BLOG青い国四国路

四国の綺麗な所・美しい所・古い所のBOLG

全体表示

[ リスト ]

国府庁跡地と崇徳上皇

<><>国府庁跡地と崇徳上皇<><>
  讃岐国庁所在推定跡
 綾北平野の南限にあって、三方を山で囲まれたこの地域は、大化の改新による律令制度によって讃岐国府(今の県庁と同じ)の置かれたところである。
 附近には、垣ノ内(国府の区域)・帳次(諸帳簿を扱った役所)・状次(書状を扱った役所)・正倉(国庁の倉)・印鑰(国庁の印鑑や鍵の保管所)・聖堂(学問所)などの地名があり、名国司菅原道真の事跡とともに讃岐国庁の姿を偲ばせ、木ノ丸殿(擬古堂)・内裏泉・盌塚・菊塚など保元の乱によって讃岐に流された崇徳天皇の悲しい遺跡は、保元の昔を物語る。また白鳳期建立の開法寺の塔礎石や巨石墳新宮古墳・式内大社城山神社など古代〜中世の遺構も多く、ここに訪れる人々を古代讃岐のロマンへと誘う。

  鼓岡神社由緒
 当社地は保元平治の昔、崇徳上皇の行宮木の丸殿の在ったところで、長寛2年(1164年)8月26日崩御されるまでの6年余り仙居あそばされた聖蹟である。建久2年(1191年後白河上皇近侍・阿闍梨章実、木の丸殿を白峰御陵に移し跡地に之に代るべき祠を建立し上皇の御神霊を奉斎し奉ったのが鼓岡神社の草創と伝わる。)中略 境内には木の丸殿・擬古堂・観音堂・杜鵑塚・鼓岡行宮旧址碑、鼓岡文庫、などがあり附近には内裏泉、菊塚、盌塚などの遺跡がある。

  内裏泉
 崇徳上皇は長寛2年(1164年)に崩御されるまでの6年間は、府中鼓ヶ岡の木の丸殿にお住まいになられました。
 このいずみはこの頃に上皇の飲用に供された泉で、内裏泉と呼ばれ、地形上も谷筋に位置していることもあり、決して大旱魃にも枯れない泉であると伝えられています。(現在は石枠が原型をとどめている。)
 ※鼓岡神社右側の民家の裏側にある。

  河知駅と堺石(甲知駅)
 645年大化の改新により、中央より各地に向けて七つの官道が整備されました。この官道は中央と地方との連絡ををとるための重要な道であり、馬を利用した駅伝の制によって連絡がとられていました。
 讃岐は南海道に属し六駅が設置されましたが、府中の石井には河知駅が置かれました。駅には常に四頭の馬が置かれ、官吏による情報の伝達が行われたと伝えられています。
 堺石(国分石・中心石)=讃岐の中央の標石として置かれたと伝えられています。現在の堺石は小学校の校庭に移転して保存しています。(原形とは異なる。)
 記事は現地説明板より抜粋しました。
 写真は2009年11月2日・12月9日撮影

 今回歩く所
イメージ 9

 国府跡
イメージ 1

イメージ 2

 鼓岡神社
イメージ 3

 擬古堂
イメージ 4

イメージ 5

 内裏泉
イメージ 6

イメージ 7

 堺石
イメージ 8

イメージ 9

この記事に

閉じる コメント(2)

顔アイコン

6枚目は、10日には縦の写真がありました。
同じでも、10日のには郷愁を感じました。不思議です。

2009/12/10(木) 午後 10:00 [ sum*5*yam*noue ] 返信する

顔アイコン

画像の修正のし過ぎですかね。それとも農作業をしている人を外したからですかね。

2009/12/11(金) 午前 10:12 [ ロッキー ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事