【ジョイフルトレイン】

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先月28日に米原へ遠征した最大の理由は、客車編成同様、全国各地にも減少しているキハ58系改造のジョイフルトレインを撮影する為でした。
当日は21年間の活躍にピリオドを打った”ふれあいパル”でも撮影しようと考えましたが、距離と費用の関係で断念、同じキロ59系列の”ほのぼのSUN-IN”が東海道線米原まで運転されるとあってこちらを優先しました。

”ほのぼの〜”編成は2両が基本なのですが、京都方に”ふれあいSUN-IN”のキロ59505が連結、3両編成での運転でした。”ほのぼの〜”兄貴分である”ふれあい〜”は今年5月の運用をもって引退、キロ59506とキロ29503の2両が廃車解体された為、残ったキロ59505が”ほのぼの〜”に編入した形で運転されています。
「SL北びわこ号」(9241レ)を撮影後、撮影ポイントの米原〜彦根間では既に多くの同業者が賑わっていました。列車は午後零時に米原に到着する設定でしたが、予定より少し遅れての通過でした。9914D撮影後、米原から向日町操へ向う回9943Dを狙いに同業者が動きました。しかし、”ほのぼの〜”が通過して数分後に下ってきたEF81牽引の3092レが通過すると「SL北びわこ号」の運転もあってかあれだけ居た同業者がその場から去って行きました。結局残ったのは私も含めたったの4人だけ、米原に到着して約1時間後に旧”ふれあい〜”キロ59505先頭の回9943Dがディーゼルエンジンを鳴り響かせ通過して行きました。

今回”ほのぼの〜”は初めての撮影でしたが、同編成は国鉄末期に登場した車両ではなく、れっきとしたJR世代の車両。登場から20年を迎え、これまで1980〜1990年代にかけて多くの編成が誕生したキハ58系改造のジョイトレも今や同編成と週末を中心に臨時快速として活躍する”kenji”と”こがね”の3編成に留まるのみとなってしまいました。
近年ではキハ40系列からの改造車が活躍する現状の中、残る2編成の記録を残すと共にキハ58系改造の和式気動車最後の編成となった”ほのぼの〜”をまた何処かで再会できたらいいなと思っています。

いずれも2007年10月28日撮影
【上】9914D 彦根〜米原間にて 【下】回9943D 米原〜彦根間にて

秋晴れの甲斐路を行く

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早朝の秋晴れを青いロクヨンに牽かれて甲斐路を行く東最後のジョイトレ客車”ゆとり”。
かつて、この甲斐路を通っていた同類の”浪漫”も既に亡き後、中央東線への乗り入れもめっきり減ってしまいました。今週28〜29日に掛けて、久々に中央東線〜東北本線へと運転されますが、初日の28日は残念ながら生憎の天気の様で・・・。
年を追う事に稼働率が相変わらず激減し、電車化によっていつ引退しても可笑しくない状況の中、ジョイトレ老舗はこの少ない運用を何処まで駆けて行くのでしょうか?

2004年10月17日 塩山〜勝沼ぶどう郷間にて

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いよいよ今月30日、1980年代初頭から多くの団体客に親しまれてきた広島の12系和式客車”旅路”が約26年の活躍に幕を閉じてしまいます。

