自由な談話室

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 私がこういうタイトルの本を購入するときは、たいてい授業のネタを探すためですが、しばしば
自分が熱中してしまったり、ネタとして使うのが難しすぎたりして、あまり目的を達成できないの
です。この本も、私の目的を満たすものではありませんが、読み物としては十分な魅力を備えて
いると思います。

 本書は、数学において重要な概念を一つ一つ順序だてて解説するというよりは、無限や多次元と
いった、現実として考えると存在し得ないようなものを、数学者はどのようにとらえているのか
ということを丁寧に示すものです。

 たとえば、1/3という数は、ずっと0.333333.....と続いていくわけですが、これに3をかけても
絶対に1とはならないはずです。しかし、1になると考えるのはなぜなのかを正直に教えてくれます。
 つまるところ、「便利だから」というものです。厳密に言えば、絶対に1にならないという結論が
出てきますが、もしこのまま厳密に無限に3が続くと考えてしまうと、この0.3333333......という数
に数をかけたり割ったりしたときの扱いが恐ろしく複雑になります。無限を含ませることにより、無
限を含まない複雑な命題をうまくてなづけるということなのです。ですから、数学者も有限の世界で
このことが成立するとは考えていないわけです。あくまでも、取り決めなのです。
 微分の概念もこれとほぼ同じといえるでしょう。よく無限に小さい時間においての変化量などとい
う、わかりにくい定義がミクロ経済学の効用関数の所に出てくることがありますね。売れ筋商品の
どちらか一方が減少したときに、同じ満足度を満たすためにもう一方の商品がどれだけ必要となるか
という問題が生じた場合に、無限に小さい量だけ商品が減少したと考えると、それを補う量がわかれ
ば、あとはそれを全店舗に拡大することも可能なわけです。

 小学生にはあまり難しい話はできませんので、本書の内容をそのまま授業に使うことはできないで
すね。先生は最低限本書程度のことを理解していればいいと思います。そうすることによって、
授業の幅も広がるでしょう。 

忌まわしい?丸太の刑

 タイトルを見てなんのことかな?と思った方は多いと思います。実はこれ、私が小学校から中学校
くらいまでによくやられていた体罰なのです。情けない話ではありますが、多少なりともお楽しみい
ただけると思いまして、書かせていただきます。

 私は多動性の傾向がある児童で、自分と似た友達とつるんで悪さをしておりました。授業中に立って
歩いたり、おしゃべりするというのは当たり前で、掃除用具を壊したり、黒板消しのいたずらをしたり
とやりたい放題でした。
 そんなやんちゃな坊主だったため、友達とよく2人で連帯責任を取らされました。そのときに先生
が丸太をどこからか持ってきて2人に担がせます。一本の丸太を二人でずっともっていなくてはなら
ないわけですから、とても大変でした。腕がしびれてどうにもならないというのに、友達とお互いの
ことを罵り合って、放課後の無駄な時間をすごしていました。1時間くらいたったら、先生がやって
きて今日はこのくらいにしておいてやろうという感じで無罪放免となります。(笑)
 
 しかし、次の日にはすっかり前日の体罰など忘れてまた悪さをしますので、同じように丸太の刑が
待っているという日々をすごしていました。回数をこなしていると堂に入ってくるもので、前と同じ
丸太かそうでないかはわかりますし、年輪を見たり、肌の具合などを図鑑で調べてなになにの木であ
るということを知ったりしました。

 でもあるとき、自分がどうしても納得のいかない日がありまして、丸太を持ちながら友達と大喧嘩
をしてしまいました。つばをかけたり蹴りを入れたりと、もうめちゃくちゃです。そんなつまらない
ことにエネルギーを使っているうちに、お互い疲れて静かになってしまいました。このつらい状況を
切り抜けるにはどうしたらいいか知恵を絞り、友達と協力することとしました。
 まず、お互いに丸太を押し付けあっこしてみましたが、ぜんぜん楽になりませんでした。腕に力が
よけいにはいる分だけ無駄なことをしているということに気づきました。次にお互いに近づいてもっ
てみることにしました。でも、感覚的に一点に力が入るような気がしただけで、ぜんぜん軽くなって
くれません。どちらか一方がしゃがんでみたり、肩に乗せてみたりといろんなことをしました。でも
丸太は重くなる一方でした。どうせ軽くならないなら、黙っているのが一番ということで、最初の位
置に戻って、座禅を組むかのようにじっとすることとしました。
 結局丸太そのものを軽くする方法がないと気づいたのは、それよりずっとあとの高校生の時だった
のですが。

