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ガネッシュの暮らし&旅ブログ
チェンマイ在住ですが、時々日本にも戻ります


チェンマイ専門の情報サイト



新しい家を探すことになった経緯や新居の条件、自分がとった探しかたなどについてはこちらをご覧ください。

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この時見たのはチェンマイ北部郊外、国道1001号線と第1環状道路(国道3029号線)が交わるミーチョーク交差点からほど近い場所にあるムーバーン(分譲住宅街)の中にある1軒だった。

ミーチョーク交差点付近は、外国人にとって非常に暮らしやすいエリアだと思う。

交差点の角には、高級スーパーのリムピンスーパーを核店舗としたショッピングモール(ミーチョークプラザ)、一般的なスーパーマーケットのロータス、庶民的なタラート(市場)があり買い物は特に便利だ。

郊外といってもスーパーハイウェイまでは1,500mほどであり、国道1001号線はプラーオと市内を結ぶ乗り合いソンテオが頻繁に通るので、自前の足を持たない人にとっても移動がそれほど苦にならない。

そのようなこともあってか、このエリアに住む外国人は非常に多い。

デメリットとしては、現在スーパーハイウェイと国道1001号線とのT字路が立体交差工事に入っていて慢性的な渋滞が発生している(工事はこの先3年くらい続くらしい。日本領事館からも、渋滞に関するお知らせメールが来たくらいだ)ことがあげられるだろうか。

第1環状道路を使って、サンサーイ側か国道107号線に抜ければ、回避は可能ではあるが。


物件は、第1環状道路から200mほど入ったところであった。

ムーバーン(分譲住宅地)といっても入口にセキュリティーつきのゲートなどはなく、出入りは自由である。






物件全景
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第一印象は、「ひ、広い……」

一番下のほうの写真を見ていただければわかるが、家の敷地の2倍以上の庭がついている。



家の入口
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築年数は聞かなかったのだが、建ててからそこそこ時間が経っていそうだ。



家の中に入ってすぐのところは、20畳くらいのリビングルーム
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大家さんが使わなくなった色々なものを置いてあるということで、もし借りる時に不要なものがあれば外に出すということであった。



寝室は8畳くらいのものが2部屋で、寝具もついたベッドが置かれていた
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家具のスペースにはパイプハンガーが置かれていただけだった
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これでは、乾季などは洋服がほこりだらけになってしまうだろうから、家具は買わなければならない。

不思議なことに、この貸し家にはなぜか洋服ダンスがまったくなかった。



かなり広いバスルーム
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これなら、シャワーも気持ちよく浴びられそうだ。



家の一番奥には、ダイニングキッチンが造られていた
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それほど広くはないが、食事をとったり料理を作ったりするには十分だと思う。

冷蔵庫、電子レンジなどはついているほか、おそらく前の借り主がおいていったのだろう、自転車も自由に使っていいということだった。


しかし、この家の最大の特徴は、何と言っても広ーい庭である
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庭の一番奥から建屋を見る
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家の横側も、簡単な家庭菜園が作れそうなくらいの広さが空いている
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これだけ広いのはメリットでもあるのだが、いかんせん手入れが大変そうだ。

頻繁に庭師を雇わなければならないかもしれない。

大家さんもその辺の懸念を払しょくするためか「庭師は私のほうで紹介してもいいですよ」と言っていた。


上記の通りロケーション的にもかなりよく、チェンマイで夫婦2人ノンビリと暮らすのであれは非常にいい物件だと思ったのだった。






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地方から出ていらっしゃったお友達と会食をすることになり、泊まり先から行きやすい場所……とのことで、久しぶりに日暮里駅のすぐそばにある雲南料理の店「過橋米線」に行ってみた。

日本では珍しい雲南料理というカテゴリだが、それ以外にも幅広いメニューがあり、中華料理店と言ってもよいのかもしれない。

以前、自分の仕事先であった中野坂上にも店があったり、東京でどんどん店を増やしているようだ。

店名にもなっている過橋米線とは、ウィキペディアによれば

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過橋米線の「過橋」とは橋を渡るという意味。
名前の由来には、中国に伝わる次のような物語がある。
「雲南省南部蒙自県の南湖にある小さな島は、科挙の試験を受ける書生が集中して勉強をするには適した場所で、ある書生がこの小島で科挙に備えて勉強に取り組んでいた。書生の妻は食事を作って運ぶのだが、夫はすぐに食べないのでいつも冷めてしまう。ある時、鶏を土鍋で煮込み夫の元へ届けたところ鶏油が浮いていて、長い時間が経過しても料理は熱さを保っていた。そこで米線を入れたところ、夫はとても美味しいと喜んで食した。夫が喜んだので、妻は度々この料理を作り、小島への橋を渡って夫の元へ運んでいた。後に夫は科挙に合格し、妻が届けた米線のおかげで合格できたと語られるようになった。

