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1) 飛んでいる矢は止まっているか
飛んでいる矢は止まっている、と言ったらおかしいと思いますか。ゼノンのパラドックスと言う矛盾のある話の中に、「飛んでいる矢は止まっている」と言うのがあります。「飛んでいる矢の時間を無限に小さく切り刻んで、時間を瞬間の繋がりと考えると、各瞬間瞬間に矢は「そこにある」ことの連続であると考えることができ、飛んでいる矢は、各瞬間に止まっていると考えることができると言うものです。
飛んでいる矢は、速度をもって飛んでいます。速度は、例えば秒速1mとか、毎時50Kmとか、言う風に距離を時間で割ります。
一定の速度をもって動くものを、横軸に時間、縦軸に距離で示すと下図のように、直線で表すことができて、速いものほど、この図では勾配がきつくなります。この図のなかで、「止まっている」とは、時間軸(横方向)に対して距離(縦方向)が変化しないことを意味しますので、水平の線で表現することができます。
一方、速度が変化する場合は、上の図で示すような直線ではなく、曲線で表されます。例えば、弓道の矢を考えますと、はじめ矢をつがえ構えているときは「静止」していますが、放たれた瞬間から速度が急速に増しています。
矢が放たれる瞬間からの時間を横方向に、放たれる前の矢の先端の位置を距離の原点として、矢の先端の移動距離をrとして縦座標に取ると、放たれた瞬間は速度0で、次の瞬間から力を受けて加速度を得ます。次第に速度が増して、弦から離れると空気の抵抗を無視できるとすると、一定速度になって飛んでいきます。
ほんの一瞬の出来事で、弦に押されている間の加速している時間の話ですが、距離(位置)と時間の空間では、曲線で示されることになります。この間の速度は、移動した距離を時間で割って求めることができますが、刻々と変わっていく速度は、図る時間(Δt)を0に近づけることによって、その瞬間の速度を求めることができます。
有限の時間の平均的な速度は、測る前の時刻とあとの時刻の矢の位置を結んで、その傾きを取ることによって求めることができます。この時間を無限小に近づけると、その傾きを表す直線は曲線の接線になります。
このことを、数学では、
矢が放たれてしばらくの実際の矢が飛んでいく状態は距離-時間座標では、曲線で示されますが、速度は直線で示されます。曲線と直線は1点で交差しますので、時刻t1における矢の速度は、この瞬間の を求めることによって接線が求められます。すなわち
v(t1)=(
となります。
一般に、従属変数yを独立変数xで微分する場合、dy/dxは、微分の分母(dx)を無限に0に近づけることによって、その分母になっている関数xの任意の1点で決定できると考えられています。
今考えている例に戻りますと、位置情報rが時間tの既知の関数である場合は、そのtでの微分値が分かっていますので、どの瞬間の微分値も分かり問題はありません。が一般的には、rがtの既知の関数として与えられず、その時刻t1にr1にあると言う位置情報だけで、速度は決まりません。
一般的には、無限に時間間隔を0に近づけても、2つ以上の時間における位置情報があれば、問題なくその微小な時間の「平均」速度を決めることができます。しかし、無限に近づけすぎて、時間の間隔が無くなってしまっては、速度は決まりません。「Δtを無限に0に近づける」のと「Δt=0」とは違います。
無限に微小な時間間隔を取るとは、時間軸上の2個以上の情報が得られますが、「Δt=0」、すなわち、時間軸上の1点で1個の位置情報しか得られない場合には、速度=距離/時間=距離/0となって、数学的には不定となり、値は決定できません。
v(t1)=(
の考え方には注意が必要です。
「飛んでいる矢が止まっている」と考えるこの考え方はどこに問題があるのでしょうか。「飛んでいる」を判定するために必要なのは速度であり、「その時刻にそこにある」だけでは、「とまっている」とは判断できません。
ある瞬間の、すなわち時間軸上の1個に対応する位置情報だけで「飛んでいる、止まっている」の判断はできません。時間軸を時間の「つぶ」の連続と考えると、2個以上の時間の「つぶ」に対応する位置の情報が無ければ「速度」は決めることができません。
先の例に戻りますと、r(t1)だけでなくr(t1+Δt)との2つの情報が無ければ速度は得られません。Δtはいくら小さくしても良いのですが、無限に小さくしたからと言って、r(t1)だけで速度は得られると考えることはできません。
もしも、任意の物体の速度が、Δtを無限小に近づけることによって、ある瞬間に決まっていると考えとすると、ゼノンのパラドックスの矛盾と同じ間違った考え方に陥っていることになります。
2) ヘルムホルツの分解定理とゼノンのパラドックス
