自由な談話室

今年もよろしくお願いいたします。

教育のお話

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 小学校の先生の雑感、授業の実践など。
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忌まわしい?丸太の刑

 タイトルを見てなんのことかな?と思った方は多いと思います。実はこれ、私が小学校から中学校
くらいまでによくやられていた体罰なのです。情けない話ではありますが、多少なりともお楽しみい
ただけると思いまして、書かせていただきます。

 私は多動性の傾向がある児童で、自分と似た友達とつるんで悪さをしておりました。授業中に立って
歩いたり、おしゃべりするというのは当たり前で、掃除用具を壊したり、黒板消しのいたずらをしたり
とやりたい放題でした。
 そんなやんちゃな坊主だったため、友達とよく2人で連帯責任を取らされました。そのときに先生
が丸太をどこからか持ってきて2人に担がせます。一本の丸太を二人でずっともっていなくてはなら
ないわけですから、とても大変でした。腕がしびれてどうにもならないというのに、友達とお互いの
ことを罵り合って、放課後の無駄な時間をすごしていました。1時間くらいたったら、先生がやって
きて今日はこのくらいにしておいてやろうという感じで無罪放免となります。(笑)
 
 しかし、次の日にはすっかり前日の体罰など忘れてまた悪さをしますので、同じように丸太の刑が
待っているという日々をすごしていました。回数をこなしていると堂に入ってくるもので、前と同じ
丸太かそうでないかはわかりますし、年輪を見たり、肌の具合などを図鑑で調べてなになにの木であ
るということを知ったりしました。

 でもあるとき、自分がどうしても納得のいかない日がありまして、丸太を持ちながら友達と大喧嘩
をしてしまいました。つばをかけたり蹴りを入れたりと、もうめちゃくちゃです。そんなつまらない
ことにエネルギーを使っているうちに、お互い疲れて静かになってしまいました。このつらい状況を
切り抜けるにはどうしたらいいか知恵を絞り、友達と協力することとしました。
 まず、お互いに丸太を押し付けあっこしてみましたが、ぜんぜん楽になりませんでした。腕に力が
よけいにはいる分だけ無駄なことをしているということに気づきました。次にお互いに近づいてもっ
てみることにしました。でも、感覚的に一点に力が入るような気がしただけで、ぜんぜん軽くなって
くれません。どちらか一方がしゃがんでみたり、肩に乗せてみたりといろんなことをしました。でも
丸太は重くなる一方でした。どうせ軽くならないなら、黙っているのが一番ということで、最初の位
置に戻って、座禅を組むかのようにじっとすることとしました。
 結局丸太そのものを軽くする方法がないと気づいたのは、それよりずっとあとの高校生の時だった
のですが。

 どうやら先生は遠くから見張っていたようです。コツをつかんだ私達にこの体罰は通用しないと
思ったのでしょう、今度はバケツに変わりました。(笑)先生は丸太を落とすのを楽しみに待って
いたようですが、コツをつかまれたのをくやしがっていました。よく考えると理科の好きな先生で
したから、重力というのをよく知っていてあの体罰を考えたのかもしれませんね。

 体罰をやるにしても人物の見極めは本当に重要であるなと思いました。今はこんな体罰は許され
ませんが、人間性を鍛えるのに、過酷な環境というのも時には役立つのでしょうね。

人を預かるという責任

 最近は、うつ病などで仕事ができなくなるという人があとを絶ちません。教員の世界でも同じことで
都会ですと、各学校に1人ということにもなりそうです。

 この原因は何なのかというと、よく言われるのが、甘えであるとか教育の失敗であるというような、
ありきたりの論です。昔はこんなことはなかった、というような年寄り連中の愚にもつかない批判が
幅をきかせているようです。ピラミッドにすら今の若いものはなどということが書かれていたという
のですから、人間は進化しないものです。

