鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

沖縄戦は沖縄県だけの戦争ではありません。奄美諸島でも戦われていました。

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1 概略
 空母「ベローウッド」の第30戦闘飛行隊と第30雷撃飛行隊のF6F12機とTBM6機が3月31日午後3時15分と3時22分に発進、午後6時25分と31分に帰還。任務は奄美大島の船舶攻撃。F6F12機はロケット弾6発を装備、3機は500ポンド爆弾4発を装備。

2 攻撃の概要
 名瀬港で2本煙突の船(17000トン)に対して、TBM4機が500ポンド爆弾16発を投下し、至近弾4発を与えたが効果なし。またF6F11機がロケット弾60発を発射し17発が命中。攻撃後上空に煙発生。船を修理しようと続けられた努力の証拠は明白であったが、活動は示されなかった。目標は浅瀬に座礁しているように見えた。そのことは至近弾による損害が最小だという事実である。
名瀬港でFTC(高速輸送艦のことか?)(5000トン)に対して、TBM2機が500ポンド爆弾8発を投下したが、命中の有無・効果ともに不明。
(龍郷町)秋名の西の入り江の擬装されたFTC(1000トン)に対し、F6F5機がロケット弾2発発射し、爆発を目撃。
笠利の浮ドック(100トン)をF6F5機が機銃掃射し、船尾に火災。

3 攻撃の詳細
 編隊は奄美大島北西海岸地区にいると思われる船を攻撃するため発進した。レーダーも用いた偵察にも関わらず船を発見できなかったので、以前の指示に従って名瀬港の大型船に対して、この編隊による3番目の攻撃に向かった。この編隊に関する限り、名瀬港の大型船は“ジンクス・シップ”と思われ始めていた。今回の爆撃結果はこの評判を増やすだけだった。ハーリー大尉の爆弾は近過ぎ、ドンソン少尉の爆弾は遠過ぎた。ルイス少尉は目標を視界に収めることが困難で、高度約800フィートに達するまで爆弾の投下が遅れた。500フィートで引き起こしたまさにその時、爆弾の固まり(?)が少尉の機の右翼燃料タンクの右後方に当たった。(この事故で少尉の機体は損傷したが、無事に帰還。)ルイス少尉の爆弾の内1発は船の極めて近くに落ちた。GHSE少尉の爆弾は2発とも夾叉した。
 TUTTLE少尉の爆弾は2発とも不発で、ローハン少尉の爆弾は電気系統の故障で投下に失敗した。(大型船)が放棄された船体であることは、以前より明白である。その右舷には大穴が認められた。
 合流後TBMは秋名集落を機銃掃射した。その時にハーリー大尉機の左翼が損傷した。当初は銃身の爆発によると思われたが、後の検査で低空機銃掃射の間に、木の枝か地面の障害物に当たった結果と推定された。
 F6Fは以前何回かの攻撃の目標となった、名瀬港に座礁している鯨工場タンカー(捕鯨船のことか?)(17000トン)に17発のロケット弾を命中させた。ギレスピー大尉は船尾甲板に2発、YESENSKY大尉は舷側と船の中央の船尾に命中させた。エベンソン大尉は2発命中させ、フィリップ少尉も2発、マゾッコ少尉は1発を船体中央甲板の船尾に、ダムススコード少尉は船首に2発命中させ、カーリー少尉は船体中央甲板に2発、ピクストン少尉は船尾の前方甲板に2発、そしてビットナー少尉は船体中央の喫水線2発命中させた。最後に目撃された時、船体は船首から船尾まで煙で覆われていたが、他に損害の証拠は見られなかった。
 ギレスピー大尉、GLLCHRIST、マゾッコ、ローガー少尉によって、名瀬へロケット攻撃と機銃掃射が行われた。ウェリー大尉もこの攻撃に参加し、いくつかの火災が発生した。
 笠利に停泊していた船はYESENSKY大尉とカーリー・ビットナー少尉により、機銃掃射されて船尾から燃えた。
 枝で擬装されたFTCは秋名の西の海岸に位置し、マゾッコ少尉の発射したロケット弾2発が命中した。船に命中した時ロケット弾は爆発したように見えたが、損害の外の証拠は見られなかった。

