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<><>開法寺塔祉と崇徳上皇ゆかりの地<><>
  開法寺塔祉
 開法寺塔祉も坂出市府中町にあります。
 古代寺院の塔跡のものと見られる礎石群が発見されました。一辺12mの基壇を持つ塔祉とその北に講堂と考えられる礎石(田の中に埋没)が発見されて、この一帯が法起寺式伽藍配置で建立されていたものと推定される寺跡である。
 塔祉は柱座や柄穴を刻した心礎をはじめ礎石が原型のままあり、西側には凝灰石の板石を立並べた壇上積基壇が建立当時の姿で残存しているほかこの塔祉調査の際、鋸歯文縁素辧八様・素縁素辧八様・波形珠文縁単辧八様・波文縁複辧八様などの蓮華文軒丸瓦や重孤文(三条)珠文帯偏行唐草文などの軒平瓦のほか、坏・椀などの土師器・瓦器・陶器、石造菩薩仏頭・銅片などの仏具、鉄釘・ノミなどの建築材料が多数発見されて、この寺が奈良時代に創建されたことが明らかになった。これらの古瓦には、中讃(香川県の中部)に所在する法勲寺・鴨廃寺・讃岐国分寺などの古代寺院から出土する古瓦と文様が同じくするものもあって、讃岐における古代仏教発展上に重要な役割を果たした寺で有り、殊に讃岐国府庁に隣接する寺院として、天平12年(740年)の国分寺建立にさきがけて天武天皇14年(686年)の命によって設置された国府の仏舎(国府寺)遺跡として推考し得るもので、今後の調査によっては我国の仏教史上に貴重な価値をもつ寺跡ともいえる。
 記事中は現地案内板より抜粋しました。(案内板に読めない所がありましたので推測で書いた部分もあります。)
 昭和45年8月8日 香川県指定史跡に指定されています。史跡の中に立って見学できます。

  菊塚
 菊塚は香川県坂出市府中町にあります。
 崇徳上皇が雲井御所でお住まいになっていた際、身の回りの世話をされていた綾高遠の息女、綾の局との間に一人の男の子が誕生しました。上皇は自らの名前の一字を与えて顕末と命名しました。顕末は幼少に亡くなりこの墓が菊塚であると伝えられていて、現在は方形の基壇の上に石が積まれた塚として残されています。綾の局の墓も隣にある。

  盌塚
 盌塚は崇徳上皇がご使用になったお椀など什器物を埋納したとの伝説が残っている。
 田圃の畔伝えに進んで畑の脇に石碑が建っている。

 現在も国府跡地確認の調査が続いています。
 写真は2009年10月4日・2009年11月2日撮影

 アクセス:高松からは国道11号を丸亀方面へ国分寺高架橋を県道33号に降り綾川大橋手前の三叉路を県道18号(府中・善通寺線)に入ります。石井橋を越えて直ぐを右折する(信号機有り)ゴルフ場・埋蔵文化財センター前を過ぎると池(開法寺池)が有ります。ここらあたりの広い所に車を止める。ここが遺跡群が広がっています。(駐車場は有りません。)

 開法寺塔祉
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 菊塚
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 盌塚
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閉じる コメント(2)

たしか、子供のころ、祖父に、我が家は崇徳上皇のお供でいっしょに讃岐に流されてきた家だ、と聞きました。曾祖母が家系図を焼いてしまったそうで、今となっては本当かどうかはわかりませんが…

2009/12/7(月) 午後 10:48 Odyssey大好き♪ 返信する

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香川県には崇徳上皇のゆかりの地が多く残っていますから・・。
それは真実かも知れませんよ!。天皇のお供ですからかなりの人数が讃岐の国に来たと思います。

2009/12/8(火) 午前 10:39 [ ロッキー ] 返信する

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