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①戦前
明治政府の成立後、第2次世界大戦で敗戦するまで、
日本人の精神的支柱は、
日の丸と天皇、お国のために尽くす。
ということであった。
しかし、これは今風に言えば、
政府のマインドコントロールによるもの
と言っても大きく外れていないであろう。
②敗戦とホワイトパージ
敗戦した日本は当然ながら戦争を推進した勢力を全面否定することになる。
1946年、それまでの軍国主義思想に加担したとみなされた人物を公職から追放したことをホワイトパージという。
荒っぽく言えば、右翼思想家とみなされたものを追放した。
この結果、国民の多くは少なからず左翼寄りの思想に傾いて行ったといっても言い過ぎではないと思う。
③レッドパージ
1950年5月3日、連合国軍占領下で、マッカーサーの命令によって共産主義者とみなされた人物を次々と公職から追放したことをレッドパージという。1万人以上が失職したという。
同様に荒っぽく言えば、左翼思想家とみなされたものを追放した。
④朝鮮戦争
1950年6月25日〜1953年7月27日停戦(休戦協定締結)
米ソ冷戦の状況下でチャーチルの名付けた「鉄のカーテン」は
極東にも張り巡らされ、
中国&北朝鮮 VS 大韓民国、日本、米国の防衛線が
せめぎあうことになった。
⑤旧日米安全保障条約締結
1951年9月8日に締結された日米間の条約であり、
これにより連合軍(進駐軍)による占領から、
米国軍の駐留に位置づけが変わることになる。
このことが、
戦後から今まで続く在日米軍の駐留の根拠の源泉となっている。
この条約は、不平等条約であり、
軍隊を持たない日本に対して一方的に米国が
日本の防衛の為に日本に軍隊を駐留させる という位置づけになっていた。
この条約の締結は、冷戦および朝鮮戦争の勃発と無関係ではない。
日本は資本主義圏の最前線で不沈空母の役割を担うことになった。
⑥60年安保:新日米安全保障条約締結
1951年に締結された旧安保条約の改訂版として
1960年1月19日に新安保条約が締結され、現在まで継続されている。同時に日米地位協定が締結されている。
この条約は、旧条約よりも平等条約に近い性格になっている。
日本及び在日米軍の何れかに脅威が及んだ際は
両国が連携してその脅威に対処するというものである。
また日米地位協定は、日本国内の米軍基地を
米国の飛び地として日本の国内法が及ばない地域 として規定している。
ある意味 日本は、米国の第51番目の州である。
といっても過言ではない。
⑦70年安保
新安保条約の有効期限は10年となっており、
その後1年ごとの自動延長とされていたことから
1970年に自動延長の是非を巡って70年安保闘争が起こった。
60年安保も70年安保闘争も反政府運動の色彩が強く、
安全保障条約の内容や意義、是非に関しては
ほとんど問題にされていなかったように思う。
⑧ベトナム戦争とドミノ理論
1960年から1975年までベトナム戦争が行われていた。
ケネディ大統領は、ベトナムから早期に撤退する意向であったが、
暗殺され、
1965年の米軍の北爆以降米国は
泥沼のベトナム戦争にのめり込んで行った。
(ケネディ暗殺の原因はこのベトナムからの撤退にあったという説があるが、これは重要な視点なのでまた別な機会に論じてみたい。)
「ドミノ理論」
一国が共産化すれば、隣国がドミノ倒しのように次々に共産化していく為、境界国の共産化を何としても押しとどめなければならない。
という理論で、ベトナム戦争の大義名分として使われた。
⑨米国の世界戦略と不沈空母日本
朝鮮戦争にしてもベトナム戦争にしても日本は不沈空母としての役割を
いかんなく発揮している。
実際の話、日本は戦争を後方で支援している国だったのだ。
この事は、のちの湾岸戦争やイラク戦争でも何ら変わることがない。
そんな国が「平和憲法」、「世界平和」、「平和国家」、etc.
などと言ってみてもチャンチャラおかしい。詭弁以外の何物でもない。
そのことに日本人自身が気づいていないことが悲しい。
⑩日本人のイデオロギー
戦前の天皇の命に従い大東亜共栄圏を樹立するというイデオロギーを
敗戦で全面否定され、
左翼的(共産的)に傾きかけた心を
レッドパージや対共産主義戦争で揺り戻された日本人。
反体制、反戦運動の盛り上がりも
結局、何も変えられず、何もなしえなかった敗北感だけが残った。
その間、米国の傘の中にいるということの自覚のないまま、
国民全体がいわゆる「ノンポリ(ノンポリティクス)」化
してきたのが、戦後の日本の歴史だと思う。
しかしもうそろそろ、自らに目覚める時ではないか。
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2010年12月04日
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