 どうやら先生は遠くから見張っていたようです。コツをつかんだ私達にこの体罰は通用しないと
思ったのでしょう、今度はバケツに変わりました。(笑)先生は丸太を落とすのを楽しみに待って
いたようですが、コツをつかまれたのをくやしがっていました。よく考えると理科の好きな先生で
したから、重力というのをよく知っていてあの体罰を考えたのかもしれませんね。

 体罰をやるにしても人物の見極めは本当に重要であるなと思いました。今はこんな体罰は許され
ませんが、人間性を鍛えるのに、過酷な環境というのも時には役立つのでしょうね。

 本棚をひっくり返していたら、懐かしい本が出てきました。本書を手に取ってから、もう20年
近く経ちます。私は趣味で多少ピアノを弾くのですが、長時間練習すると、体が疲れてしまって思
うようになかなか演奏できなくなってしまいます。
 そこで、我流を捨てて、いちからやり直そうと思って読んだのがこの本です。とはいっても、練
習方法があまり詳しく書かれているわけではないので、自分で編み出さなくてはならないところが
多かったのですが。

 本書は、コルトーのお弟子さんである、タリアフェロ女史のピアノメソッドを紹介したものです。
私はタリアフェロというピアニストを聞いたことがありませんでしたし、実際にCD等でお目にか
かる機会もありませんでしたが、90を過ぎても演奏会を行っていたというのですから、ご長寿の秘訣
も、彼女のピアノメソッドにありそうだと思いまして、その点からも興味深く読みました。

 タリアフェロ女史は、生前自分のピアノメソッドが乱用されることを恐れて書物に残すということ
はしませんでした。しかし、その内容はいたって簡単なものです。正しい姿勢と脱力やストレッチの
方法、これらに尽きます。
 演奏するときには、なるべく重力をうまく使う、たとえば腕の重さを使う、いすの高さはやや低め
で、背筋をきちんと伸ばすようにする。足の置き方は右足を前にして、左足をやや後ろに引く。そう
すると、右や左に大きく振られる曲であっても、バランスを崩さなくてすむ。
 仕上げにはバッハの平均律クラビーア曲集ということが述べられている点は興味深いものがありま
す。普通は教本かなにかだと思っていたのですが、創造力を養うには平均律がいいというわけです。
 確かに平均律では、スラーやクレッシェンドなどの指示がなく、自分で考えるようなつくりになっ
ていまして、指示だらけのモーツァルトとは趣が異なります。ショパンも推薦するほどのものですか
ら、ピアニストにとっては必要不可欠なのでしょうね。
 
 ピアノに関する本はたくさんありますし、本書は時代遅れの感を否めません。ピアノをやる心構え
の書として有用でありますが、本格的に練習したいというなら、ビデオ付きの本でも購入されては
いかがでしょうか。

人を預かるという責任

 最近は、うつ病などで仕事ができなくなるという人があとを絶ちません。教員の世界でも同じことで
都会ですと、各学校に1人ということにもなりそうです。

 この原因は何なのかというと、よく言われるのが、甘えであるとか教育の失敗であるというような、
ありきたりの論です。昔はこんなことはなかった、というような年寄り連中の愚にもつかない批判が
幅をきかせているようです。ピラミッドにすら今の若いものはなどということが書かれていたという
のですから、人間は進化しないものです。