 でも、このことは実の所まったく正しくありません。一番の原因は、人が人を大切に扱っていない
ということです。経済的な要因などがあって、人々に余裕がないのは事実ですが、それでも、余裕の
ない中で、いかにして平常心を保って生きていくかということが大切なのですが、いつしかそれらが
忘れられているようです。
 たとえば、昔の教師の職場は、今とは違った意味でピリピリしていました。仕事に一生懸命で、よ
く働いたものですが、メリハリがあって、遊ぶときはよく遊んだものです。お互いに辛らつな言葉を
交わしても、仕事が終われば「今日は楽しかったね。」というように、気持ちをリセットすることが
できたように思います。今で言うとパワハラやセクハラといわれるような発言が日常でしたが、それ
でも、そのことに嫌気がさして休むというのは、ありませんでしたね。なぜ私たちが耐えられたのか
というと、たぶん、先輩たちが私たち若い世代を大事にしてくれていたからだと思います。
 厳しい先輩がたくいて、無茶だと思うようなことを任されても、大事なところではアドバイスを
必ずしてくれましたし、一人で残っているときでも、どこかで私たちを見てくれていました。見え
ないところでも、研究授業の根回しなどをしてくれていまして、私たちがやりやすいよういしてくれ
ていました。
 私が尊敬できる先輩の次の言葉は今でもありがたいものです。「もし私に感謝をしているなら、私
に恩返しをしようと思わずに、これからの後輩たちにも同じようにしてあげてほしい。それが一番の
恩返しだ。」と。人を預かるという責任を強く感じさせてくれます。でも、今の私たちの世代はどう
でしょうか。若い人と一緒に残業をする人というのは減っている気がします。また、気が強い人とい
うのは相変わらずいるのですが、どこか温かみがない。
 若い人は怒ると休んでしまうと愚痴っていた馬鹿者がいました。私が怒ってもなんともなかったの
に、この人に怒られた人はただ反発して、ストレスをためていきました。高圧的な態度を取っている
ことが直接の原因ではなく、人徳のなさにつきると思います。人を預かるということが一番責任が
重い仕事であるということを、教師でありながら自覚していない。こういう人のクラスがどんなもの
かは、だいたい想像がつくものです。
 怒るなら怒るだけの下準備が必要なのですが、この人はなにもわかっていない。なぜ若い人に何か
言い返してくることを期待するのでしょうか。どんな結果をもたらすのかわかっているのでしょうか。
言い返したら、それをきちんと受け止めるだけの度量がないということを、若い人に見透かされている
だけなのに気づいていないのでしょう。
 自分の時代もそうだったと言っていますが、この人のような情けない先輩など一人もいなかった。
年を取っただけで先輩に追いついた気になっているのでしょうか。

 正社員と派遣社員の関係もある意味で似ていると思います。正社員が偉ぶっているというのは、非常
におかしい話です。やっている仕事の内容が、馬鹿にしているはずの派遣社員変わらないのであれば、
それは、自分の地位がたいしたことがないということの証左です。唯一異なるとしたらそれは、人を
預かるという部分だと思います。つまり、派遣社員をまとめて育てていくということです。
 たぶん、人格がだめな正社員は、たいした会社の人間ではないでしょうし、名ばかりの正社員という
言葉しかプライドを保てる部分がないのでしょうね。

 人は大切にしたいものです。

 

 ことあるごとに、何か反対を言い出す先生がいたら、組合員であるというような記事や報道が見受
けられます。非組合員も相当組合に乗っかっていろいろ主張している部分もあるのですが、そういう
現実はあまり面白みがないためか、触れられることが少ないようです。私の地域では、加入率30%
以下ですので、組合が大きな力を持っているわけではありません。一種の圧力団体的な行動をします
が、全体的な支持は得られていないので、脅威と呼べるほどのものではありません。

 ただ、政治的なセンスに欠けているように見受けられます。現在の状況下では何もしていなくても
組合員であるという理由だけでも非難の対象になるのですから、何でも説明責任をきちんと果たせる
形で反対運動をしなくてはいけないんですが、どうも行動が先走ってしまっているようです。

 たとえば、いじめアンケートの協力拒否という指示を出した組合がありましたが、あれはあまりに
も稚拙な行動でした。実の所は、教育委員会がアンケートの作成のためにひいきの業者を使って、
金をせしめて、さらに、結果の集計等も任せて現場にはなんらの還元もしないですとか、いじめ撲滅
のためのロードマップやグランドデザインなどをなんら示さなかったことによることに対する反対で
はあったのです。でも、その一部だけ誇張されて、この人たちは単なる悪者へと貶められてしまった
わけです。
 私はアンケートの中身があまりにやる気が感じられないものになっていて、しかも、集計までの
時間的な余裕も話し合いをするための準備も何もできないまま形だけになってしまったことに対する
無念さというのがありました。それでも、何もしないわけにはいかないと粛々と行いましたが、
子供たちから疑問の声が上がってしまったくらいです。こういう実態を踏まえると、実施しただけで
は単なるアリバイ作りをさせてしまい、かえって責任逃れの理由をいたずらに作ってしまうだけなの
ではと思います。

 卒業式の日の丸、君が代の問題も似ています。伴奏を拒否した先生も、一連の反対運動の一環とし
て拒否を行ったのでしょうが、それまでの経緯全てがかき消されて、単なる職務命令違反という問題
に矮小化されてしまいました。もっとも、こういうパフォーマンスをする先生は過去に何らかの処分
歴があって、大して経歴に傷がつかない人だったりすることが多いです。
 導入の仕方がよくなかったり、この問題を火事場泥棒的に利用して権力を振りかざそうとしたり、
そういう裏の事情もあるのです。

 なんだかとりとめがなくなりました。これからは反対運動はもっと違った単位で、つまり、組合で
はなく、なんらかのコミュニティーレベルで行うのがいいのでしょうか。でも、言っても無駄かもし
れませんね。

