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ガネッシュのアジア漫遊ブログ
タイのチェンマイに住みつつ日本や台湾、アジア各地をふらつきます

高野山の初日は、奥の院だけを見て終了する予定だったのだが、宿坊に入れる時刻まではまだ少し余裕があったので、当地を代表するもうひとつの観光スポットである壇上伽藍お見学することにした。

壇上伽藍は自分が中学の修学旅行で高野山を訪れた時にも見学コースに入っていたことは記憶しているのだが、どんな建築物があったかとかどんな雰囲気だったかなど、まったくおぼえていなかった(^^;

高野山真言宗 総本山金剛峯寺のサイトによれば

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お大師さまが高野山をご開創された折、真っ先に整備へ着手した場所です。お大師さまが実際に土を踏みしめ、密教思想に基づく塔・堂の建立に心血を注がれました。その壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。

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とのことである。

壇上伽藍には西塔、孔雀堂などいくつもの見どころがあるのだが、最も有名なのは、何と言っても朱色に輝く大塔だ。

同サイトによれば、

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お大師さま、真然大徳(しんぜんだいとく)と二代を費やして816年から887年ごろに完成したと伝えられます。お大師さまは、この大塔を法界体性塔とも呼ばれ、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので古来、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。

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とのことである。

自分が訪れた時には人も少なく、とても落ち着いた雰囲気が漂っており、往時の空気を偲びながらの参拝であった。

仕事していた時には、当然のことながら旅行をするにも土日祝日が中心で、どこに行っても車や人が多くて何となくざわざわした中での観光ばかりだった。

が、こうしてリタイヤして平日に有名な観光地を訪れても静かなことが多く、ぜんぜん感じるものが違う。

日本(に限らず海外もだが)を旅行するのであれば、やっぱり平日に限ると思う。



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一の橋から参道をゆっくり見学しながら歩いてきて、ようやく最終目的地の弘法大師御廟にたどり着いた。

弘法大師御廟に入るには、玉川にかかる御廟橋を渡るのだが、ここから先は撮影禁止となっている。

なので、橋の手前からの写真しか載せられない。


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この弘法大師御廟は、大師信仰の中心で聖陵です。転軸、楊柳、摩尼の三山の千年杉に周囲を囲まれ、奥深く厳かな、たたずまいを見せています。 お大師様は、西暦835年(承和2年)3月21日寅の刻、御年62歳で、予てからの予言通り御入定なさいました。玉川の清流に沿った台地に、ご入定前には、既に納涼坊、総修堂が建立されており、お大師様自ら廟所と決められていたとも伝えられています。御入定後、お弟子たちは、予定通りその場所に御廟を建立され、御入定後86年を経て、西暦921年(延喜21年)醍醐天皇より弘法大師の諡号(しごう)を賜りました。この御廟で祈れば、お大師様は必ず応えて下さると言われており、入定留身の聖地として今日なお廟前に祈りを捧げる参拝者は絶えません。

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とのことである。

平日ではあったが、さすがにここは大勢の人がいた。

外国人観光客も多いのだが、比較的年齢の高い欧米からの人が中心で、中にはハイキングも兼ねて来たのかトレッキングシューズにポール、デイパックを背負った忠孝ねんカップルも複数見かけた。

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一般社団法人高野山宿坊協会
一般社団法人高野山宿坊協会一般社団法人高野山宿坊協会

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奥の院へと続く「御廟の橋」の手前右側には、川に沿ってたくさんの仏像が並び多くの人々がお参りしている一角がある。

ここは「水向地蔵」というそうだ。

建てられていた案内看板によると

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玉川の清流を背にして、地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩などが安置されており、これらを総称して水向地蔵と呼びます。
参詣客は御供所にて経木(水卒塔婆)を求め、水向地蔵に手向け水を注ぎ、亡き人々の冥福を祈ります。

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とのことである。

「水掛」ではなく「水向」なので、水をかけるのではなく水を注ぐ(向ける)のが正式なお参りの方法なのだろうが、大勢いた観光客の多くはそんなことを気にせず水をバシャバシャかけていた。

ここにお参りしたら、いよいよ橋を渡って奥の院の中心へと進んでいく。



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奥の院の参道を一の橋からずっと歩いてきて、中の橋から来るツアー客などがメインで使う大きな参道と合流してさらに進むと、いよいよ奥の院が近づいてくる。

