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二匹の狼

12モンキーズという海外ドラマの中で主人公が二匹の狼の話をします。

人間の中には常に二匹の狼がいて、一匹は、嫉妬や怒り、プライドに満ち溢れた狼、もう一匹は、誠実で優しい狼なのですが、その二匹が毎日戦うそうです。

最終的に勝つのは、本人がエサを与えていたほうだという話です。

生きているといろんな葛藤に悩まされますが、エサを与えていると考えるとその葛藤ももう少し客観的に見れるのかもしれません。

この話を聞いたときに、臆病や怠け心をもつ狼もいて、三匹の狼かなとも思いました。

三匹の子豚ももしかすると人間の心の中をうまく表現した話だと考えてみると、また違った印象になりますね。

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オッカムの剃刀

ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきではないと指針を多用した14世紀の哲学者オッカムにちなんで、仮定を極力そぎ落とすことをオッカムの剃刀といいます。

この言葉を初めて知ったときに、事柄だけでなく人生そのものにも利用できるなと思いました。

悩みを解消するためには、必要以上に複雑にするべきではない。

と、いったことでしょうか。

自分の中で答えが出ているはずなのに、いろんな感情が起こるために、余計な悩みを抱えてしまうことがよくあります。

ずるずると時間だけが経過すると、また別の問題が発生することもあります。

何かの問題が発生したときには、とにかくシンプルに自分が一番やらなければいけないと思う行動を選択するべきです。

そうすることで悩む時間を最小限に抑えることが出来るでしょう。

ただ、それが人生にとって最良かどうかは、また別の話になるかも知れませんけれど。

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浮気の対処法

最近、体臭がよく気になります。

まったく匂いがしないと言われることもありますが、人によっては僕の匂いというものがあるそうです。

いわゆるおやじ臭というのとも少し違うそうなのですが、一度着たセーターを次の日にまた着たりすると、一瞬匂いを感じることがあって、たぶんこれなんだなと気づきます。

でも着てから少し経つとまったく気にならなくなります。

匂いが消えたのではなく、その匂いが気にならなくなるように体が適応しているのだと思うのです。

嗅覚だけでなく、たぶん視覚においても、嫌なものを見たとしてもだんだんと見慣れてくることもあるはずです。

CMで氷の世界に裸で暮らす外国人を見ましたが、彼の体も寒さを不快に思わなくなっているのでしょう。

夫婦の問題にしても、同じことが言えるかも知れません。

よく夫の浮気で悩む女性からの相談を受けることがありますが、僕は自分には関係のないことなので、気にしても仕方がないですよとアドバイスします。

夫の浮気に妻が関係ない訳がないとキョトンとした顔をされるのですが、浮気相手の女性に貢いで、生活も出来なくなってしまっているということなら関係するかも知れませんが、ちゃんと働いて生活も不自由が無いのであれば、関係のないこととして捉えるほうが、自分自身が楽になります。

他人(夫)の浮気に関わったところで、苦しい思いをするのは自分なので、関係のないこととして捉えたほうがいいという理屈です。

嫌な匂いも、人間は自然と慣れてくることと同じで、浮気もたぶん慣れるはずです。

結婚に特別なこだわりや理想を持っている女性なら、そんな関係で結婚生活を送りたいと思わないかも知れません。

離婚して新しいパートナーを見つけることもひとつの方法かも知れませんが、浮気をしなくても、夫婦関係が破綻することもよくあります。

相手の嫌な部分や許せない言動なども浮気と同じで、気にしないことです。

他人の言動が許せない性格なら、一緒にならないほうがいいかも知れません。

その環境に適応するかどうかは、自分のこだわりを捨てることと関係するはずです。

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レギオン

X−MENというミュータントと呼ばれる特殊能力をもった人たちが活躍する映画があるのですが、それの初めてドラマ化されたというレギオンというドラマを最近見ています。

自分の特殊能力をうまく操作することが出来なくて、精神病院に入院しているところから話が始まります。

現実の世界や記憶の中の世界、他人と入れ替わった世界などが、メリハリなく流れていくために、観ているほうも頭がおかしくなりそうな内容です。

まだ2話しか放送されていないのですが、主人公はミュータントを救済する施設に落ち着いていて、そこでは自分がおかしいと思ったことも全て現実であり、それが正しいことだと認識できるように治療されるようになっています。

僕はこの主人公のような特殊能力など持っていませんでしたが、世間の一般常識からするとおかしいと言われていることが、その人の常識であって、病院に入院するとそれが間違っているのだと自然なのか強制的なのかは判りませんが、考えが変わっていきます。

変わらない人は何十年も入院したままになるのですが。

以前、境界という記事を書いたと思うのですが、正常と異常の境界も世間や病院や家族が決めているだけで、境界などないというのが僕の考え方です。

実際、心療内科に通ったことがない人でも、自分の心について考えることはあるはずです。

そういった気持ちになるのは、たぶん周りの情報や固定観念といったこうあるべきだというものと、自分の考えとのギャップが原因なのではないでしょうか。

物を動かしたり、人の心を読み取るなどといった特殊能力は無いかも知れませんが、人それぞれ、その人しか持っていない特別な能力というものがあるはずです。

迷ったときは、自分を信じること。

たぶんそれが一番いい結果を導くはずです。

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境界

健康な人と病人の境目はどこでしょう。

たぶん医者にかかっているかそうでないかの違いだけで、実際のところは軽い病気でも病院に行く人もいれば、重い病気でも行かない人もいて、医者からあなたは病気ですと診断されて初めて病人ということになります。

病気に限らずいろんなところで、白か黒かといった選別をする癖がありますが、そのほとんどは境界など存在しないはずです。

極端に言うと男と女。

男は女と違って○○といった表現をする人が多いですが、男性の中でも女性よりの考え方をする人もいれば、女性の中にも男性みたいな考えかたで行動する人もいます。

体の機能だけをみれば確かに男女を区別することはできますが、心は簡単に区別できないはずです。

境界を作るのは、そうすることによって合理的に人々の生活を管理できるからなのかも知れません。

国境を作れば紛争が起きるように、境界を作ることによって起こる障害などもあります。

僕の仕事である性風俗も同じです。

性そのものは大切だと理解していても、それを仕事にしている人や利用する人を軽蔑する風潮があります。

浮気も同じかも知れません。

どこからが浮気と呼べるのか。

その境界はとてもあいまいなものです。

境界を定めることは悪いとは思いませんが、そこに捉われることで、自分の生活を窮屈なものにすることだけは避けるべきだと思います。

僕は基本的に何でもありだと思っていて、境界を決めて話すことはなるべく避けているような気がします。


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