 そういえば、私が中学生のときは全国一斉学力テストは行われていたんです。結構歯ごたえのある
問題が多かったように思いました。あのデータは有効に活用されていたのかどうかわかりませんが、
ある事件をきっかけとして、取り止めとなってしまいました。旭川学力テスト事件という有名な裁判
があります。10年にわたって行われた学力テストの実施を阻止するために、先生が実施を妨害した
ものです。日本国憲法の教育権がらみで頻出する重要な判例です。
 現在の状況では、わがままな教員組合の連中が言いがかりをつけたとしか理解されないでしょうが
それなりに支持される理由もあったのです。私が高校の時は、成績別でクラスが編成されていました
し、3当5落なんていわれていた時代で、大学受験が加熱していました。(それでも世間一般で考え
られているほど過酷な状況ではないんですが。)
 学校に序列がつけられるとかそういった差別や格差といったものに敏感で、平等を重んじる空気
がありました。弱者は助けなくてはという武士道精神みたいなのも残っていました。

 でも今般行われた学力テストにはそいういった雰囲気が感じられません。バウチャー制度の地なら
しという意味合いが強い気がします。バウチャー制度は安倍政権になってからもたびたび聞かれるも
のですが、ようするに授業料のチケットを各家庭に配って、学校を各家庭で選べるようにするという
ものです。このときに重要となるのが、各地域の学力の高いところと低いところの情報です。

 学力テストが行われればだいたいのところは明らかとなりますので、国民の利益になるように見え
ますが、実質的には経済的弱者に厳しいものとなるでしょう。バウチャーの財源は実の所皆様がお支
払いいただいている税金でして、義務教育に使われている部分がそのまま帰ってくるというレベルで
す。(現時点での情報から考えられうるシナリオです。)しかし、失礼を承知で述べますが、義務教
育維持のためにお支払いいただいている税金は本当に微々たる物でして、このぐらいの金額では隣町
に通わせるのがせいぜいといったぐらいです。
 教育関係の補助の金額が雀の涙程度しかないのはよくご存知なはずです。それだけの税金が戻って
きたからといって、選択の幅が広がるわけではないことは明らかです。結局おいしい思いをするのは
お金持ちだけということになる可能性が高いのです。

 だから、どこかの教員組合がまた反対運動を起こしていました。そういった動機そのものはいいと
思うんですが、今の状況下で説明を尽くしても市場原理主義、公務員不信の中ではかき消されるのみ
です。お上の適切な運用を願うばかりです。

 赴任してすぐさま学力テストなるものが行われました。参加率は98%以上だと報じられていました
ので、文字通り全国一斉なわけです。

 幸いにも私が担当している学年(6年生)ではなかったので、自分の指導力をとりあえず云々され
ることがないのは安心です(笑)。前の学校でもとりあえず直接の関係がない学年でしたので、幸運
です。
 冗談はさておき、今回の試みはいいことだったと思います。ゆとり教育の検証もある程度なされな
くてはならない時期ですし、これから6年生を担当する先生にとっては有益なデータにはなりえる
と思うからです。

 とは言っても我々教員は単なる実行部隊でデータや成果といったものは、上の方々の生殺与奪に
ゆだねられる?という状況のようです。
 子供たちに答案は返却されませんし、結果を公表して点数が低い学校に対するなんらかの措置を
するというあいまいな約束ぐらいしかご連絡がありませんでした。4月はじまってからというあわ
ただしい時期にやるというのも反対運動がやりずらい時期を選んだのか、それとも今後の政策決定
に要する時間を考慮したものなのかは、よくわかりませんが、現場を軽視しているように思えます。
 
 肝心の問題のほうに移りましょう。問題はそれほど難しい内容とはいえないみたいですね。過去の
学力テストと比較してみても素直な問題が多い。たぶん学力はそれほど下がっていないということ
を強弁するためなのでしょうね。
 国語は順当で、算数は6年生にしては簡単すぎるのでは?と思われました。10年前の4年生が
受けても、今の6年生とあまり成績が変わらないかもしれませんね。ただ世界の学力テストを意識
したのか考える問題が応用の問題が若干こっていたように思いました。
 学校側では答案をコピーして保存するということはせずに、氏名と番号で対照させられるように
しただけで還元はなにもなし。問題と応えは文科省のHPで入手できるので、そちらで対応というこ
とにしたようですね。
 私の学校はたぶん燦燦たる結果になると思います。地域の問題もあろうかと思いますが、それ以上
に、学力を向上させるための試みがいまひとつの学校のようです。赴任してまだ1月くらいですが、
うわさにたがわない、悪い学校のようです。
 今回運よく?学力テストに当たった保護者の方はどのように考えられているでしょうか?国策の
ためだけで、なんだか子供たちのほうを向いていない気がします。教師としてはやはりきちんと採点
して、今後に活用できるようにしたいものです。そうでないとせっかくつぶした数時間を埋め合わせ
るために何かを犠牲にしなくてはならなくなります。
 それに、もし通っている学校の点数が低かったとしたら、転向させたいと考えますか?担任を変え
てもらいたいといった要望を出されますか?私としては、長期的な視点に立って結果に一喜一憂しな
いでいただければと思います。

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