーダーすると、早速炭火に乗せて焼き始めた
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焼きたてで熱々の餅を食べたら、ようやくお腹も気分も満たされてきた。

メーサーイは、チェンマイともチェンラーイとも、もちろんクルンテープ(バンコク)とも異なり、タイヤイ(シャン族)の文化が色濃い場所だということは前から知っていたのだが、ナイトバザールでもやはり同様であった。

翌日は、国境を越えた向こう側のビルマ(ミャンマー)の街、タキレクでタイヤイ(シャン族)料理をいただくことになっているので今日は普通のタイ料理でもいいと思っていたのだが、やっぱりここメーサーイでもタイヤイ(シャン族)料理を食べてしまったのだった。





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この日のお散歩は、自宅から徒歩で45分ほどのところにある見沼代親水公園へ。

日暮里舎人ライナーの駅名にあり、車で尾久橋通りを通る時には必ず通過していたので名前にはとても親しみがあったのだが、公園そのものには行ったことがなかった。


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「見沼代」にある「親水公園」のように取れる名称であるが、そうではない。
かつてこの付近一帯の農業用水として使われていた「見沼」という大きな溜井(農業用ダム)が、現在の埼玉県川口市とさいたま市に跨るようにしてあった。 見沼は長年にわたる土砂の堆積で失われつつあり、洪水の元ともなっていたため、これを干拓して新田とした。 その際、失われる水源の「代わり」として利根川から新たに用水路を引き、それを「見沼代用水」と呼んだ。 この用水路の一部を公園として整備したものが「見沼代親水公園」である。

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とのことである。

古千谷橋から東北に伸びる幅1〜2mほどの水路に沿って歩道が設けられ、ところどころ川岸にも降りられたり、子どもが水遊びをしたりザリガニ釣りをしたりできるスペースが作られている。

水路のすぐ脇は住宅街であり、公園全体が雰囲気に包まれているというわけではなく、自分が行った時には水もあまりきれいでない場所があったりもしたが、このような場所が近隣エリアにはないと思うので、散歩するには悪くないと思う。

なお、尾久橋通り(見沼代親水公園駅)をはさんだ西側にも公園は続いているが、こちら側は遊歩道などはなく、ただの用水路の両脇に道がついていて両脇は普通の住宅街になっているだけなので、まったく行く価値はない。






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和平街と康楽街との交差点の北西角の小さな広場のような場所に、接官亭石坊ともに建っている、乾隆4年(西暦1739年)に創建された、台湾で唯一の風神を主神とする廟。

最初は、台南を行き来する船の後悔の安全を祈願する目的で南河港の安瀾橋のそばに建設され、乾隆30年(西暦1765年)ならびに乾隆43年(西暦1778年)の改修で規模が大きくなっていった。

当時は大門、官廳、風神殿、大士殿という4つの建物から構成されていたらしい。

しかしながら、日本統治時代の大正7年(西暦1918年)に政府が市区改正で新しく道路を建設したために取り壊されてしまい、大正13年(西暦1924年)に現在の場所に当地に移転された。

民國46年(西暦1957年)には大規模な改修工事が行われほぼ創建当時の規模に戻った後、民國81年(西暦1992年)にもさらに改修が加えられている。

名前の通り風を操る神様として、特に船を使う漁師や貿易に携わるひとなどからひときわ厚い信仰を集めている風神を主神としているが、それとセットになっているのが本殿を入って左手にある雷公と右側にある電母だ。

雷公は鳥のような顔をしており、悪人を見つけて罰を与えるという役割を担っている。

一方の電母は雷公が誤って善人に罰を与えることのないよう、人々を監視して悪人を見つけたら光をあてるという役割を果たしているのだそうだ。

こじんまりとしていてあっという間に見学も終わってしまう廟ではあるが、接官亭と合わせてほかの廟とは少し違った趣があり、時間があったらぜひ訪れてほしい場所だと思う。






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大阪を旅行して、夜にお友達にお付き合いいただける時には、ほぼ毎回行く店がある。

そのうちのひとつが、JR野田駅、地下鉄だと玉川駅のすぐ近くにあるおでんの「さぬきや」だ。

過去の同店についてのブログ記事はこちら

JRのガード下にあり、東京で言えば神田とかあるいは京成線の町屋、立石といった下町風の雰囲気たっぷりのお店。

店の看板メニューはおでんだが、実際には刺身や揚げ物、焼物などの一品料理からうどん、おにぎりまで、何でも食べられる飲み屋である。

この日もおでんを中心に、色々な料理をいただき酒もたくさん飲み、最後は東京ではなかなか食べる機会のないかすうどんでシメたのだった。

毎回お付き合いいただいているお友達には、感謝感謝である。







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