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【イブ前日】 バスで眠ったか、眠らないうちに国境近くまで来た。バスは朝5時に止まり、外からラオスのキープからベトナムのドンへ両替をするオバサンが乗ってきた。一瞬、両替しないほうが良いかと思ったが、朝飯を食べる時に困るかと思い直しレートがわからないまま両替した。 その後バスに乗り込んできたオジサンがパスポートを取りに来た。乗客がパスポートを渡しているのでワシも渡し、バスから降りて入国カードを渡されて書いた。○○○キープというので、ドンに替えたばかりだから『ドンは?』と聞くと『だめだ』と言われ『ドルは?』と聞き返すと『3ドル』…。3ドルあったかな?と思い、腰に巻いた貴重品入れを探すと、ちょうど1ドル札3枚あったので支払った。 バスが止まった村は、夜明け前で周りが暗いからここが何処なのか、ラオスには違いないが…。周りに地名が書いてあるものがない。と言っても、ワシだけが分かっていないのかも知れない可能性が大だが…。 この旅行の前に、インターネットで読んだブログにラオスのビエンチャンからベトナムのフエ行きの夜行バスでパスポートを渡し2時間くらい掛かったとあった。 今、朝の5時40分だから国境の入出国の役人が起きている訳もないから、事務所が開くまで待つしかないのだ。 ベトナムへの入国を済ませ、バスの国境通過を待っているとバスの乗客は朝飯を食べようと勝手に食堂に移動し始めた。ワシは状況が分からず、バスが国境でチェックを受けているのを見ていると、バスで隣に寝ていた西洋人の男性が、『みんな食事行っているのであっちへ行ってみないか?』と言われ、同じ西洋人の若いカップルと4人で国境から少し放れた食堂近くまで移動した。 何処の食堂に入ろうか、バスはまだ来ないのか、など考えているとビエンチャンで買ったヨーグルトが悪かったのか、お腹の調子が悪くなりトイレを探すが分からず、バスが来たので運転手に『トイレは何処だ?』と聞くと『そこでやれ!』と言うので、腰を屈め両手を挙げリキんで見せたら、笑いながら『国境まで戻ればトイレはある』と。ワシは『戻ってくるまで待っていろよ』と念を2〜3回押し、走って国境事務所まで行った。本当に危機一髪というところだった。バスの運転手は待っていてくれた。 バスは12時30分ころ、フエのバス停留所へ着いた。バスターミナルだと思っていたが、停留所だった。そこには数台のバイクタクシーが待っていて、バスの中、隣で寝た白人と一緒にゲストハウス(以下“GH”)まで行こうと言うので、地球の歩き方(以下“本”)を読んで決めていた『ビンズオン』を指定すると『OK』と言うので幾らかと聞くと『5ドル』少々高いと思ったが支払ってバイクに乗った。 しかし、行ったGHはビンズオンではなく、違うGHだったので『違うのでビンズオンへ連れて行け。チャンティエン橋のところだ!』というと急に分からない、と言い出した。そうしているうちにGHから人が出てきてバイクタクシーに向けて『何処かへ行け』と言って、『ここは良い所だ。ここに泊まれ』と言った。西洋人は値段交渉をして4ドル(安い!)で泊まったが、ワシはフエに興味がないのと、雨が降っていたので次の目的地ニャチャンへ向かうことにした。バス時間を聞くと15分後だと言うので、今からでも間に合うのか?と聞くと間に合うと言うので、そのチケットを手配してもらった。32ドルと高かったが仕方ない。バスに乗る直前、チケットを渡されたがバス代25ドル、手配料7ドルとなっており、泊まるより手数料のほうが高かったのでガッカリだった…。 GHでピックアップしてくれると言うので、表で待っていると日本人の若者がいたのでバスが来るまで話をした。彼は黒沢 豪くんといって、今回がはじめてのバックパッカーだそうで、中国から回ってきていて元旦にアンコールワット遺跡から初日の出を見たいとのことだった。 その黒沢くんと一緒のバスに乗り話をしていると、となりの女の子が日本人と分かり、久しぶりに3人で日本語を思う存分に話した。その女性は武子友美さんといって、9月に大学を卒業して、就職がすでに決まっているので3月までバックパカーの旅行をするタフな女性だ。日本を出てモンゴルから中国、ベトナムと入っており、カンボジアへ行く途中だそうだ。一応、このバスでホーチミンまで行くという。日本の若者も捨てたもんじゃないね。明日の日本は明るいのだ!! バスの出発は13時でニャチャンに着くのは明日の朝らしい。ところで窓から見える水田を見て、広島県北の大朝町の谷本さんへ出した年賀状の内容を思い出した。『TPPに日本は参加しても勝てる』と。暖かい国では年に3回か4回はお米が採れる。しかも労力も安い。しかし、買って食べるのは日本人だ。