如意輪寺は、讃岐国分寺の末寺の一つである。天正年間(1573年〜1591年)退転《寺院相互の行政的・経済的な主従関係であるが、本寺の盛衰によってその関係離れること》したとの国分寺記録が残されている。いまは、阿弥陀・観音の二像を安置する無住の小堂のみである。(現在は廃墟に近い。見学は注意!!必要!) ※如意輪寺(にょいりんじ)の窯跡 全長4.2m、最大幅1.8mをはかる半地下式有牀平窯(はんちかしきゆうしょうひらがま)で2基確認された。出土した瓦から、12世紀前半から後半にかけて操業されており、如意輪寺建立に際して設置された寺専用の瓦窯であったと思われる。 残存部は焚口、燃焼室、焼成室であり、焼成室は2条の牀(しょう:ロストル)が地山を削りだして造られている。瓦は、この牀(しょう)の上に立並べられ、窯詰され焼かれていたであろう。 如意輪寺は、讃岐国分寺の末寺の一つであると言われており、国分寺の歴史を語る上で重要な遺跡であり、埋め戻して現状を保存することにする。以上現地公園内に記述している。 南側の池と公園の遊歩道の間に芝を植えて標柱を立て場所が指している。 アクセス:高松からは、県道33号を坂出・丸亀方面へ、国分寺町中西交差点(マルヨシセンター本部)を右折、国分寺八幡宮方面へ八幡さん前を通り過ぎると遊具が見えてきます。駐車場有 写真は2010年1月5日撮影 六ツ目山 如意輪寺跡 |
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