自分にとってこの”旅路”には初めてジョイフルトレイン(鉄道写真)を撮影とした思い入れがある列車でした。
今から12年前の事、当時、実家に住んでいた頃、特急列車の車内設備の差や運用のやり取り等を理由に九州所有のジョイフルトレインが相次いで姿を消してしまい九州の鉄道ファンにとって寂しい出来事でしたが、それでも西日本に籍を置くジョイフルトレインの何本かが九州へ入線してきていました。
その中で広島に所属していた”旅路”は1994年10月に両端に展望車を新設するなど外観を大幅リニューアルしてまだ半年しか経っていないにも関わらず、リニューアル後初めて、白昼堂々と南宮崎まで運転されたのです。
当時のデータによると南宮崎まで運転された1995年3月27日に往路、翌28日にはその復路が運転され、丁度春休みとあって当ても無く延岡〜南延岡間に掛かるコンクリート橋で撮影に出掛けました。カメラは今使っている一眼レフでは無く、バイトで稼いで購入したコンパクトカメラでした。初めて鉄道写真と言うものを撮影するも三脚も無ければシャッター速度も調節もチンプンカンプンで結果、シャッターの押すタイミングが遅く往路は撮影出来ませんでした・・・。
翌28日の復路も同じポイントで狙う事にしました。橋の下にいた子供達も新しい”旅路”を歓迎してくれていたようです。因みに牽引機は現役の70号機で、その1年前に廃車された”サザンクロス”を思わせるような存在感を魅せてくれました。
延岡駅にて数十分の停車を利用して先回りして日豊本線と旧高千穂鉄道に掛かる踏み切りにて車両を撮影しその場を後にしました。撮影当時、赤ボンネット(485系)が健在でしたがこれも旨く撮影出来ず、当時実家に住んでいた頃に撮影した貴重なショットになりました。

その5年後を経て、再び”旅路”に出会うことが出来ました。早朝に団体客を乗せ沼津に到着、その後、広島まで回送列車として運転されたものです。余り東海道線へ入線しない”旅路”を撮影できるとは思いもよりませんでした。しかし、これが最後の東海道入線となり、その後は西日本エリアを中心に活動してきました。実は2年前の九州遠征の時、偶々”旅路”が九州に入線する予定で早朝から多々良川鉄橋で待ち構えていましたが、結局、午後を過ぎても姿を現しませんでした。
そして、先月の九州遠征の帰りに下関に留置されていた”旅路”らしき姿を乗車中の「ムーンライト九州」の車内で目撃しました。

今週末に引退を控えた”旅路”の最後の雄姿を見送ろうと考えましたが距離の関係上、残念ながら見届けることが出来ませんが、四半世紀に渡って2度の転身を経て、数々の名シーンを生んでくれた”旅路”。そして自分にとって鉄道写真を初めて撮影するきっかけを作った列車をいつまでも記憶に残したいものです。


【上】1995年3月28日 南延岡〜延岡間にて
【下】2000年10月28日? 由比〜興津間にて

茶64×”ゆとり”

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3年前の11月、”ゆとり”団臨が久しぶりに伊東線伊東まで運転されました。前日の23日にも運転されましたが、丁度この日は御殿場線記念列車と日勤が重なり撮影出来ませんでした。翌24日にも団体客を乗せる為、品川からの復路が運転されるとあって撮影に出向きました。東海道線内はPPで運転されるのが常で下りに田端PFが先頭に立つと思っていましたが、この時だけは単独牽引、しかも牽引が茶ガマの37号機が登板。予想もしなかった組み合わせが東海道線で実現しました。

因みに茶色になった同機が”ゆとり”を牽引したのは東海道(伊東)線と中央本線の2回のみ。最近目立った活動が少ない37号機ですが高崎ロクヨン&”ゆとり”との組み合わせは殆どが青釜がメインなので今後、茶ガマロクヨンとの組み合わせが見られるが微妙なところです。

☆2004年11月22日 茅ヶ崎〜平塚間にて。

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年々、稼働率が低迷し、その去就が注目されている14系お座敷客車”ゆとり”も今や東日本唯一のジョイフルトレイン。9年前の初撮影から現在まで数えてみると”浪漫”や”ユーロ”と並んで撮影率が高かったようです。その多くが東海道線での撮影が大半を示してますが、以外ながら東海エリア内での記録は数を数える程度で最近までは東海道線経由だと沼津まで乗り入れていましたが、近年では中央本線を経由して名古屋まで運転されているケースが多く見受けられます。写真は白Hゴム時代の高崎のロクヨン36号機牽引で回送列車として身延線富士宮まで乗り入れてくれました。最近では中央本線を除いては東のロクヨンが東海道線(静岡エリア)を走る姿を見る機会も少なくなってしまいました。

☆2001年3月4日 吉原〜富士間にて。


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