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昭和5年(1930年) 新聞記事検索 "朝鮮人 密航"
『寒風にふるえて鮮人の密航団/叉もブローカーに騙される/発動船で玄海横断(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/1/7 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】
『内地渡航を望む鮮人を食物にする不正船員/叉も密航団十二名下関に現る/怪発動船の行方を厳重捜索』 福岡日日 1930/1/8 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】
『密航卅八名逆戻り』 京城日報 1930/1/9 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航船の行方捜査』 京城日報 1930/1/10 〔4/2〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『卅二名の密航団送還』 京城日報 1930/1/11 〔4/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『二鮮人の密航』 門司新報 1930/1/12 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】
『西戸崎に密航鮮人/子供を混つて十数名』 九州日報 1930/2/13 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】
『密航鮮人団十三名を発見(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/2/13 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】
『密航鮮人八十八名を逮捕/遠賀郡岡垣村に上陸/炭坑方面に潜入(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1930/3/5 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】
『又も鮮人密航/けさ、西公園へ三名』 九州日報 1930/3/19 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】
『多数の密航鮮人/西公園付近から上陸し三十名は検挙さる』 福岡日日 1930/3/19 夕 〔1/4〕 福岡・福岡 【渡航】
『又も西戸崎鮮人密航(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】
『姪浜にも密航鮮人(早良郡姪浜町)』 福岡日日 1930/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】
『密航超特作/マストの先端に隠る』 京城日報 1930/5/2 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『命がけの密航/関釜連絡船の数十尺の/マストによぢ登り』 大阪朝日 1930/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『<慶尚南道>生血を吸ふ悪ブローカー/内地密航を種にして近く大々的検挙する』 京城日報 1930/5/3 〔4/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『二十八名を密航させて/手数料を取った/三名遂に捕る』 大阪朝日 1930/5/3 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『雑魚寝の密航鮮人/六名門司老松公園に』 九州日報 1930/5/4 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】
『鮮人九名密航/発動機船に便乗』 門司新報 1930/5/14 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】
『密航支那人送還(朝鮮の草梁海岸から門司に上陸)』 京城日報 1930/5/20 〔4/4〕 北九州市門司区・福岡 【渡航】
『密航朝鮮人を/船中で脅迫/所持金を全部巻上ぐ/海賊動揺の密航ブローカー』 大阪朝日 1930/5/21 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『潜航、密航斡旋の首犯原田捕はる/一味の蛭子丸船員も悉く検挙さる』 大阪毎日 1930/5/22 朝鮮 〔9/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航鮮人発見』 門司新報 1930/6/5 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】
『密航を企て/大時化に逢ふ』 大阪朝日 1930/6/17 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航鮮人泣く/飲まず食はずに』 福岡日日 1930/8/25 〔1/7〕 ・佐賀 【渡航】
『密航労働者を/脅迫の船長らに/それぞれ懲役を求刑』 大阪朝日 1930/10/16 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航の鮮人/七尾で保護さる』 北國 1930/11/19 夕 〔2〕 七尾市・石川 【渡航】
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多発した集団密航事件
密航事件については、前述したとおり、昭和21年には朝鮮半島からの不法入国者が後を絶たず、1万7、000人以上を検挙しました。また25年の朝鮮動乱とこれに続く韓国の不安定な国内情勢により、30年代前半までは、韓国からの密航事犯が多く、おおむね50年ころまで続いていたものの、韓国経済の復興、日韓国交の正常化等によって減少しました。
引用元:警察庁 警備警察50年
http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/sec02/sec02_08.htm
http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/index.htm
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生野区の密航者
(前略)
ですから、ムラ単位の結びつきは非常に強いのです。私たちも済州島の人たちと親しくしていますが、もともと韓国人というのは家族の関係・兄妹の関係はとても濃いのです。従兄弟ぐらいというのは、ほんとに親子兄妹ぐらいです。ところが、済州島の場合は、8親等ぐらいまでは、ほんとに親しい兄妹、身内なのです。そういった人たちが日本に住んでいる親類縁者を頼って、1960年ぐらいからどんどん来たわけです。そのような家族とかムラとか、いろんなつながりがあるわけです。ところが、ムラ単位の共同体社会はできるのですが、島全体の共同体はどうかということになりますと、非常に難しい。そこが済州島の難しさであり、実は、その難しさが、この生野に住んでいる在日朝鮮人社会の難しさであるわけです。あんまり言い過ぎますと、ちょっと齟齬があるかもしれません。録音テープも回っていることですし……。
(中略)
こうして産業が興ってきたときにどうしたかと言いますと、さっきの話ですが、済州島にいる人たちを、親戚関係・ムラ社会を通じて、どんどん招ぶわけです。「日本に来て働かんか。金儲けになるで。」というわけで、たくさんの人たちが日本にやって来ます。ただし、パスポートはありません。いわゆるドンドコ船と言いましたが、1週間、2週間、飲まず食わずで、漁船の底に潜んで日本に来るのです。日本に来て、親類の人の所へ着けば、それでもうなんとか匿われるわけですから、どんどん密航という形で、大阪へ、生野へやって来るわけです。もちろん当時の入管警察は、形の上で摘発はするのですが、適当で、ほっとくわけです。何故かというと、働き手が必要なのです。それが日本の経済発展にとって必要なものなんです。それでどんどん人が来ます。
引用元:生野の街と在日朝鮮人
http://kangaerukai.net/150kim.htm
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在日の大半が密航者とその子孫です。
そして、全員が自らの自由意思で日本の住んでいる希望者です。
傑作
ランクリ
2010/3/17(水) 午前 4:19
外国人参政権を言い出し、自ら墓穴を掘りましたね。民団は・・・
2010/3/18(木) 午後 1:35 [ 高田じゅんいち ]
上対馬、上県にあります田の浜港は西水道(朝鮮海峡)に面し韓国からの直線最短地点です。此の為2003年頃から韓国の密航船の渡来が後を絶たず現在もそれは続いています。田の浜漁港裏手は対馬ヤマネコの生息地で田の浜港は高齢者が多い9軒程の小さな漁港です。
密航の手口は韓国側からの漁船と日本側からの漁船が洋上で密航者を乗せかえる瀬渡し(瀬取り)と言われる方法を用いその後港で待つワゴン車などで対馬内部に走り去るそうです。
田の浜港には「ストップ ザ 密航! 」の垂れ幕がかかり漁村には「密航・密漁・密貿 見たら聞いたら110番」(対馬北警察署 対馬北地区沿岸協力会)の看板が立ちますが地元漁村の方の話ですと警察に通報しても警察が来るまでに密航者を乗せた車は走り去ってしまうそうです。
過去には田の浜付近に潜伏した韓国人を山狩りなどして逮捕したこともあるそうですが何せ海岸線が広く防備不可能と言う感じでした。
今回私が地元漁村の方に確認しましたところ密航船は今でも渡来するそうです。
2012/11/9(金) 午後 9:17 [ 底質汚染 ]