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今回のテーマは、ちょっと社会派的(?)なお話。
バブルがはじけ(と、この言葉を使うのも古いかな)、私たちの生活に徐々に黒い影が忍び寄り、気づいてみると「長〜いトンネル」に入っていて出口がみつからないそんな毎日・・・と感じることはありませんか?
たとえばこんなこと。
休暇の前には、「早く休みにならないか」とワクワクしていても、いざ休暇に入って考えることは、休み明けの「仕事」のことばかり。土日が休みの私や仲間の間では、国民的番組の「サザエさん」は、召集令状(?)のようなもの。覚悟を決める時間だったりします。
連休だって同じ。みんなでこぞって、民族大移動の果て疲れた心と体で会社へ行きたくないと、セーブしたり、予定をプチなものにしたり、はたまた近所のスーパー銭湯で凌ぐような事、ありませんか?
こんな日本にしたのは、誰なんだ?!
「責任者出て来ーい!!!」と叫んだところでどうにもならないことも承知。「天に唾を吐く」ようなものだって。
以前、欧州や北米のスキーリゾートを訪れたときに大きく感じたことは、ひとつにそのリゾートの本物程度。スケールはもとより、なにせ用意するほうが、本気でまじめにリゾートを作ってますよね。
晴天率の高いこともあり、ゲレンデサイドには、ビビッドな色合いのリクライニングチェアーが整然と並んでいる、それだけでも「風景」。標高3,000m近くだってファーストフードじゃないカフェのサービスが楽しめる。
「このインフラ、どうなっているの?」と頭をひねるくらい。
そして、もうひとつ感じたことは、そこで過ごす彼らの時間。
1週間なんてショートステイ。フランスなんかは、「バカンス」がありますからね。
日本人みたいに、ガツガツ・セコセコなんかしてません。クラクションの音なんか全く聞こえません。
テラスでのんびり読書をする人。
昼から、仲間とワインを楽しむ人々。
そう、生きるという「環境」が違うんですよ、日本とは。
前述の通り、「何時に出発して」「何本滑って」「食事はいくらでどこで調達して」「お土産をどこで買って」なんて考えながら、そうやって大半の日本人は余暇を過ごすんです。
こんな環境で果たして「リゾート」は日本に成り立つのでしょうか?
法令なんかないので、○○○リゾートって名乗ってしまえばいいのですが、「時間を楽しむ」ようなそんな「ゆとり=のん気さ」はどうでしょうか?
最近、わが社では「スキーリゾート」という言葉を使わないような、そんな風潮があります。
それは、「ゴルフ場」「競技場」「ボーリング場」「ゲートボール場」と横並びの「スキー場」という言葉であり、スポーツのカテゴリーなんです。
ただ、そこで失いたくないのは、「おもてなし」の心。
一生懸命に時間とお金を使って、遠い遠〜い雪山に足を運んでいただくんですから。
心の「ゆとり」だけは、心がけひとつでお届けできるものですから。
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