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とのことである。

今、自分が住んでいるタイのチェンマイにも雲南料理の店はたくさんあるのだが、過橋米線の文字は見た記憶がない。

メニューを見ればあるのかもしれないが……

今回の自分たちは飲みが中心なのでアヒルの燻製や麻婆豆腐、水煮魚などつまみ系のものばかり食べ、締めでマトンの過橋米線をいただいた。

が、どの料理もガツンと来る味付けで、タイの中華料理を食べ慣れて日本にあるあっさり系のものには物足りなさを感じてしまうようになった自分にはピッタリなのだった。

以前行った時には非常に混んでいた印象があるのだが、この日は日曜日だったからか空いていて、久しぶりに再会したお友達とゆっくり飲んで食べて話をすることができた。

今度は、サクッと米線食べにランチで行こうかな(^^)






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台湾の古都、台南に徹底的にこだわった観光案内サイト
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市内南西部にある「下林建安宮」という別名を持つ廟。

市内中心部からだと、西門路を南下してきて新光三越台南西門店の南側の交差点を右折して樹林街二段に入り、150mほど西に進むと大徳街141巷という路地があるのでそこを左折、さらに150m進んだ四つ角にある。

あるいは、西門路を新光三越からさらに100mほど南下すると南寧街との交差点に出るのでそこを右折、200mほど行った左側になる。

創建道光6年(1826年)と比較的新しく、民国21年(1932年)、そして50年(1961年)にも大規模な改築が行われている。

そのため、外観・内部ともにそれほど古さというか歴史は感じられない。

主祀は中壇元帥で、ほかに玄天上帝、金吒、木吒元帥,代天巡狩朱府、馬府、金府三千歲、註生娘娘などが祭られている。

昔、この一帯は別名にある通り「下林」と呼ばれており、昆沙宮が人々の信仰を集めていた。

人々は、日中は漁業や農業に従事しており、夜になってからこの昆沙宮にお参りするというのが普通であったのだが、そのためには小西門を通る必要があった。

しかしながら、小西門に門限が設けられたため人々はに昆沙宮にお参りすることができなくなってしまった。

そこで昆沙宮から太子爺の像を現在の建安宮の場所に持って来て、小さな祠を建ててそこにお参りをするようになった。

そして、多くの人々がこの場所に夜に限らず朝などにもお参りするようなったので、この場所に本格的な廟を建立して太子爺の全身にお香や火をあてた上で金色に塗って中壇元帥と称するようになったらしい。

こじんまりとした廟で、日中はお参りする人もそれほど多いようには見えないが、今でも地元の人々からは篤く信仰されているようで、線香が絶えない。






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浜松に1泊した翌日は、西伊豆の温泉に泊まる。

そのまままっすぐ行ったらあっという間に着いてしまうので、ノンビリと下道を中心に走りながら、途中にある観光スポットに寄ることにした。

まず最初に訪れたのは、向かうべき方向(東)とは逆にある、静岡県湖西市にある新居関所だ。


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 新居関所(今切関所)は慶長5年(1600)徳川家康により創設されました。幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」に対し厳しく取り締まりをしました。特に新居関所は約100年間、幕府直轄として最高の警備体制が敷かれていました。鉄砲など武器の通行ではもちろんのこと、当関所に限っては江戸へ向かう女性(「入り女」)にも「手形」が必要で、不備が見つかれば通ることはできませんでした。
   当関所は江戸時代中期に、自然災害で2度の移転を強いられました。現在に残る建物(「面番所」)は、嘉永7年(1854)の地震でそれまでの建物が倒壊したあと、安政5年(1858)までに再建されたものです。明治2年(1869)に関所は廃止されましたが、明治〜昭和にかけて学校や町役場として使われ、当時の建物が日本で唯一そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価され、大正10年(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定されました。

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とのことである。

浜名湖のほとりにあるがこの一帯は埋め立てで建設当時とは大きく地形が異なり、目の前は幹線道路、裏手には東海道線が通っているため風情たっぷり、というわけにはいかないのが残念。

が、周囲にも古い建物がいくつも残っており、この関所以外にも見どころがあるので駐車場に車を止めたまま少し散策してみることにした。






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チェンマイ市内中心部のとある立体交差点の下を通る道で信号待ちをしていたら……



何か、ヘンだぞ
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路上に横断歩道の線が引かれているのだが、立体交差の上を通る道路の橋脚を支える部分が壁となって、渡れないではないか。



歩道の上から見るとこんな感じだ
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橋脚を支える部分の高さは1m近くあって、登っては絶対に越えられない。

横断歩道の線を引く前に無駄なことだとわかりそうなものだが……

それとも、立体交差の橋が後から造られてこうなってしまったのだろうか?


