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これもある人から薦められて買った本。コソヴォについて扱っていると聞いていたので、なかなか現代的なんだろうと思ったら、筆者は年輩の多木さん。正直最初はあまり期待しなかったが、かなりおもしろかった。では、本書の説明に入ろう。
この本に関しては要約する必要はないですね。章毎の最初に筆者自身の要約がありますから、そこを読んでいただければ十分でしょう。今回は、この本全体の流れを書き示すことにします。まず筆者は、戦争論の先駆けをなしたクラウゼヴィッツの戦争論の主張を否定し、シュミットの主張をとります。クラウゼヴィッツの主張を一言で言えば「戦争は、政治の継続である。」というもので、シュミットの主張は、「政治は、誰が的であるかを決めることであり、政治は、常に未来の戦争を前提にしてなされる。」というものです。多木さんは、シュミットの方が戦争をうまく言い当てているとする。この路線に沿って近代の戦争を巡る政治状況を記述していき、次に日本の記述に移る。それから、20世紀前半の戦争の独自性を、19世紀などの近代の戦争と比較しながら浮き彫りにし、冷戦、内戦、へと筆を進め、コソヴォについて扱う。最後に多木さんは、戦争に対する考え方、未来の戦争に対してわれわれがなし得ることをまとめ上げる。戦争は絶対悪だとわれわれは思うけれども、なぜかそれを防ぐことができない。
また、戦争を全く考慮に入れない政治もない。本書は、こういったことに対する疑問、すべてに答えている。平和の難しさを思い知らされた。
最後に出会ったこの文章は、一番感動的だった。「どんなに戦争で廃墟になっても『世界』は残るのである。人間は優れた思想、芸術、それに慎ましい日常生活というもので構成される世界をつくりつづけてきた。戦争は、暴力でそれを破壊するのだ。もし思想、芸術をつくりだす能力や、日常生活を維持していく知恵がなければ人類はとっくに滅亡しているに違いない。現実主義者と称する人びとは、このような認識をあざわらうかもしれない。しかし、そう思わないわれわれは、現実を知りつくすとともに政治と戦争の関係を断ち切り、『永遠平和』の理念を追い求める。われわれの日常生活、われわれの芸術や思想の営みがどれほど空論に見えたとしても、そこからしかアクチュアルな姿勢は生まれてこないのだ。」この書の内容のみにとどまらない、思索を生業とする者すべてに通じる見事な至言ですね。
今の世の中で理想を語るとわざとらしく映る。しかし、理想がなくては生きていけない、そういう
ことを思い出させてくれる作品です。
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