 でも、このことは実の所まったく正しくありません。一番の原因は、人が人を大切に扱っていない
ということです。経済的な要因などがあって、人々に余裕がないのは事実ですが、それでも、余裕の
ない中で、いかにして平常心を保って生きていくかということが大切なのですが、いつしかそれらが
忘れられているようです。
 たとえば、昔の教師の職場は、今とは違った意味でピリピリしていました。仕事に一生懸命で、よ
く働いたものですが、メリハリがあって、遊ぶときはよく遊んだものです。お互いに辛らつな言葉を
交わしても、仕事が終われば「今日は楽しかったね。」というように、気持ちをリセットすることが
できたように思います。今で言うとパワハラやセクハラといわれるような発言が日常でしたが、それ
でも、そのことに嫌気がさして休むというのは、ありませんでしたね。なぜ私たちが耐えられたのか
というと、たぶん、先輩たちが私たち若い世代を大事にしてくれていたからだと思います。
 厳しい先輩がたくいて、無茶だと思うようなことを任されても、大事なところではアドバイスを
必ずしてくれましたし、一人で残っているときでも、どこかで私たちを見てくれていました。見え
ないところでも、研究授業の根回しなどをしてくれていまして、私たちがやりやすいよういしてくれ
ていました。
 私が尊敬できる先輩の次の言葉は今でもありがたいものです。「もし私に感謝をしているなら、私
に恩返しをしようと思わずに、これからの後輩たちにも同じようにしてあげてほしい。それが一番の
恩返しだ。」と。人を預かるという責任を強く感じさせてくれます。でも、今の私たちの世代はどう
でしょうか。若い人と一緒に残業をする人というのは減っている気がします。また、気が強い人とい
うのは相変わらずいるのですが、どこか温かみがない。
 若い人は怒ると休んでしまうと愚痴っていた馬鹿者がいました。私が怒ってもなんともなかったの
に、この人に怒られた人はただ反発して、ストレスをためていきました。高圧的な態度を取っている
ことが直接の原因ではなく、人徳のなさにつきると思います。人を預かるということが一番責任が
重い仕事であるということを、教師でありながら自覚していない。こういう人のクラスがどんなもの
かは、だいたい想像がつくものです。
 怒るなら怒るだけの下準備が必要なのですが、この人はなにもわかっていない。なぜ若い人に何か
言い返してくることを期待するのでしょうか。どんな結果をもたらすのかわかっているのでしょうか。
言い返したら、それをきちんと受け止めるだけの度量がないということを、若い人に見透かされている
だけなのに気づいていないのでしょう。
 自分の時代もそうだったと言っていますが、この人のような情けない先輩など一人もいなかった。
年を取っただけで先輩に追いついた気になっているのでしょうか。

 正社員と派遣社員の関係もある意味で似ていると思います。正社員が偉ぶっているというのは、非常
におかしい話です。やっている仕事の内容が、馬鹿にしているはずの派遣社員変わらないのであれば、
それは、自分の地位がたいしたことがないということの証左です。唯一異なるとしたらそれは、人を
預かるという部分だと思います。つまり、派遣社員をまとめて育てていくということです。
 たぶん、人格がだめな正社員は、たいした会社の人間ではないでしょうし、名ばかりの正社員という
言葉しかプライドを保てる部分がないのでしょうね。

 人は大切にしたいものです。

 

 ことあるごとに、何か反対を言い出す先生がいたら、組合員であるというような記事や報道が見受
けられます。非組合員も相当組合に乗っかっていろいろ主張している部分もあるのですが、そういう
現実はあまり面白みがないためか、触れられることが少ないようです。私の地域では、加入率30%
以下ですので、組合が大きな力を持っているわけではありません。一種の圧力団体的な行動をします
が、全体的な支持は得られていないので、脅威と呼べるほどのものではありません。

 ただ、政治的なセンスに欠けているように見受けられます。現在の状況下では何もしていなくても
組合員であるという理由だけでも非難の対象になるのですから、何でも説明責任をきちんと果たせる
形で反対運動をしなくてはいけないんですが、どうも行動が先走ってしまっているようです。

 たとえば、いじめアンケートの協力拒否という指示を出した組合がありましたが、あれはあまりに
も稚拙な行動でした。実の所は、教育委員会がアンケートの作成のためにひいきの業者を使って、
金をせしめて、さらに、結果の集計等も任せて現場にはなんらの還元もしないですとか、いじめ撲滅
のためのロードマップやグランドデザインなどをなんら示さなかったことによることに対する反対で
はあったのです。でも、その一部だけ誇張されて、この人たちは単なる悪者へと貶められてしまった
わけです。
 私はアンケートの中身があまりにやる気が感じられないものになっていて、しかも、集計までの
時間的な余裕も話し合いをするための準備も何もできないまま形だけになってしまったことに対する
無念さというのがありました。それでも、何もしないわけにはいかないと粛々と行いましたが、
子供たちから疑問の声が上がってしまったくらいです。こういう実態を踏まえると、実施しただけで
は単なるアリバイ作りをさせてしまい、かえって責任逃れの理由をいたずらに作ってしまうだけなの
ではと思います。

 卒業式の日の丸、君が代の問題も似ています。伴奏を拒否した先生も、一連の反対運動の一環とし
て拒否を行ったのでしょうが、それまでの経緯全てがかき消されて、単なる職務命令違反という問題
に矮小化されてしまいました。もっとも、こういうパフォーマンスをする先生は過去に何らかの処分
歴があって、大して経歴に傷がつかない人だったりすることが多いです。
 導入の仕方がよくなかったり、この問題を火事場泥棒的に利用して権力を振りかざそうとしたり、
そういう裏の事情もあるのです。

 なんだかとりとめがなくなりました。これからは反対運動はもっと違った単位で、つまり、組合で
はなく、なんらかのコミュニティーレベルで行うのがいいのでしょうか。でも、言っても無駄かもし
れませんね。

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