 今回は3月27日・28日と31日の名瀬港内の船舶に対する攻撃を紹介しました。17000トンの2本煙突の船は極洋丸のことで、5000トンのFTCが丹後丸のことです。
3月27日の報告書には2隻の姿が写っています。(1枚目の写真)左上の海岸近くにいるのが極洋丸で、写真中央に右から伸びる岬の左にいるのが丹後丸です。2枚目の写真が極洋丸、3枚目(少しぼけていますが。)が丹後丸の部分を拡大したものです。名瀬への「空襲はほとんど両船を目標にしたので、名瀬市の護り神と称された」といいます。(註1)
註1を見てもこの3日間の他に、10月10日・1月22日・3月1日・3月26日・3月30日・4月8日・4月9日・4月10日・5月1日・5月5日・5月6日・5月9日・5月17日・5月18日・5月23日・5月25日・5月30日・6月3日・6月14日・6月15日・6月25日・6月26日・6月30日・7月16日・7月17日・7月18日・7月21日・7月22日・8月6日・8月9日の30日間も、米軍機は無人の放棄された船に攻撃を加えています。
3月31日の攻撃は「ベローウッド」の第30戦闘飛行隊だけでも、2隻に対する3回目の攻撃でした。27日の攻撃でパイロットは「この船(私註、極洋丸のこと)は1月の以前の攻撃で受けた損害を修理中と思われ、岸から甲板へ作られた通路があると語った。この船の船首楼は放棄されて、おそらく座礁しているように見える。」と報告しています。
この時点で米軍は1月に攻撃した船が座礁しており、修理中であることを認識しています。
極洋丸からは通信隊として動員された大島中学校の生徒が、梯子を渡って訓練用の機材を運び出しています。(註2)「岸から甲板へ作られた通路」とは、この時に使った梯子かも知れません。
27日の攻撃で注目すべきは、攻撃に350ポンド水中爆雷を使用していることです。これはこれまで通常の爆弾で攻撃したが効果がないため、水中爆雷で水線下に損害を与えようとしたと考えられます。度重なる攻撃でも効果がないため、「名瀬港の大型船は“ジンクス・シップ”と思われ始めていた。」と31日の報告書には記されおり、さすがにアメリカ軍も“これはおかしい”と思ったようです。31日の報告書にはさらに「(私註、極洋丸のこと)放棄された船体であることは、以前より明白である。」と記しています。丹後丸についてはよく分かりませんが、31日の攻撃後には極洋丸は放棄されたと考えたいたようです。
 ですが、註1で分かるように、その後も2隻への攻撃は続けられています。この両日以外の報告書をまだ確認していないので何とも言えませんが、31日に座礁船と気付きながら、なぜ攻撃したかは不明です。27日のように写真を撮影していれば、2隻に動きがないことは分かるはずです。気づいてはいたけれども、現場の搭乗員がつい攻撃したのかも知れません。極洋丸には4月23日に日本軍の特攻機が敵艦と誤認して突入しています。(註3)搭乗員は高速で飛行する飛行機から瞬時に判断して攻撃するので、特攻機の用に誤って攻撃するかも知れません。それともアメリカ軍は何らかの目的があって攻撃したのでしょうか。これについては他の日の報告書を調べた上で結論を出したいと思います。

(註1)岩切敦良「名瀬空襲メモ」(『奄美郷土研究会報 第7号』(奄美郷土研究会 1965)所収) 98頁
(註2)『戦後60年平和の祈って語り伝えたい私達の戦争体験』(財団法人鹿児島県老人クラブ連合会 2006) 82頁
(註3)重武克彦『回想録』(海風社 1984) 245〜246頁

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