「Yahoo!映画」が育んだタイヨウ1号ブログ

映画ブログではじめましたが最近は暗中模索な歴史・旅コラムばっかりで。。

序〜日本人を考えたい

 日本人の特徴は端的に何であろう?
 これはもう、海外の人に聞いた方がいい。
とはいえハリウッドの映画に日本が出てくると大抵は“トンデモ”JAPANだと思われる方は多いと思う。そこでは日本人はやたらに作り笑いを浮かべ、ペコペコおじきを繰り返し、おもむろに神社の鳥居が出てきてお参りしだすわ、ジャーン!とドラがなるわで、全くめちゃくちゃな世界が広がっているように思う。
 だが、果たしてそうだろうか?もちろんドラはないかもしれないが、外から見れば特徴だけが浮き彫りにされる。中にいる我々日本人は細かい違いが気になるが、案外そのようなものかもしれないのだ。
 という前提のもとに、最近の日本イメージを外国の方に聞いてみましょう。

■日本人ときいてどのようなイメージがありますか?

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 「勤勉」「礼儀正しい」。このあたりは世界的な標準イメージ。
 ネガティブとしては「おとなしい」「主張がない」あたりがでてくる。
 特徴的なのは、ものづくりニッポンを象徴するような「創造性がある」が高い値を示していること。同時に「連帯感」と「繊細な」なども高い。これは個人の才能による表現というより、団体行動できっちり正確に製造していくという、日本の商品や企業に対するイメージが重なっているのかもしれない

 さらに端的に日本人の気になる部分を調べてみたい。

■どんなイメージ?外国人が2分で日本を説明した動画が面白い
 


■海外から見た日本の不思議【ファンタスティック・ジャパン?】

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によると、気になるニッポンは
1、世界最古の天皇家
2、ピカチューによるカルチャーショック
3、禁煙規制が緩いのに長生きする国
4、電車が時刻通り来ること
5、いつも「すいません」という
6、若い女の子がブランドもののバッグを持っている
7、毎朝新聞が玄関口までとどく
8、女性が食事代を払っていること
9、冠婚葬祭でおカネを払っていること
10、特定の宗教をもっていない、なのに色々な宗教行事を楽しんでいる
11、時間に正確
12、ただでティッシュを配っている
13、お弁当アート
14、水道水が飲める
15、日本人の風呂習慣
16、デパ地下
17、タクシー運転手がネクタイを締めている
18、女性がおしゃれ
19、トイレ用スリッパがある
20、電車の中で居眠りができる
21、音姫(トイレの設備異様な充実ぶり)
22、サービスが良い
23、公共の場所でお酒が飲める
24、信号機は緑なのに「青」という
25、お腹一杯ご飯を食べても痩せられる
26、お店のビール一杯の値段が小売で買う1ケースの値段と同じ
27、夏に半袖になる日が決まっていること
28、屋上にあるビアガーデン
29、公園の自動販売機

 いくつもあるので、いちいち触れる事はしないが、大体傾向があるのはお分かり頂けると思う。「勤勉」「礼儀正しい」に加えて、「(やや異常な)キレイ好き」「潔癖」という部分がクローズアップされてきている。あとは女性の強さや、女性の感性(カワイイなど)が反映された社会だということを表す項目もある。
 さて問題は、理屈の上では「潔癖」などの部分に相反するような10番の「特定の宗教をもっていない、なのに色々な宗教行事を楽しんでいる」あたりかと思う。日本民族の宗教に対するこの鷹揚な感じは、特に一神教を信じる国の人々には理解しがたいはず。
 そして天皇家。中にいる我々日本人は気にも留めないことだが、この王家の注目度は高い。間違いなくダントツの世界最古、しかも男系男子で血の純潔を守り通す世界でも類を見ない王家で、どうみても世界から見れば「ザ・日本」の大看板といってよい。

どうですか?
思うに、意外に外国人はよく日本人を見てるのでは?
「勤勉」
「礼儀正しい」
「(やや異常な)キレイ好き」「潔癖」
「女性の強さ」
「独特の宗教観」
「天皇」
は実は日本及び日本人の正体を考える上で、非常に大事な要素です。
 
 次回以降、そのあたりを見て行ければと思います。

(続く)