ヘルムホルツの分解定理と言われている「定理」にも、ゼノンのパラドックスと同じような間違いが含まれています。すなわち「微分する変数を無限に微小にする」を「微分の微小変化量を0にしてしまう」間違いを犯しています。
私のホームページ「ヘルムホルツの分解定理は間違っている」を見て頂いたある先生から下のようなコメントを頂きました。
まず、この先生は初めに大きな勘違いをされています。「渦度または発散のどちらかがゼロである場合には」と言っておきながら、「渦も発散もゼロでない場合の話」にいつの間にかすり替えています。
次に問題なのは、境界の法線成分と接線成分だけでスカラー関数やベクトル関数が既知となると考えることです。この考え方は、多くの流体学者が間違っているのですが、ガウスの積分定理を都合の良いように誤解して使っています。ガウスの積分定理は、
「ある点を取り巻く境界内の発散の体積積分は、その境界から出ていくベクトルの総量に等しい」と言うだけで、境界の部分的な特性を述べているものではありません。
境界の法線成分、接線成分が分かっても、決してスカラー関数やベクトル関数が求められることはありません。ポテンシャル関数が求められるためには、境界の近傍のデータが絶対的に必要です。
あるベクトル場Fにおいて、3次元で言えば境界面、2次元なら境界線上の値は、発散(∇・F)や回転(∇×F)の計算について、少なくとも1次元分のデータが不足しているため、その点における発散、回転は求めることができません。
2次元の場合について、図で説明します。
境界上の点pにおけるスカラーポテンシャルを知るためには、図の中の式で示す通り、その点pの近傍、すなわち少なくとも境界内部についてもそのデータが無ければ絶対に発散の分布が分からず、境界線上の値だけではスカラーポテンシャルの値が分かるはずはありません。
これが分かると考えるのは、δn(法線方向の微分)が無限に小さくなることを、完全に0にしてしまって、微分値が不定になっていることに気づいていない間違いです。
もしも境界における法線成分が発散成分ともしも考えているなら、ガウスの積分定理をひどく間違って理解しているとしか言いようがありません。
もしも、法線成分が発散成分と考えるなら任意に考えた境界がスカラーポテンシャルの等値線になっていると言うことになります。こんなひどい間違いをしているとは考えられませんが、中にはこんな考えをしている人がいるかもしれません。
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私立大学の物理学科一年生です。
一読して思った事を述べさせていただきます。
前半部で微分の素朴な例を引き合いに出しておられますが、論点は「ゼロ除算となる極限の一点では商を定義することができず、微分は数学的に意味のある操作とは言えない」という認識で問題ないでしょうか?
これについては超準解析、またはepsilon- delta論法で解決されると認識しています。ここでは比較的手間のかからない後者を説明します。
ざっくりと述べれば「RT平面上の関数r=f(t)のグラフに対し、ある二点間の平均変化率Δr/Δtを考える。この値は二点が同じではないときにのみ意味を持つのだが、ここで二点を少しずつ近づけることを考える。もしも二点の接近に伴い、(delta)r/(delta)tの値が “ある数値” にどこまでも近づいていくならば、その数値を「一点に重なった瞬間における(delta)r/(delta)tというものがもしあればこの数値になる」というものだと形式的に解釈し、それとの差を「接近に伴いゼロに収束していく誤差」だとみなしてしまう」といった考え方、それがepsilon - delta論法
2018/1/30(火) 午前 2:16 [ Sss ]
(続き)
つまり「一点に重なったときのΔr/Δt」という本来定義・計算不可能な値を考えるために、ギリギリ重ならないところを維持しつつ二点を近づけてゆくのです。そしてΔr/Δtが接近によって「ある値」+「誤差」の形をなしているのなら、その「ある値」を(あくまでも形式的に)「lim[t→0] Δr/Δt=dr/dt」と書いて導入しようと言っているのです。接線を求める過程で二点を重ねたわけではありません。重なった瞬間という理想像を紙一重の隔たりでのぞき見る、推察するというイメージです。
ベクトル解析の方はまたいずれ。
2018/1/30(火) 午前 2:20 [ Sss ]
> Sssさん、コメント頂きありがとうございます。レスポンスが大変遅くなって申し訳ありませんでした。
「重ならないところを維持しつつ近づけていく」と結局は、いくら無限に近づけても、一点にはならないと思います。
その解析の方法に納得されないことを祈ります。
2018/10/24(水) 午前 10:13 [ tak*1*4406*6 ]