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<敗戦73年・・・日本は負けて、アメリカの植民地に・・・>
日本の降伏(にっぽんのこうふく、にほんのこうふく)では、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の日本による「ポツダム宣言」の受諾を経た、日本による降伏文書の署名に至る日本、および日本の各占領地における経過を説明する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の降伏#ポツダム宣言受諾までの経緯
1944年(昭和19年)7月に東條内閣が倒れて以後、戦争終結への動きが具体化し始める。この時点でアメリカ軍の反攻による本土への空襲も時間の問題となっていた。1945年(昭和20年)2月には、近衛文麿元総理大臣を中心としたグループは、戦争の長期化がソビエト連邦軍による占領(“日本の赤化”)を招くと主張して、戦争の終結を主張する「近衛上奏文」を昭和天皇に進言した。しかし、昭和天皇はこれを却下し、後には工作を察知した憲兵隊により、吉田茂(後の首相)・岩淵辰雄・殖田俊吉らいわゆる「ヨハンセングループ」が逮捕されている。そして軍部は「国体護持」を主張して戦争を継続した。
1945年8月15日、ポツダム宣言受諾を国民に知らせて鈴木貫太郎内閣は総辞職し、後継首相には、降伏・占領に対する軍の抵抗を懸念して、皇族の東久邇宮稔彦王(当時)が指名された[11]。8月30日、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が、マニラから沖縄経由で神奈川県厚木市の厚木海軍飛行場に到着した[11]。同じ日、アメリカ第11空挺団の輸送機150機が、4,200人の部隊を乗せて飛来し、日本占領が始まった。
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