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序〜日本人を考えたい

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 人生40年以上も生きていると、生まれて10年くらいのことはだいぶ昔で、時の流れとともに忘却の彼方へと消えてしまうかと思えば、そうでもない。
 子供の頃の思い出は、ここ数か月に起こった仕事のことなどより鮮明に覚えているものだから、人間というのはよくわからない。
 その頃にみた田舎の山河、街並みや、人々の姿などというものは一向に私の脳から消える気配を見せず、原色のまま保存され、再生されているのである。
 思えばあの頃の世界は今とは随分違う。
 建物や車や人の服装が違うだけではない。昔はものすごい汚い子供とか、超怖い近所のおじさんとか、ハンパじゃなく気持ち悪い婆さんなどがいた。今では決して存在しない人間がいたのだ。
 一方、やたらに足の長い女子小学生の一団や、SEXに興味がない男共などという現代のお決まりの景色は、当時からしてみれば奇異極まりない光景であり、この落差を考えるに、人の質的変化は文明の進化を超えいるように思えてならない。

 そういえば昔、子供にお乳をやるのにおっぱいを露わにするお母さんて、いたよなぁ。

 日本人はどこへ行くのだろう。

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 ただ、どこまで行っても変わらない部分もある。
最近でいうガラパゴス、昔でいうところの島国根性と呼ばれるものは、鎖国以来なのか、日本人の血と肉に染みついた一大気質といえる。
 爺さんだろうが、若い女の子だろうが、海外の状況と国内のことをひとつなぎで考える人は稀であり、世の親にとっては、アメリカの大学を出た息子より国立大学を卒業した息子の方が親戚に威張れるのであり、世の多くの若者は多少噛みごたえのあるハリウッドの映画や洋楽より、言葉がわかって安心できる邦画を観て、日本のアーティストの曲を聴く。
 携帯電話も映画も音楽もアニメなど商品側も国際市場というよりはほぼ国内向けに作られており、この部分はむしろ戦後からバブル時期の方が外に向かっていこうという力が強かったかもしれない。

 こういう日本人にいつからなったのだろう。

 いったい日本人は、どこからきたのだろう。

 日本人の源流を考えてみたい。
 これから新たなるつれづれの思考を開始したい。

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 (続く)

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暗殺者列伝

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暗殺者が主人公の暗殺もの映画って最近があんまりないですが、
「ゴルゴ13」を例にとるまでもなく、結構おもしろいもんです。
緻密で大胆、ハングリーで勤勉、孤独だけど裏世界の事情に長けてる。
「モテおやじ」じゃないけど、ある種男的には見習う部分も多いじゃないですか。

「ジャッカルの日」のジェームス・フォックスはそういうおっさん。
フランスのド・ゴール大統領暗殺を図るわけですが、緻密です。
しずかぁにターゲットの近辺に肉薄していく感じはまさにフォックス・狐くん。
銃の照準を合わすシーンは名シーンですね。
リメイクでブルース・ウィリスがやりましたが、狐というより気違いのプロレスラーみたいでした。

オリジナルの方が、品があってよろしい。

タートルネックのイメージなんだよな。。意味わかんないですが。

暗殺のほうは失敗でした。


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暗号国家

日本語のコミュニケーションというのは難しいですな。
そのまま正直に答えても、決して正解ではなく、喜ばれない。

昔、大村益次郎という人がいて、
つまりこの人は明治期の日本陸軍の創設者ですが、
彼が夏に田舎の山口に帰って、田舎道を歩いていると、
百姓のおばちゃんとかに出くわす。。。

おばちゃん:「お暑うございます。」

大村:「夏は暑いのが当たり前です。」

(はぁあ?)

おばちゃん、ギョッとして大村を見ると、
大村は何か不都合でも?という
顔をしている。

官軍一の知将の論理脳は「お暑うございます。」を
「あいさつ」とは判断しなかったらしい。

無粋である。


時代は下って現代。
美容院などに行くと、まず言われる。
「どれくらい切りますか?」

この質問にまともに答えられたためしがない。

(なんだ、つまり何センチと言えばいいのか?)

(でも、場所によって切る長さなんぞ違うだろーが。)

(だいたい、何でこの髪型前提で話すのか。
 まず、どういう髪にしましょうか?じゃないのか!)

