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法華寺

【法華寺】
 ★★史跡 讃岐国分尼寺(法華滅罪之寺=ほっけめつざいのてら)跡「法華寺」は、香川県高松市国分寺町新居の国分寺北部小学校より北にあります。
 讃岐国分尼寺は、天平13年(奈良時代)、聖武天皇の詔勅によって建立された「法華滅罪之寺」跡です。創建時には、水田十町が与えられ、十人の尼僧がおかれた事が知られています。
 昭和3年に、現在の法華寺を中心に東西180〜200m、南北180mの範囲が、国の史跡に指定されました。当時の伽藍については、いまだ詳しい事は分かっていませんが、法華寺境内に残されている20個の礎石の存在から東西7間、南北4間の金堂があったと考えています。
 一方、寺域については、昭和53年に史跡指定地域南西部で実施された発掘調査によって、主軸が真北方向で幅が2m、深さ0.9mの規模の溝が発見され、寺域を区画する西側の溝は、1町半(約165m四方)の広さがあったものと考えられます。
 この他、国分尼寺で使用されていた井戸は、「七泉」と呼ばれ、そのうちの一つ「大泉」と伝えられる井戸が今も残っています。
 平安時代の仁和元年(886)には、讃岐の国司であった菅原道真も、この尼寺を訪れ、(法華寺白牡丹)の詩を詠んだ事は有名なお話です。以上は現地案内板より転載しました。

 ★★国分尼寺跡(WEB高松市讃岐国分寺跡資料館より抜粋)
 讃岐国分寺跡とペアで創建された尼寺跡。国分寺と相違して,塔は造られませんでした。讃岐国分寺の北東・約2kmに位置していて,讃岐国司庁跡とはかなりの距離があります。
 現在,法華寺と呼ばれる寺の境内には,当時の金堂の礎石と考えられる石材が幾つか見られます。推定ですが,南北4間,東西7間の大きな建物であったことがわかります。
 讃岐国司に在任中の菅原道真が国分尼寺を訪ね,白牡丹の漢詩を詠じたことはつとに有名です。(境内には、牡丹の花がいっぱいあります。住職の話では、牡丹の開花は普通より早く咲き出すとの事です。4月初め頃)創建以降,国分寺の末寺となるなど幾多の変遷を遂げましたが,江戸時代に至って遂に廃絶してしまいます。そして,小さな堂を残すのみとなりました。
 弘化3年(1846)になって,国分尼寺跡に法華寺が再興されました。今,同寺の山門には,「法華滅罪之寺」との額が揚げられ,かつての国分尼寺の法統を継ぐ寺であることを示しています。
 寺域は東西約180〜210m,南北約180mと考えられ,法華寺の北東に鎮座する春日神社は,北東隅にあたると推定されています。
 また,発掘調査により南西部で境界を画する大溝が発見されていて,今後の調査の進展が期待される遺跡ともいえます。
 昭和3年(1928)讃岐国分寺跡と同時に,国の史跡に指定されました。
 アクセス: 県道33号を西へJR端岡駅前交差点を通り過ぎ次の信号機がある交差点国分寺端岡を右折直ぐに信号機のある交差点を直進突き当りに見える所が法華寺です。目標は国分寺北部小学校を右に見ながら通り過ぎる。ワイワイマップにスポット投稿もします。

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 国分寺北部公民館東側にある道標
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南国にある植物が植わってますね。それで、ちょっと変わった感じがしました。

2010/5/25(火) 午後 9:47 [ rec*u*ive_s** ] 返信する

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蘇鉄のことでしょうか。
高松藩主松平家に薩摩の島津家より送られてから増えたのではないでしょうか。高松城址・栗林公園に古い大きな木がありますよ。

2010/5/26(水) 午前 10:42 [ ロッキー ] 返信する

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