日本で取れるお米の値段が法外な相場だと消費者は離れていくが、実際にコツコツやっている農家の人達を日本人は見捨てない。そのコツコツ振りや毎日の作業振りを、またどうして大朝町のお米が美味しいのかを、分かりやすくインターネットのホームページを使って知らせていく(訴えていく)。毎日のホームページの更新が大変だが、それをやりきらないと今からは生きていけない。この話を大朝の人達に語っても、大朝の人達は消極的だからなぁ〜。 フエを出発してニャチャンまで黒沢くんと武子さんと三人で行けると思っていたが、バスは途中4時間後にホイアンに着き、ニャチャンに行くバスとホーチミンへ行くバスとで分かれた。その時、彼らと一緒にホーチミンへ行けないかとバスの関係者に話をしたが、無理だった。しかし。無理でよかった。一人旅のバス旅行なので甘えは許されないのだ。 バスの乗換えで次に乗るバスの関係者がバスチケットを見せろ、と言うので最初フエでバスに乗ったときに取られたと身振り手振りで説明して、ワシの名前を確認してもらいOKとなったが、日本の若い男女青年の英語で説明してくれたおかげがあった。 黒沢くんと武子さんの乗ったバスが先に出発して、薄暗くなったバスターミナルのベンチでワシはバスを待っていると、女性のバス関係者が何やら言ってくるので、何を言っているのか聞いてみると、ジッパーの付いたポシェットを見せてくれと言う感じのことを言っているが、意味がわからず隣の中国人の女性も巻き込んだが、意味不明…最後にはワシのリュックを開けても良いか?と聞かれたので『どうぞ』と見せてやったら小物入れを見て安心したらしいが、最後まで女性の言っている事が分からなかった。 ニャチャンのバスターミナルがどの位置にあるのかをバスのスタッフに聞いていると、隣のロシア人がワシの持っている本を出し、地図で説明してくれた。しばし、日本語とロシア語でコミュニケーション・・・。 女性は子供が2人おり、25歳と22歳と言った。ワシは30歳の息子と28歳の娘がいると言った。記念写真をロシアと日本の友好にと撮ったら『写真をメールで送ってくれ』とアドレスを書いて渡してくれた。ロシア語は初めて生でコミュニケーションをとったが、何を言っているのか分かり辛い。
朝、6時にニャチャンのバスターミナルに着いた。バスから降りるとロシア人女性が待っており、一緒にダウンタウンまで行こうと言った。周囲の人に地図を見せて位置を確認して、歩いて行こうと言ったので、まだ朝も早いし付き合うことにした。道を尋ねながら歩くこと1時間30分で目的地周辺へ着く。 ツアー会社が見えたのでそこでホーチミンへ行くバスの時間を聞くと8時出発らしい。あと15分だ。 フエでもあと15分でバスは出発、ニャチャンでも出発は15分後。このニャチャンも天気がよければ5キロも続いている浜辺でビールを片手にゆっくりしたいと思っていたが、あいにくフエと同様に雨が降っていたのでホーチミンへ移動することにした。ロシア人の女性にバスでホーチミンへ移動することを告げ、その女性のGHを探そうと近辺を歩いてみるが、やはり朝早いためGHは入れずツアー会社に戻りバスを待った。 バスのピックアップがあり、ロシア人女性と別れバスに乗った。ホーチミンまでの所要時間は9時間と言うことだ。 ビエンチャンからフエまで21時間、フエからホイアンまで4時間、ホイアンからニャチャンまで12時間、そして今から9時間の旅だ。目的地に着くと、すぐにまた次の目的地へと休憩・宿泊なしのバス連続移動が合計46時間だ。体力的に限界に近かったけど、今日ホーチミンへ着いているとカンボジアへの移動が日程的に楽になる気がした。あと残っている旅の日程と計画履行が容易なのだ。30日の8時にはタイを離れ日本へ帰る飛行機の中なのだ。遅くても29日にはバンコクに着いていたい。 ふと考えてみると、ビエンチャンのGHで休憩したときにシャワーを浴びたままで37時間シャワーを浴びていない。今日ホーチミンへ着いたら真っ先にシャワーを浴びて着替えをしたい。 フエからニャチャンまでの移動距離 約661km |
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凄いですね。息子がバックパッカーになるべく準備中です。
2012/12/9(日) 午前 11:17
そうですか、私の場合後輩がアンコールワットの日の出と夕日を見てください、戸言ったのがそもそもの始まりでした。
毎回行くたびに来なきゃ良かったと思うのですが、しばらくすると格安航空券を検索しています。
息子さんには、充分情報を入れて楽しい旅をしてくださいとお伝えください。
情報は日本からでも現地でも入りますので、ネットの環境は必要ですが。かく言う私はネット環境を持っていかず、苦労していますが。
2012/12/20(木) 午後 10:01