奥の院は「御廟の橋」から先が聖域となっているのだが、その手前にもいくつかマイナーではあると思うが、見どころがある。

まずは、護摩堂だ。

護摩炊きや祈祷をしてもらうのでなければ立ち寄ることもなく、ましてや中に入ることなどないため、周辺では一番静かな場所になっていた。

詳しい来歴などもわからないが、かなりの歴史を感じさせる堂であった。



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高野山の奥の院へと向かう表参道は、両脇にずらりと並ぶおよそ20万基にも及ぶ有名な大名などの墓石、祈念碑、慰霊碑を見るだけでも十分価値はあるのだが、ほかにも見どころはある。

それは、中の橋のたもとにある「汗かき地蔵」と「姿見の井戸」だ。


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汗かき地蔵≫
中の橋のたもとにある汗かき地蔵は、世の中の人々の苦しみをお地蔵様が身代わりになり、一身に受けているので、いつも汗をかいていると伝えられています。

≪姿見の井戸≫
その昔、病を患った扶閑[すけずみ]中納言の夢の中に弘法大師が現れ、「我が山の霊水を飲めば病は速やかに治りましょう」と告げられました。そこで中納言がこの井戸の水を飲むと、たちまちに痛みが止まり、井戸には「薬井」という名前が付けられました。
江戸時代にはこの井戸をのぞき見て、自分の姿が水に映らなければ3年以内の命であるという説が広まり現在のように「姿見の井戸」と呼ばれるようになりました。

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とのことである。

どちらも非常にこじんまりとしたスポットで、特に気に留めなければあっという間に通り過ぎてしまいたくなるような雰囲気だが、特に姿見の井戸はそのいわれを聞いてしまうと、やっぱり井戸の中をのぞき見ないわけにはいかない。

自分がのぞきこんで姿が水に写ってホッとしていたところ、あとから来たおばさんが「私、怖くて中見れないわー」とか言って一緒に来た人と大騒ぎしていたのが面白かった。

奥の院まで一気に向かうのではなく、途中の一休みの場所としてもいいと思うので、ぜひ立ち寄ってみよう。



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高野山の入口にある大門を見て、少し車で街の中をうろついた後は、メインの(?)スポットである奥の院へと向かう。

ツアーや修学旅行などは普通、中の橋駐車場でバスを降りてそこからショートカットの大きな参道を歩いて奥の院に向かうようだが、色々と調べてみるとそれよりも1kmほど手前の一の橋から表参道を歩くのが正式な行きかたであり、そのほうがはるかに奥の院の雰囲気が堪能できるらしい。

なので、一の橋の近くの路上の駐車スペースに車を止めて、ノンビリと歩いて奥の院に向かうことにした。

奥の院までは約2kmの道のりだが途中は鬱蒼とした森で、狭い参道の両脇には有名な大名などの墓石、祈念碑、慰霊碑などがおよそ20万基びっしりと並んでおり、「へー、ここは***家の墓所なんだー」とか立ち止まりながら進むので、思いのほか時間がかかった。

奥の院からの戻りではショートカットの大きな参道で中の橋に出てみたのだが、時間のないバスツアーとかだとしょうがない面もあるのだろうが、一の橋から歩くのと受ける印象がまったく違った。

歩いている人の数も、両者では雲泥の差があるしね。

やはりここは、はるかに高野山の“気”に満ちた雰囲気を味わえるとという意味でも一の橋から歩くのが絶対におすすめだ。






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高野山での泊りはもちろん宿坊なのだが、まだ時間がけっこうあったのでその前に一番の(?)観光スポットである奥の院に行くことにした。

が、大門からまっすぐ行ったらあっという間なので、少し車で脇道などをウロウロする。

当たり前だが、とにかくどこに行っても寺院、寺院、寺院だ。

ウィキペディアによれば、

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現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。
山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。

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とのことである。

たいそう立派な造りの寺院が多く、ひとつひとつじっくり見て行ったら楽しいだろうが、とんでもなく時間も相当かかりそうだ。






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ビザ、住まいなどチェンマイで暮らすための情報がいっぺんにわかる
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今まで住んでいた古い家に住みつつ新しく借りた家の環境を整えていく。

新しい家にはまだ泊まってはいないのだが、徐々にこちらにいる時間を長くしていくためには、まず絶対にやらなければならないことがある。

それは、インターネット回線の開設だ。

スマホを使っていればインターネットにアクセスすることはもちろん可能だが、やっぱりパソコンを開いたほうが楽だし目や腕も疲れない。

今回の家さがしを色々と手伝ってくださったお友達に相談すると、「エアポートプラザに行けば、色々な通信会社が出店しているので比較も楽でしょう。一緒に行きましょう」とありがたいお申し出をいただいたので、早速現地で待ち合わせることにした。

