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お好み焼き『池田屋』

今日はいつも行きつけのお好み焼きや『池田屋』の作り方を紹介しましょう。

まずはメリケン粉を鉄板に丸く薄く敷きます。
池田屋の場合はメリケン粉は適当なのです。
何故適当かと言えば、この池田屋のオヤジはメリケン粉は嫌いなのです。出来れば美味しくないのでお好みには使いたくないそうです。本当に参考にならないかと思いますが、一般的にはお好みの大きさで丸く伸ばします。美味しくない店に限ってメリケン粉が分厚くフニャフニャなのです(参考までに)
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そのメリケン粉の上に魚の粉を少々振り、きざんだキャベツを載せその上に天かすを載せます。これは隠し味となるので少々多くても構いません。
ブタの三枚肉を適当に切り、池田屋の場合1枚のスライスを3つに切り分けます。
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ブタの3枚肉をキャベツの上に載せると、裏返します。
そして、メリケン粉の蓋を外します。どうでも良いことのようですが、池田屋のオヤジはメリケン粉が嫌いなのでキャベツと外すことで柔らかいメリケン粉ではなく、パリパリ間のあるものにするようです。
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この時若干水気を入れてキャベツに蓋をして蒸します。蒸すことでキャベツの甘みを引きたてさせます。
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ソバ入りは池田屋の場合、生麺を使います、ちょっと硬めに茹でられた麺を鉄板に下ろします。
ソバをお好み焼きの大きさにまんべんなく広げます。
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イカ天はトッピングですが、これを加えることで甘みが増します。
広島のお好み焼きの定番です。
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キャベツを蒸す蓋を開け、ソバの上にイカ天を置き最後にキャベツをソバの上に置き裏返す。
そしてお好みソース、青のりを振り、胡椒を振りかけ出来上がり



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どうです、美味しそうでしょう!!!




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私の場合七味唐辛子を沢山降り掛け頂きます。



そうそう、ビールは必ず呑みますね。
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今日は体調が悪く、瓶ビールです…
普段はジョッキの凍った生ビールなのですが…
金曜日に飲み過ぎてしまい、体調がすぐれないのです…






私が2008年にタイのバンコクからカンボジアの国境を通りアンコールワット遺跡のあるシェムリアップに行った初のバックパッカーの旅行へ出て、今年の2011年7月にネパールへ2回目のバックパッカーの旅に出たのですが、私の居ない所、居る所で「何をしに行くのか?」と言うことで盛り上がります。


何が話題になるかと言うと、日本人の男性の多くは買春だと言うことを言われます。


私の父は第二次世界大戦を経験し、中国で日本兵として中国の方と戦争をした経験があります。
しかし、残念なことに日本人はアジア諸国の方々にひどいことをしていながら、また戦争に負けたのにアジア諸国の方々をバカにした差別用語を使いや態度を取る人が居ます。


私はそんな父の態度が許せず『戦争で負けたのに何故バカにするのか。』と父に言うと『戦争に行ってないくせに何を言うんなら』と怒鳴られました。


確かに私は戦争に行っていません。また戦争と言う時代を経験していません。
父の怒ることは多少わかります。
さっきまで話をしていた友人(戦友)が目の前で殺される…負傷する…たまりません。


しかし、アジアの国々の方に対し日本はどれほどひどいことをしてきたかを考えると、陳謝することはあっても、傲慢になってはいけないと思います。


そう言った考えが私の少年期からあります。今でも変わっていません。


知人や友達を作るのがバックパッカーの旅行だと思っています。
知らない土地で、知らない習慣で、知らない言葉で悪戦苦闘だと思いますが、庶民の大使として行ったつもりですし、また行くつもりです。


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昨日よりバックパッカーの師匠である“池田屋のオヤジ”と打ち合わせを色々下結果、バンコクへ行ってそれから行けるだけ…回れるだけ行くツアーと言うことのテーマは決まりました。
JTB系の『トルノス』やHIS、IACEトラベルなどネットで検索した結果、あまりお金が変わらなかったので『トルノス』にしました。
トルノスは若干高いような気がしますが、飛行機のトランジットや飛行機の座席指定までできるので助かります。
特にネットで検索しても飛行機の便は表示されるからトランジットの時間まではっきりとわかるのです。また座席も表示されそこから選べるので、長時間の飛行時間も苦にならないような座席を予約できるのです。



今回はタイのバンコクからバスでチェンマイに移動し、それからメコン川でラオス国境を感じながら船で川下りをしてラオスの首都ビエンチャンへ行く予定です。


それからバンコクに戻り、カンボジアのシェムリアップへ行きタケオゲストハウスに行き「挨拶」をしできればカンボジアの首都プノンペンへ行き、また欲を出してベトナムのホーチミンへ行くつもりですが、どうも日程を考えると難しそうです。


何はともあれ、年末に行く国…都市が決まり安心しました。
地球の歩き方を色々見て調べ、より可能な予定を考えていこうと思っています。


青年よ!世界へ羽ばたけ!!
私のようなオッサンでも羽ばたいているのだ!!

