箱根・小田原・足柄

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開成あじさいの里

とうとう関東地方も入梅に入ってしまったようです。

当地も昨晩から雨が降り出し、出社するのも嫌になりますが『おまんま』を食べるためには仕方ないです。


さて、神奈川県西部にある開成町の『あじさいの里』ではあじさいまつりが始まって一週間経過しました。

開花が遅れているとのことで、行くべきかどうか悩みましたが意を決し、ようやく昨日の午後に行ってきました。

露店を冷やかすのも楽しみですが、今回は時間が押していたためパス!
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晴れていれば正面に富士山が見えるんですが!
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紫陽花の背景には鎌倉のような神社仏閣が似合うと思っていましたが、どうして田植え直後の田んぼにも似合います。
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『あじさいの里』といっても公園とかではありません。ご覧のように農道の脇に紫陽花が植わっているだけのものです。


薔薇の花のような色をした紫陽花を発見。ネームプレートには仏蘭西の『パリ』と書いてありました。
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薄紫のボカシを入れたんですがピントは葉っぱに!(汗)
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露店で買った風車で遊ぶ子供たち。こんなあぜ道を駆けるなんて、都会っ子だったらさぞ思い出に残るでしょうね。
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今回も、この相棒と一緒。車両進入禁止エリア以外だったらどこでも入れるのが強みです。
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月曜日早々から雨模様、うんざりしますが出社してきま〜す!

石橋山の合戦

小田原のミカン山をあてもなく、コンデジのみを携行しツーリングしていたら・・・・石橋山古戦場跡らしき所に!

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今ではのどかなミカン山となっており、晴れていれば相模灘が見え、遠くには三浦半島も見える筈なんですが!

オイラはちょくちょく鎌倉へ行っていますが、その鎌倉に幕府を開いた頼朝公の旗上げの場所でもある石橋山(小田原市石橋)に足を踏み入れたことに感激しています。


西国の武士を従え、清盛を主とする平家は勢力を広げ『平家にあらずんば人ではない』というほど天下を謳歌していました。

これに対し東国武士に信望のあった源氏は、治承4年(1180)以仁王の平氏追討の令旨を掲げて、源頼朝が伊豆で挙兵。

嫁・政子の父である北条時政ら伊豆・相模の武将300余騎を従えた頼朝は、鎌倉に向かう途中の石橋山で前方を平氏方大庭景親の軍勢3,000余騎に、後方を伊東祐親の300騎に挟まれ戦の火ぶたが落とされました。

これが俗に言う『石橋山の合戦』です。

この時、頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠が敵将の俣野五郎景久と対戦したのを発端として戦闘に入りましたが、10倍を超える平家の軍勢に頼朝方は敗れてしまいました。

生き残った頼朝主従は、一旦は箱根山中(湯河原)に逃げ、ここにも追手がきましたが梶原景時の機転で命拾いをし、真鶴から船を出し安房(千葉県)へと向かったのでありました。

ここで三浦氏一族らと合流。関東武士を集めて体勢を整え、まもなく鎌倉を本拠地として再び反平家の旗を挙げるのでした。


ミカン山から眺めた佐奈田霊社(神社)の遠景
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この合戦で頼朝は与一に先陣を命じ、命を受けた与一は、郎党文三とともに敵の先陣めがけて突進しました。

すると与一の前に平家方の俣野五郎があらわれ、海の中へ落ちるような断崖の上で二人は上になり下になりの格斗を続けたそうです。

取っ組み合いは与一の有利に働いたが、与一の刀は血糊がこびりついて抜けず、俣野の加勢にかけつけた長尾新五と弟の新六の手により、遂に与一は二十五歳の若さで討ち死にに!

郎党文三も稲毛重成(しげなり)の兵に囲まれ与一と死をともにしたそうです。

その文三を祀る祠
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与一の遺骸を葬ったのが与一塚で、その傍らには建つのがこの佐奈田霊社。

本来は、この急な参道から向かいますが・・・・?
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でも、クルマなどはこっちから!
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途中に石橋山古戦場の碑があります。
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先程の急階段から昇ってくると、ここに出られます。
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与一が景久と組み討ち中、味方からの問いかけに対し「たん」がからんで声が出ず、そうこうしているうちに、敵に討たれてしまったという伝承にちなんで、『たん、咳、ぜんそく、声』に霊験があるとして知られます。

このため、芸能関係者の参詣も数多くあるそうです。

公共交通のアクセスも不便。ではマイカーと言うと道幅は狭く、運転に不慣れな方にはお薦めできませんが、歴史にロマンを感じるという人には一見の価値があります。

なお、源平合戦で扇の的を射たという与一は那須の与一といい、この佐奈田与一とは別人であることを付記しておきます。


オイラにしては珍しく堅い記事になってしまいましたが、鎌倉フリークとしてたまにはこんなのもアリかと!(照)

明日以降、再び鎌倉の「明月院」と「海蔵寺」の花情報をお届けしする予定でおります。

小田原城のツツジ

GWの3日、小田原の北條五代祭りパレードが始まる前に撮った小田原城・常盤木門前でのツツジです。

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常盤木門、昭和46年に復元されたものです。因みに、この年はオイラが定年まで勤めた会社に入社した年です。

説明を省くため立て看板を。画像右下の(+)をクリックすると画像が見やすくなります。
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常盤木門から二の丸に通じる赤い橋をながめます。

本丸東堀跡と二の丸から本丸への渡り橋になっています。
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この赤い橋の下がこれから見ごろになります。アヤメ(花菖蒲)とアジサイが順次咲き出すんですよ!
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特に雨の日は風情がありますからお薦めです!

小田原城も銅門や馬出門も完全復元され見どころ満載ですので、お出かけください。

御感の藤・小田原

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小田原城跡と報徳二宮神社の間、堀のほとりに3株のフジが植えられています。

種類はノダフジというそうで小田原市の天然記念物、ならびに「かながわの名木百選」にも指定されています。

3株とも高さは3mほどあり、藤棚全体にわたって花房が下った様は美しいものでした。
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3株のうち、この東側の株は樹齢約200年の古木です。
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この藤は大正天皇が皇太子の頃、この藤を見てたいそう美しい花であると誉められたので・・・・

その後は「御感の藤」と呼ばれるように!

お堀の石垣に調和するようです。
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今の時期はツツジとのコラボが楽しめますよ!
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D生命のツツジ

昨日の「みどりの日」、神奈川県西部の午前中は雨になってしまいました。

朝は晴れていたためバイクで遠出をしようと思いましたが、途中から雨音が激しくなりそうなのでD生命のところで引き返しを余儀なくされました。

ここは隠れたツツジの名所になっています。
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一本の木からかどうか確認してませんが、違う色が混ざるのもイイものですね。
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平面に低く咲く姿はあたかも絨毯のようですね。
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最近、相互会社から株式会社に転換したD生命。
ですがここ大井本社の人員を縮小して東京に集中させていると聞くと、このツツジの運命もどうなるのやら!

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