エアポートプラザの4階には、携帯電話ショップなどと並んでタイの通信キャリアの店舗が軒を連ねている。

お友達が自宅で利用しているのがTrueだというので、まずはそこに行ってみる。

店舗に入るとすぐに案内係が寄って来て用件を聞き、素早くカウンターの席へと案内してくれた。

まだ20代そこそこと思われる女性に引越し先の新しい家にインターネット回線を引きたい旨を伝えると、3つ折りのパンフレットを見せて色々なプランを説明してくれた。

すると、中に単なるインターネット回線だけでなく、ケーブルテレビとさらに携帯電話のSIMカードまでセットになったパッケージが用意されていて、「新しい家にテレビ回線がまだ来ていないのなら、断然お得ですよ」と熱心にプッシュしてきた。

パンフレットを詳細に見ると、インターネットは無制限、CATVはNHKワールド(英語放送)などを含めて50チャンネル以上を見ることができ、携帯電話のSIMカードは無料通話100分にデータ通信が500GBついていて1カ月799THB(約2,740JPY)だという。

半年以内に解約すると4,000THBのペナルティーがかかるが、継続すれば6カ月目は無料になるキャンペーンもやっているらしい。

考えてみたら、新しい家に液晶テレビはあるものの、まだ視聴できる環境もなかったのだった。

携帯のSIMカードは1-2-callとTureの2枚を使っていたのだが、後者をこのサービスに切り替えればトップアップ(チャージ)も不要になる。

当初は、いくつか会社を回ってどこにするか決めるつもりだったのだが、同行してくださったお友達とも「これだけの内容だったら、即決でもいいですね」ということになった。

契約の手続きをしたい旨女性店員に伝えると、「自宅の詳しい場所を教えてください」と言って、コンピュータのモニターをこちら側に向けた。

画面には、チェンマイの地図(確かグーグルマップだったと思う)が出ていて、主回線が敷設してある道路上には緑色の線が描かれていた。

自分の家の場所を示すと、「そこなら問題ありません。あさってには工事できますよ。」ということなので、早速書類にサインをして契約を済ませたのだった。

最後に女性店員は「7-11で毎月料金を支払う時に、これを提示すれば振込手数料が無料になるので使ってください」と、バーコードが印刷されたカードを数枚渡してくれた。

Trueを運営している会社は7-11を経営しているのと同じCPグループに属しているので、このような特典がついているのだった。

約束の日時に、新しい家で工事業者の到着を待つ。






時間通りに、Trueのロゴのついた小型トラックが到着した
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中から首にIDカードをぶら下げた男性が2人降りてきて、住所や名前を確認した後、家の内外をチェックして早速工事に取りかかった。



まずは、主回線から自宅への回線を引き込む作業である
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新しい自宅は郊外なので、市内ほどではないにしろかなりのケーブル類がゴチャゴチャに走っている。

「この中からどうやってTrueのケーブルを見つけるのだろう?」と思って見ていたら、どうやら番号を振った小さなプレートのようなものがところどころに取りつけられているようで、まず最初に自宅から30-40メートル離れた場所にはしごをかけてTrueのものを確認した後で、自宅の前に立っている電信柱から自宅へとケーブルを伸ばし始めた。

その時に、自宅へのケーブルに鉄製の釘のようなもので数字を打ち込んだ小さなプレートを取りつけていたので、わかったのだが。

タイ(チェンマイ)の電線を見ていると、とても秩序立って敷設がされているとは思えなかったのだが、ちゃんとコントロールしてる会社もあるのね(笑)



電柱からケーブルを自宅に引き込む
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自宅の壁には屋内の各室とを結ぶケーブルがあらかじめ張られており(上の写真では白く塗られている)、引っ張ってきたケーブルを壁にとめながらつなげるだけである。

これで屋外の工事は完了、続いて屋内の工事だ。



ケーブルテレビのSTBとwi-fiルーターを箱から取り出して作業開始だ
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この家は屋内の配線がきちんとされていて、部屋の壁にテレビ回線のジャックが出ているので作業自体はまったく難しいことはない。

作業している人が「wi-fiのパスワードを設定するので、希望の文字数字を書いてください」と箱に入っていた紙を出すのでそこに書いて渡す。



日本でのこうした工事とまったく同じ手順で作業は進む
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「工事が終わったので、持っているスマホでwi-fiにつないでみてください」と言われ、先ほど紙に書いたパスワードを入力すると、無事にインターネットに接続することができた。