まあ、いずれにしても歩いてこの交差点を渡る人など皆無(タイ人は、徒歩でどこかに行ったりすることは基本的にはない)なので、横断歩道がこんな風になっていても、誰も困ることはないのだが(笑)






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早朝東京を出て、豊川稲荷にお参りし、浜名湖でうなぎを食べてから浜松に入り、駅前近くのビジネスホテルにチェックイン。

部屋で少し休んだ後、夕食へと繰り出した。

浜松に泊まるのは初めてだが、それほど大きな街ではないし、これまでの経験から行き当たりばったりでも何とかなるだろうと外に出てみたら、土曜日の夜だったこともあるのか繁華街はすごい人出である。

何軒もの店に満席で断わられ、いい加減お腹も空いてきたころにようやく入ることができたのは、「ほろ酔い村 映里砂」という居酒屋。

ビルの2階だが店内はかなり広く、大きな宴会スペースも備わっている。

といっても、メインはずらりと並んだカウンターで、自分たちもそこへ案内された。

席につくまで10分ほど待ったくらい混み合っており、店員さんもたいへん忙しそうだったが、カウンターごしに正面にいた料理人さんが相談にも乗ってくれ、地元の魚介類を中心に地酒とともにいただいた。

お店は浜松でステーキ屋さんを営んでいるそうで、「肉もおいしいよ」という料理人さんのお勧めもあってビーフもいただいたが、確かにおいしかった。

値段も手ごろで、なかなかよいお店であった。






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東京から台南に行く際にしばしば利用している、中華航空(チャイナエアライン)CI107便成田発桃園行きのビジネスクラスで出た機内食。

この便は朝の9時半ごろに成田を出発するが、機内食は朝食ではなく、しっかりとしたランチのようなものが提供される。

この便を使って台北(桃園)に着き、高鐵(台湾新幹線)を使って台南に向かえばだいたい16時頃にはホテルに入ることができる。

ので、自分はだいたいこの機内食でしっかり食事をとり台南着くまでは何も食べず、早目の夕食に出かけるというパターンが多い。

そうすると結構お腹が空いていて、台南でおいしいものをたっぷりと食べられるし(^^)



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ウエルカムドリンクはシャンパンをいただく
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前菜全景(パンはまだ乗せられていない)
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アペタイザー
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メニューには「小海老、胡瓜のロメインレタスのマリネ レッドオニオン、ブラックオリーブ、ベルペッパー、ブラックオリーブビネグレットとともに」と書かれているが、そんなに大げさなものではない(笑)



キクラゲとダークビネガーのマリネ、オニオンサラダ
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白ワインはMOUTARD DILIGENT 2010(シャブリ)
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パンは2種類あったがひとつだけいただく
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メインディッシュは中華をチョイス
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メニューには「鶏もも肉の蒸し煮、栗、椎茸、厚揚げ豆腐、シチュアンソースと茄子 生姜と春タマネギで味付けしたもち米の笹の葉蒸し」と書かれていた。

見た目は脂っこい感じであったが、しつこさはなくて完食だ。

よくよくメニューを見たら、これはミシュランで星を獲得した台湾人シェフの監修だった。

まあ、機内食でミシュランと言われてもあんまりピンとはこないのだが……



デザート全景
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レッドビーン、ブラックセサミとソイミルクのムース
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季節の新鮮フルーツ
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現役時代に一緒に仕事していた仲よし女の子と久しぶりの再会。