(いや。無粋はいかん。)

いや、無粋はいかんと思いつつ、一度ならず頭に思いついた
これらの返事を美容師にしたことがあります。

当然、「はぁあ?」みたいな顔をされ、その後トークにも華が咲かない
わけです。

でもね、
「どれくらい切りますか?」

に対して、

「あー、短めで。」

「あー、アフロで。」

「あー、ソリ入れて。」

なんていうのは会話ですかね。
暗号ですよ。
(やっぱり、これも「あいさつ」の部類ということか。)

じゃ、
「どれくらい切りますか?」
「おはようございます。」

子供か、オレは。

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関東大震災

もうひとつの原因はデマですね。
デマゴーク。

いや朝鮮人は井戸に毒を入れたとか、
火をつけたとか
混乱させるためにいろいろやってるといういう。。。
震災で9万9千人も死んで人身不安著しいこの状況では、
デマは凶器に等しく尾ひれがついてとんでもないことになっていた。

出所はメディアの王たる新聞ですよ。

テレビもラジオもない時代、唯一のマスメディアである新聞に「外国人には気をつけろ」
と載ったら、各地のおじさん、お兄さんはもう「臨戦態勢」とらざるを得ないですよ。

さらに、彼らにネタを流したのが、本来災害時の誹謗・デマを取り締まるべき警察ですから、
ひどい話です。
ちなみに震災当時、このあたりのキーマンといえば警視庁官房主事・正力松太郎。

上部組織である内務省からなんらかの治安上の指示があったのは明白ですが、このあたりの
メディア操作というか大衆操作は実に絶妙で、かつ非道ですね。
後年、彼が読売新聞社主を務め、戦後民放テレビを起こし「テレビ放送の父」と呼ばれることに
なるのは偶然ではないでしょう。

ただし、問題は彼個人ではなく、むしろこのマス・ヒステリアの風にのり、煽った
新聞という顔の見えない組織でしょうかね。。

戦後、こういったいわば日本人の恥部はほとんどメディアで語られることはありません。
ほとんどの新聞の社史でもそこの部分は微妙に割愛されている。
これは反省してないということじゃなくて、割と現代においても利害が絡む問題なのでしょう。
太平洋戦争と一緒で、一部の軍人や体制のせいにして忘れてしまいたいんだな。つまり。

でも“他人”から見たら反省してないというふうにとれる。
自分たちで語らないから、“他人”が語るのでしょう。いつまでも。
(続く)

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関東大震災

現代の日本人にとっては90年前は大昔と変わらない。

それは懐かしいとかではなく、すでに歴史の教科書の世界のことです。
だから昔のことを掘り返されて、戦争責任だ賠償などと言われても、
ちっともピンと来ない。
この21世紀の自分たちに責任があるなんて思ってもみないわけです。

でも、踏み倒していいかっていうと、そうでもない。
現代に影響を及ぼしてるし、知らないっていうのはさらにまずい。


1923年9月。
群馬県藤岡町で警察に保護を願い出た朝鮮人14名を、巡査から
鍵を奪った自警団が猟銃、竹槍、日本刀で全員惨殺。

千葉県船橋市では護送中の朝鮮人鉄道労働者38名を自警団150名が虐殺。

埼玉県本庄町では自警団は86人の朝鮮人を、警察署内で皆殺し。

つまり、
関東大震災のときの話ですが、震災のどさくさに紛れて一部で在日朝鮮人
及び中国人が殺されていたっていう話は歴史の時間にも教わった人もいると
思いますが、ここまでとは、ちょっと同じ日本人として滅入りますよね。


だって、
「自警団」て別に固有の行動団体ではなく、土地土地の普通の住民たちですよ。
そのへんの常識的なおじさんとかお兄さんがこういうことをしていたってことが
重要なんですね。恥ずべき事ながら、日本人はその時どうしたのか?と思います。
この「時代の気分」は一方で作られたものだったと思います。

ひとつの原因は明らかに軍部で、
大震災後の戒厳令下(つまり首都圏は軍部の管理下におかれた)で、
次々に共産主義者や無政府主義者を拘束し、殺していきました。
どういう理屈かというと震災の混乱に乗じてこういった不逞の輩が騒乱を
起こすのを未然に防ぐという、治安維持の名目を最大活用したわけです。
中国人の指導者的立場とみられた留学生・王希天も震災後、行方不明といわれて
いましたが、調べてみたら陸軍に殺されていた。

まあ国がそうですから、「自警団」の一般人がよりによって警察の中で虐殺
などという考えられないことができてしまうのでしょうね。

(続く)