工事担当者の人は無口な感じだったが、帰り間際にケーブルテレビのリモコンを操作しながら「サッカーをよくやるスポーツチャンネルはこのチャンネル、英語のドラマをやっているFOX TVはこのチャンネル……」といくつか教えてくれた。

さすがに、NHKワールドのチャンネルは知らなかったみたいだが(笑)

作業完了書のような書類にサインを済ませると、工事は完了だ。

今まで住んでいた家はタイ人の友人がこうした住居インフラの整備はすべてやってくれていたので、自分にとってはまったく初めての経験だったのだが、やってみると日本と何ら違うところはなかったのだった。

まあ、当たり前といえば当たり前なのだが。

ともあれ、新しい自宅での生活環境がまたひとつ整ったのであった。






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東京を出て伊賀上野を観光、1泊して高野山に向かう。

この日は、高野山を観光して宿坊に泊まる予定だ。

ブログ記事のシリーズも「高野山」と記しているのだが、実は今回の旅の一番の目的地はこれから紹介する観光名所としても名高いエリアではない。

追って紹介することになる同じ高野山でもここから離れた別の場所なのだが、その周辺には泊まるところがないし、高野山を訪れるのは自分もカミさんも中学校の修学旅行以来なので、じっくり見ることにした。

修学旅行なんて、来たことだけは覚えてるけどほかにはほとんど何も記憶にないもんね(^^;

伊賀上野から、ナビにしたがって天理市、橿原市を抜けて国道24号線を紀の川沿いに進み、橋本市から山道に入る。

自分の車のナビが古いのでわからなかったのだが、今は京奈和自動車道というのができていてまだ全面開通していないのか無料なので、こっちを使ったほうが早く来れたかも。

国道24号線からは時々山の上のほうに自動車道が見えてはいたのだけど。

山道は思いのほか勾配が急で道幅もところどころ狭いところがあり、「有名な高野山にアクセスするのにこんな道なの!?」と思いつつハンドルを握る。

観光バスとかは、ほかの道があるのかもしれないけど……

そうこうしているうちに、高野山の大門に到着。

まずは、ここから観光を開始する。

門の脇に立っていた看板によれば

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 高野山の盆地の西端にあたり高野山の西の入口の正門である。重層の五間三戸、入母屋造、銅瓦葺の楼門。昔はここから天野、慈尊院に通ずる町石道と西高野街道が紀の川流域に向かった。また有田川流域に向かう道もあった。
 大門は元禄元年(1688)に炎上し、宝永二年(1705)に落慶した。それが今の門である。昭和57、8、9年に解体修理された。自動車道路の開通とともに高野山の入口として再び活気を取り戻している。

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とのことである。


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高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。開創当時は現在の地より少し下った九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。正面には「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)が掲げられています。この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。 また、大門の横手には弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天(だけのべんざいてん)がまつられています。

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とのことだ。

時間的な関係かもしれないが、まったく人がおらずなかなかいい雰囲気であった。






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前回のブログで「伊賀上野にはこれといった名物料理がない」と書いてしまったのだが、そんなことはなかったと今日続きを書こうとして思い出した(^^;

「せっかくここまで来たのだから、何かおいしいものが食べたいよね〜」ということでホテルの部屋でカミさんとスマホをいじっていたら、「伊賀牛」というのが目に飛び込んできた。

チェンマイに住んでいると、意外に牛肉のおいしいのに出会わない。

ひとつにはあまり牛肉そのものがタイ人には好まれない(宗教上の理由も多少ある)ため、ステーキレストランとかでもメインはチキンやポークになっていることが多い。

オーストラリアやニュージーランドからの輸入ビーフもあるが基本的に冷凍もので、やはりどうしても風味が落ちるというのもある。

ちなみに、当地の高級スーパーに行くと神戸牛や松坂牛も売っているが、確か100gで2,000THB(約6,800JPY)とかしていたと思う(記憶不鮮明)。

それでも買う人が普通にいるから、すごいのだが。

さて、伊賀牛を食べようということになったのだが、やはりブランド牛ということでステーキ屋はかなりの値段していてとても手が出ない。

で、さらに色々と調べていたところ、伊賀牛をメインにした焼肉屋というのを見つけ、ホテルからも歩いて行ける場所であったので、夕食はそこにした。

店は「焼肉ステージ昌苑」という。

夜の比較的早い時間に行ったのでまだ店も空いていて、伊賀牛ばかりを頼んで焼肉をしたがお財布的にも安く、しかも肉はかなり良質。

チェンマイでおいしい牛肉を食べられない分、しっかり楽しんだのだった。






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