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青砥恭(あおと やすし)著「ドキュメント 高校中退 −いま、貧困がうまれる場所」(ちくま新書、740円+税)を読みました。
著者の青砥恭は、1948年生まれの元埼玉県高校教師で、いまは関東学院大学法学部の非常勤講師です。
この本では、埼玉県と大阪府のいわゆる底辺校の生徒たちの様子などが描かれていますが、そこには、貧困家庭におけるネグレクト、勉学不振、いじめ、「やめさせたがる」高校教師、そして中途退学などあらゆる問題が提示されています。
1人の女子生徒などは、入学したもののトラック運転手の父親が授業料を出さないので、本人も休みがちになり、結局退学するためには入学金8000円を払わないと退学できないと学校からいわれて、その女子生徒自身がアルバイトして「退学するための入学金である」8000円を稼いで払って退学したという例も紹介されています。
しかし、高校を中退した生徒が直面するのは、高校中退ではいまの日本では殆んどまともな仕事を探すことは難しいという現実。
また、それに気づいたときには逆戻りも困難な状況となり、結局は貧困な生活を余儀なくされます。
女子の場合などは早くに妊娠するケースもまま見られるようです。
つまり、貧困が再生産されている状況です。
しかし、貧困の再生産は個人あるいはその家庭の自己責任だけで限定させるような問題ではありません。
かつての偉人伝のように、貧しい家庭の子供が篤志家の援助を得て大学に進学するなどという時代ではないのです。
非行や勉学不良が、もしその子の家庭の貧困に由来するものであれば、国が援助し底辺をかさ上げすべきです。
中国などに出張すると、都市部の道路には人が満ち溢れて歩いており、「これだけの人口の中から頭角をあらわすことがいかに大変か」と体感させられます。
つまり競争相手が多ければ多いほど、優れた人間が生まれてくるのです。
いまの日本のように、階層化が進み始めている状況で、なおかつ底辺部の人材を「自己責任」で切り捨てるような非情な社会では、国全体の人材競争力が減衰され、真に実力のある人物が本当に出現しているかどうかは不明です。
もしかしたら優秀な人材を埋没させているかも知れないのです。
そういった意味でも、国が就学機会を担保すべきだと考えます。
日本では高校進学率は97%を越えていますが、一方では3年間のうちに10%は中退しているという統計があります。
底辺校では、入学した生徒の半分しか卒業を迎えないクラスもあるそうです。
「自分には関係ない」と、簡単に切り捨てて良いレベルを超えていると思います。
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こんにちは。
構造的なことが原因で機会も与えられない人が層としてでてくることが問題だと思います。
全体の質の低下をももたらします。
2013/12/13(金) 午後 2:58 [ kouitiz2000 ]