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★トヨタ2000GT 誉れ高き日本のスーパーカー、唯一のボンドカー。
 長いボンネットに収まる直列6気筒エンジンはヤマハ製。


浜松という立地はヤマハにとって大きな意味を持つでしょうね。

戦後雨後の竹の子の如くあの辺りに小さなバイクメーカーが次々と興り
(ほとんどつぶれますが)、
その流れでヤマハもバイクに手を出すわけですが、近所には日本のエンツォ・
フェラーリ、本田宗一郎もいた。
一方、ちょっと西に行くと天下の商売上手、トヨタもある。
時代の流れで紆余曲折しますが、ヤマハはこの2つの強烈な個性に挟まれつつ、
独自の柔軟さで存在価値を保ち続けています。

トヨタとは市場が微妙にわかれてまして、というか自動車一徹のトヨタに対して
何でも屋のヤマハですから、当たり前なんですが、友好的な協力関係を築いてます。

知る人ぞ知る事実としては、トヨタの高性能エンジンはその昔のトヨタ2000GTから、
ごく最近のスープラまでヤマハ製ですからね。そのへんはあんまり言わない奥ゆかしい
ところがヤマハらしいと思うのですが、しかしなんでまた何でも屋のくせにそんなに
技術力が高いかというと、2輪があったからに他ならない。

で、その2輪。
東となりのホンダとは常に事を構えてまして、何十年も本気でやり合ってる。
この2社は比較すると実におもしろく、
「高回転エンジンのホンダ」であれば「ハンドリングのヤマハ」といい、
「4ストのホンダ」とくれば「2ストのヤマハ」であり、
走る実験室・ワークス主義のホンダに対しては、技術解放・市販レーサーのヤマハという感じ。

つまり右といえば左みたいな関係性があるのです。

基本はね、常にホンダがリードしてるんです。
でも、毎度毎度、あまのじゃく的に微妙に違うアプローチをしてるのが実を結んで、
たまにヤマハはホンダに一泡吹かせてます。

SRとかTWみたいな、お店やお客、いわゆるセカンドマーケットが盛り上がるような
バイク作りを、何でヤマハはできて、ホンダは苦手としてるか、という事実は何がしか
語ってると思いますね。

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世にも不思議な企業がヤマハでして。。。

バイクからピアノ、バドミントンのラケットから巨大クルーザーまで。
なんでも作ってる。
ドメインなし。
器用貧乏というには余りに大企業、貧乏なわけはない。

あれは山葉 寅楠(やまは とらくす)って人が創業者、
紀州和歌山の出だそうです。
何という名前でしょうか。

紀州というのはその昔、漁師で有名な地帯で、現在使われてる
ほとんどの漁法と釣具はあそこが発祥の地だそうで、
なんとなく創意工夫のメッカな匂いがします。

ヤマハは、三本音叉のマークに見られるように楽器が最初で、
きっかけは浜松の尋常小学校で壊れたオルガンの修理に成功したので、
そのままオルガンを作り出したという、なんとも“ちょうどよい”始まりなわけです。

その後、楽器をいろいろ作るんですが、ピアノ製造に代表される木工技術が
あるってことで、戦闘機の需要拡大に合わせてプロペラなんかを作り始めます。
あの微妙な曲線はそこらの大工には出せません。

さらにプロペラが鉄製になると、それまでのノウハウを生かして鉄製プロペラ、
つまり軍需産業にはまります。
その鉄加工技術が結局は戦後、オートバイの生産につながり、内燃機関を用いる
あらゆる産業、はては半導体まで増幅するわけですが、どうですか
この、「いきあたりばったり感」、「わらしべ長者感」。
さらにそれを難なく乗り越える小器用さ。紀州の血としか思えません。

紀州といえば、吉宗で有名な紀州徳川家。
さらに会社の本拠地の遠州・浜松は家康の元領地。あの三本音叉のマークは
徳川家の家紋「三つ葉葵」と無関係ではないように思えます。
三つ葉葵も水戸、尾張、徳川宗家と家家によって微妙な差があることで
知られていますが、三本音叉も楽器のヤマハとバイクのヤマハでは微妙に違っていて
YAMAHAのMの真ん中の部分の長さが違うようです。

(続く)

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前述したアレキサンドリアの男じゃないけども、人は昔よく太陽とか星とか見てたわけです。
農業や海を航行するのに必要不可欠だったことももちろんそうですが、
なんとなく憧れに近い気持ちを持ってたんじゃないですかね。