ランチしようということで、彼女から指定を受けたのは虎ノ門ヒルズの最上階にあるアンダーズ タヴァンという店だ。

日本の食材を使った洗練されたヨーロッパの地方料理が食べられるということで、とても楽しみに出かけた。

店内はそれほど凝った装飾、というわけではないが、和のテイストを取り入れた茶系をベースにした落ち着いたたたずまい。

天井からは大きなオブジェが吊り下げられて目をひくが、イギリス人アーティストのチャーリー・ウィニー氏(誰だ?)によるアート作品だそうだ。

ランチタイムなので、店内は虎ノ門ヒルズで働いていると思われるビジネスマン&ウーマンで満席。

ランチは何種類かのメニューがあるが、この日は「ランチボックス」をチョイス。

お箸がセットされ、日本のお重を思わせる器に入った和洋折衷のような料理は、どれもあっさりとしていながら輪郭のクッキリとした味であった。

ただ、普段チェンマイに住んでイタリアンとかを食べている自分からすると、あまりに量が少ないと感じる。

話に夢中になっていたというのもあるだろうが、大げさに言えば量が少なすぎて十分に味わう、あるいは心に感想を留めることができないくらいであった。

この店で食事するなら、ランチボックスではなくコースにするか、あるいは夜にアラカルトで食べたほうがいいかもね……






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クアラルンプール旅行の帰路に搭乗した、タイ国際航空TG416便クアラルンプール発バンコク・スワンナプーム行きロイヤルシルク(ビジネス)クラスで出た機内食。

飛行時間は1時間20分ほどとバンコク・チェンマイ間とほとんど変わりはないのだが、一応国際線ということでワンプレートながら国内線よりはしっかりとした食事が出た。



この日の機内食全景
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ファースト・コースという位置づけの鴨のフォアグラ、ヴェルジュとローズ・グレープフルーツ添え
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メイン・コースは3種類からのチョイスとなっていた。



蒸したすずきのレッドカレー・ソース、ご飯、かぶのピクルスの卵炒め
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パン、クラッカー、カマンベール・チーズ、バターの盛り合わせ
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デザートはPandan Sagoの種、ヒシの実、ココナツ・クリーム添え
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コーヒー
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酒は出なかったが、おそらく出てもゆっくり飲んでいる暇がないほどのあわただしさで、あっという間にシャム湾を通過してバンコク・スワンナプーム空港への着陸態勢に入ったのだった。



エイチ・アイ・エスが運営する、超格安航空券サイト



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台湾の古都、台南に徹底的にこだわった観光案内サイト
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台南市内南部、健康路一段の野球場や陸上競技場を備えた中正記念運動公演の北側にある1683年(明永暦37年)創建の、明朝最後の王である寧靖王の5人の妃・妾を祭った廟。

南北に120-130メートル、東西に70-80メートルの大きさで赤色の塀に囲まれており、入口は北側の五妃街沿いにある。

市内中心部からだと、湯徳章紀念公園(国家台湾文学館(旧市政府舊舎)のあるロータリーから)南門路を1.5kmほど進むと五妃街との交差点に出るので左折するとよい。

寧靖王は、清朝との戦いで中国本土を追われ鄭成功とともに台湾に渡って来たがここでも戦いに敗れたことで、命運が尽きたことを悟り自害することを決心した。

その時、寧靖王には袁氏、王氏、秀姑、梅姐、荷姐という名の5人の妃・妾がおり、彼女たちを逃がして生き延びさせようとしたのだが、王のためにその貞節を守ると考えた5人は王よりも先に自らの命を絶ってしまった。

寧靖王はこの5人と、ともに自害した2人の仕女の7人の亡骸を魁斗山という場所に葬り、すぐに自らも命を絶ったが、魁斗山はその後人もあまり近寄ることがなく荒れ果ててしまったという。

しかし、この話自体は人々に長く語り継がれており、後年魁斗山と発音が似ている桂子山と称して現在の場所に新たに廟が建設され、その後さらに名前を鬼仔山と改めた。

廟の敷地の中に入ると、広々とした中に不釣り合いなほどの非常に小さな建物がポツンと建っている。

前面はほかの廟とあまり変わらないものの、裏に回ると勾配を持つ小さな古墳のような形をしており、なぜここが「山」のつく名前で呼ばれていたのかがわかることだろう。

廟の建物の入口両脇に描かれているのが妃・妾と一緒に自害した仕女で、中に入ると正面に5体の妃・妾の像が安置されている。

あまり訪れる人もいないのか、いつ行っても人が少なく非常に静かな雰囲気が保たれており、往時の出来事に想いをはせながら廟をお参りするのもいいと思う。

個人的には、台南旅行をするのであればぜひ訪れてほしい場所のひとつである。






廟を取り囲む塀
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入口から見た廟
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廟の全景。こじんまりしている
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廟の正面入り口から帰し方を振り返る
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入口脇には、妃・妾と一緒に自害した2人の仕女の絵が描かれている
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廟の内部
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正面奥に祭られた本尊の五妃
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横から廟の建物を見る
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裏は古墳状にこんもりと盛り上がっている
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敷地の中には、小さな祠がある
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石碑もいくつか建てられている
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大きな木もあり、ひと休みに最適だ
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