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流体がその瞬間にその空間を埋めていることは実際何の問題もない事実である。しかし、その流体がどのような流れの場になっているかを示す「流速場」は一般的には存在しない。
こう言うと、今の科学者は、「何を馬鹿なことをいうか」と言われそうだが、速度とは距離の時間微分であって、時間微分を示す物理量を「時間の要素を含まない」瞬間の場に表現することはできない。
 
流速場がいつでも存在していると考えることは、ゼノンのパラドックスの一つ「飛んでいる矢は止まっている」と考えることに等しい。
いきなり、こう言っても現代の科学レベルの人には、分からないと思う。

飛んでいる矢を1次元で考え、時間との「2次元空間」で考えてみよう。横軸に時間、縦軸に距離を取ると、原点からどれだけ離れた位置に矢があるかが縦方向の座標で示される。
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物体の動きを距離・時間空間で表現するとき、その物体の速度は、ある瞬間と別の瞬間の位置の差をその時間さで割ると得られる。この二つの時間差をどんどん小さくしてΔtを無限に小さくすると、その瞬間の「速度」が得られると現代の科学者は考えている。


上の図で言えば、物体の速度は2点を結ぶ直線の傾きで示すことができ、速度を求める時間差を0に近づけると、その傾きは物体の軌跡曲線との接線になり、接線と言う「直線」は曲線と1点で交わるので、その接線が物体の「その瞬間の速度」を与えると言うのである。


一体、時間的な点、すなわち瞬間に速度が決められるものだろうか。上の図で瞬間に得られるものは、「物体の位置」だけである。物体の運動が時間の関数で与えられている場合には、その時間微分値もあらかじめ分かっているので、確かにその瞬間の速度が決められる。

しかし、現実の流体の流れの場?は、例えば気象で扱う大気の動きや川の水の流れなど、一般に決められた数式で表すことはできない。科学者は、ナビアストークスの式で表すことができると言うかもしれないが、彼らは自分の意見を通すためには、自分で分かっていても、その場逃れのウソを平気で言うものである。ナビアストークスの式とは、交通法規みたいなもので、道を走るときのルールを示したようなもので、個々の車の動きを示しているわけではない。今の問題では、通りを走っている車のすべてについて具体的に時間を追ってどこにあるかが分かっていなければならない。


なお、今の学者は、言うだろう。それもナビアストークスを解けば分かっているのだと。しかし、この式は、非線形方程式で完全には解けない。

私は学生の頃、この式をひねくり回して、渦度方程式や発散方程式を導き出す先生の講義を聞いて、必死で勉強した。なんの疑問もなく、納得しながら学んだが、実はナビアストークスの式とは非線形方程式と言って、それらの示す式は足し算や引き算を勝手にやることができない方程式群になっている。これを勝手に都合の良いように微分して足したり、引いたりして、渦度方程式や、発散方程式を導き出して、悦に入っているのが現代の流体力学先生たちである。


気象庁の数値予報の歴史にもそのことが表れている。昔の話だが、渦度方程式や発散方程式で数値予報をやりかけたが、うまくいかないので、昭和48年に「プリミティブモデル」に移行した。この時、うまくいかなかったのは、差分方程式の技術の問題だと考えていた。これは渦度方程式や発散方程式自体の本質的な間違いがあらわになったのが事実であったのだが、そのことが分かっている人間はいまだに誰もいないのである。


話が横道にはいったが、一般的には時間軸の1点である瞬間に分かるのは、そのもののある「位置」だけであり、「そこにある」ことしかわからない。あくまでもその瞬間の速度を知りたければ、時間軸上の「最小の粒」の二つの位置が必要である。

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流れの場、一般に「速度の場」とは、ある瞬間のものの「位置分布状態」と隣り合わせの「時間の粒」の「位置分布状態」の差の分布を示すもので、実際に我々が「流れの場」と認識しているのは、その差を二つの「時間の粒」のうちのどちらかに代表して与えているだけであって、「正確にある瞬間」の速度場と言うものはない。
 現実の世界は、3次元的に「ものがそこにある」のパラパラ漫画であり、瞬間瞬間に速度を考える今の流体力学(速度場や、発散・回転の場を考えている)は根本的に間違っていると思う。ゼノンと言う人は、紀元前400年以前にそのことを警告している。
私は、これまで少し間違った考え方をしていました。学者が発散や回転を求める微分演算子∇を用いた数量を1点で求められると考えていることに疑問を持ち、微分の分母が0になっても得られると考えていることは間違っていて、それが「飛んでいる矢は止まっている」のと同じ間違いだと言ってきました。
 
 「飛んでいる矢は止まっている」のが正しい、と思います。これは、パラドックスではなく、その他のゼノンのパラドックスとは、別に考える必要があると思います。他の「カメはアキレスに追いつけない」などは、単純な考え方の間違いでその間違いは簡単に指摘できますが、「飛んでいる矢は止まっている」はある定義のもとに真実です。

 その定義とは、「時間は瞬間のつながりで構成されていると考える」です。この定義がおかしいのかもしれないのですが、もしも、時間が瞬間のつながりであれば、「飛んでいる矢は止まっている」のです。

 時間が瞬間のつながりであれば、世の中の現象がすべて、gifアニメで成り立っていると考えることができ、世の中の動き(速度)は、連続してぱらぱらめくっていくと見えてくるもので、実際は「静止画」をぱらぱらめくっているだけです。

 そう考えると、各瞬間に矢は「そこにあるだけ」で止まっています。

 速度とは、2枚以上の静止画の中でみられる矢の距離を、ぱらぱらの時間差で割った値として与えられます。静止画の1枚の中で速度は決して得られません。

 流体力学の先生方が、空間の微分値を1点で求めるというのは、静止画の1枚の絵だけで速度が得られると考えているの等しいのです。

 




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