日本の国旗は太陽、

アメリカの国旗は星、

トルコの国旗は月と星、

ブラジルの国旗は天球であり、

モンゴルの国旗は宇宙のアイコンが入る。

仰ぐべき天に対する思いはどの民族でも一緒で、すごく上にあるってことは
やっぱり、それだけでえらいんだと思います。


そんな気持ちで、夜空を毎晩毎晩見つめるとですね、季節によって様相を変えながら、
星たちは一定方向に流れることがわかる。
ただ、おかしな動きをする星もあることに気がつくわけです。
放浪者のようにいったりきたりする星が何個かある。

「こりゃいったい何だ。」

現代人であれば、太陽系モデルから星の動きをイメージするとわかると思いますが、
その彷徨える星たちは、今日、惑星と呼ばれる金星とか火星でした。

ただ、古代の人たちはそんなふうに思わなかった。
崇高な天空で行われている怪しげな動きに何か意味があるんじゃないかと恐れおののいた。
そして何をしたかというと、そういう星の動きと、その日起こったことを日記的に書き連ねた。
せっせとね。

そして、10年、20年とデータを集めるうちに、どうもやはり星の位置と我々の普段の生活は
因果関係があるんじゃないかと思い始めた。

占い・占星術の最初はつまりこういうことです。

ギリシャ人のプトレマイオスという天文学者が熱心だったようですが、
記録文化の発達した中国でも似たような学問が起こってます。

つまり科学も占いも根元は一緒で、知識も名声もある天文学者の仕事でした。

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★クラウディウス・プトレマエウス
 古代ローマ時代の天文学者、数学者、地理学者、占星術師

そんな、プトレマイオス。
占いにはしる分には人畜無害なわけですが、
今日科学といわれる分野で彼が天動説を唱え、教会が指示したおかげで後年、
コペルニクスもガリレオも大変なことになってしまいます。

名声のあるひとだけに、間違えちゃうと、かなり大迷惑なんですよね。

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★プトレマイオスの天球図
 地球が宇宙の中心とする天動説の図。。。やっちゃった。

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★アレキサンドリア

エラトステネスといいましたか、
紀元前3世紀にエジプトの地中海沿いのアレキサンドリアに住んでいた男です。
彼はちょっとした記憶力と、目の前に起こってることを、注意深く見つめる視点をもっていました。
もしかしたら、ちょっとだけ人より暇だったのかもしれない。

彼はアレキサンドリアのオベリスクを見て、おかしいなと思った。
彼が思い出したのは「ナイル上流の都市シエナでは、6月21日には正午となると、そこにあるオベリスクは全く影が出来ない。」という記述でした。
6月21日の正午。アレキサドリアのオベリスクには影がある。

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★オベリスク(写真はパリ・コンコルド広場)

「なんでだろう、気のせいではないだろうか。」
気のせいだと思えば、それまでの話ですが、実はちゃんと理由があった。
そして、この男のえらいところは、その場でおもむろにオベリスクの影の長さを計ったことでした。

シエナでは影ができず、アレキサンドリアでは影ができる。
計った影の長さから、太陽の光は7度違う方向から照らされていることがわかりました。この不思議を説明できる手段をつらつら考えるに「地球の表面は丸いんじゃないだろか?」ということに思い当たりました。

またまた、この男のえらいところは、人を雇ってアレキサンドリアからシエナまで歩かせたことで、歩幅でその距離を測ってもらったそうです。
途方もない距離ですよ、それは800キロもあった。東京〜岡山とかそのくらいですか、うーん、彼は暇以上にお金があったのかもしれないですね。

「7度というのは360度の約50分の一、それが800キロということは地球の円周は800×50=約4万キロに違いない。」

地球の大きさというのは、もうこの時点で発見されてたんですね。驚くべきことです。
しかも、それは高度な計算でもなんでもない。小学生レベルの数学の応用でした。

小学生レベルながら、多分現代人が同じ状況になっても、発見できないでしょうね。
我々は自然に対する「眼」もなければ、常識を疑ってかかることに慣れてない。

「科学は常識を妄信するところからは始まらない。事実だけを考え抜くモノの見方だ。」
私の高校の理科の先生はいいこと言いましたが、専門化とか分業化の果てに思考を停止した現代のほとんどの人にとって、このアレキサンドリアの男は新鮮なんじゃないでしょうか。

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