自由な談話室

今年もよろしくお願いいたします。

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 久々に哲学に触れたいと思って読みました。評判どおり、かなりわかりやすかったのですね。
肩慣らしにはちょうどいいでしょうが、特別に新しく得るところがあったわけではありません
でした。むしろ自分の理解が面妖なものでなかったと確信できまして、安心しました。

 それでも、本書は今までに無いくらい幅広くフッサールの現象学を扱っています。たとえば
第三章で論理学の基礎付け部分を書いていますが、非常に充実していました。マッハから始まって
フレーゲや生活世界との関連付けまで、単なる論理学ではなく、志向性から導かれる原初の感覚
(この表現がふさわしいとは思いませんが。)に基づける論法は見逃されがちですが、大事な観点
です。この点がアメリカの論理学とは異なる点でしょう。

 それから第6章の他者の現象学もなかなか面白かったです。フッサールは感情移入論を批判的に
継承して、志向性からうまく説明しようとしますが、難点にぶつかります。たとえば、私たちはどう
言う状況で、他者の存在を感じ取るでしょうか。通常は、人物画に他者の存在というのは感じない
ですね。でも、死体にはなぜか他者を感じる部分があるのではないでしょうか。フッサールはこの点
に着目して、まず自分の身体の感覚があり、それと似たものとして対象に感情移入する。そして、
さらに、移入した対象がなんらかの存在を感じさせるという2重の契機によって、初めて他者を
認識できるとします。
 しかしながら、このような手順を踏んでいるのかという疑問は残ります。一心同体と感じること
がある場合には、自分と他者の身体の区別ははっきりとはしていないですね。すると、自我がまだ
発動していないわけですから、当然他者に感情移入は出来ないわけです。でも、一心同体という
感覚はあるわけで、彼の説明ではここが詰まってしまうわけです。
 そこで、彼はこの点を逆手に取ります。つまり、感情移入以前の癒着した感覚ですでに他者の
存在が予期されているのであり、これが最初の他者の感覚だとします。そして、自我が発動され
て自己移入されるとき、他者の存在がありありとしてくるが、原初の癒着している感覚はそれで
も残り、このため、他者が似たものとして認識されるという論理展開をします。

 しかしながら、彼の論理展開は非常に誤解されやすいでしょうね。独我論という批判を浴びて
しまうのも無理は無いと思います。それに、彼の論理は相対主義を前提にした他者の理解論のよう
にみえます。
 本当は他者と自分が異なるから理解できないのであり、それゆえ理解は推測にならざるを得ない
わけですが、フッサールは自己移入することで理解するため、理解が推測になるとします。
自己移入による理解は相対的であるというのは、他者が理解できるという前提をもちつつ、絶対化
できない相対主義を絶対化しているという奇妙な論理ですね。

 いずれにしても久々に哲学を勉強した気になりました。復習にも入門にも非常に向いている
本だと思います。
 

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