今日は仕事のPRをさせてください。



広島経済大学

社会人教育プログラム

『キャリアアップ・プログラム』

広島の社会人のための自己啓発、キャリアアップのための講座です。

一度ホームページをご覧ください。

キャリアアップ・プログラム通信のエッセーのコーナーの寄稿を募集しています!!



http://www.hue.ac.jp/lecture/careerup/index.html

キャリアアップ・プログラム(CP)と言う社会人向けの自己啓発、キャリアアップのための講座の手伝いをしていますが、毎月2回CP通信というメルマガを配信しています。
そのメルマガに「読者からのエッセー」と言うコーナーがあります。
先日依頼していたエッセーのドタキャンがありました。今回は前日にこちらから連絡すると返信で断ってこられました。
一日前だったらまだ良い方です。
当日になって何られんらくもない人がおられます。その時は一応、私も読者の一人(?)としてエッセーを書きます。
しかし、最近では『これはヤラセのような感じ…』と心痛めています。『これでいいのだ!』とバカボンのパパではなく、『これじゃイケンじゃろ!!』と言う感じですが、CP通信に穴をあけるわけにはいきません。
エッセーの投稿者の名前を原稿の内容に合わせ毎回変えています。
9月1日のCP通信のエッセーは下記の内容です。




                『子供たちよ!大いに外で遊べ!!』

                                               元安川の河童


 今では信じられないだろうが、私の子供時代は広島の川で泳いでいた。
 私の小学校時代のTerritory(勢力圏)は中島町と水主町(現在は加古町)だったので、平和大橋の南西下の遠浅の川辺で泳いでいた。(下の写真の左側の牡蠣船のところで泳いでいた。橋は平和大橋)


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 川には海水浴場並みの飛び込み台(今思うと監視の台?)があり、更衣室もあった。
 平和大橋西南には三角の公園(空き地)があり、夏には更衣室が建つ。その更衣室に入ると、道場の一門の名札が壁に並んでいるように、泳ぎに行くと、自分で作った名札をそこへ吊り下げる。名札と言っても、食べ終わったかまぼこ板の上部にキリで穴をあけ、その下に自分の名前を書いたものだ。それを壁に釘が打ってあり、そこに吊り下げることにより、本日泳ぎに来ましたと言うことになる。また、帰るときにはその名札を持って帰ることになっている。もちろん名札を忘れてきた子供は泳げない。
 その名札が何故必要かと言うと、川へ泳ぎに来た子供がちゃんと川から丘へ上がり、家に帰ったかどうかを確かめるためだ。しかし、子供たちが帰った後、名札が1枚残っていたんじゃ、その時にはすでに手遅れと言うことになるのだが…。

 川で泳ぐにはルールがあり、名札を持ってくることと、もう一つ条件があった。水着や海水パンツには必ず、腰にベルトのような物か、タスキのようなものを腰に結んで泳がねばならない。これは万一溺れた場合、それを掴んで救助するようになっていた。当時のハイカラな水着にはベルトが最初から付いていた。

 こんな海水浴場ならぬ、川水浴場で小学校の3年まで遊んだが、4年生頃になると、市内の各小学校にはプールができ始めた。私の通った中島小学校にも5年生の夏、プールができた。これには飛び上るほどうれしかった。体育の授業で水泳がありプールで泳ぐことができるからだ。

 しかし小学校にプールができたきっかけは、川では大腸菌が多くなり泳ぐことができなくなったためだと聞いた。そうかと言って、川は泳げなくなっても貝堀や川岩をひっくり返して生物の研究(?)、ゴカイを掘って魚釣、小さな魚やエビを獲る…と子供が遊ぶには事欠かない。しかし、最近では子供が市内の川辺で遊んでいる光景を見かけることがない。

 子供たちは近所の仲間と遊ぶ中で、集団のルールを近所の兄貴分から学び、また弟分へ伝え、縦横の人間関係を自然と学び、我が身に起こる危険の回避なども身体で覚えるのだ。
 今の子供たちは、大人の経験と判断でよい遊び、悪い遊び、安全な遊び、危険な遊びと区別され、我々大人たちが子供の頃、経験した遊びを取り上げられている。大人たちから、これは『甘い』『辛い』と言われても、それを喰ったことが無い子供には『甘い』『辛い』は分からない。

 喧嘩にも誰が作ったわけではないがルールがあり、1対1の勝負だった。一人に対し集団でかかっていくということは、誰が言いだしたわけでもないが恥だったし、やらない。やる方もやられる方も泣いたら終わり。暗黙のルールがあり、それ以上すれば掟破りの卑怯者になる。

 子供は子供達の世界で判断させ、生きるすべを自分の手で見つけさせるべきではないだろうか。

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